「伯爵と平凡な娘」
伯爵と埋蔵金貨

その人物は通称、“伯爵”と呼ばれる。
美しい容姿に白い肌、丁寧に撫でつけられた黒い髪、愁いを帯びた青い瞳。長い手足に、美しいが意外に頼りがいのありそうな指。女が見たら、大体の人はぼうっとしてしまいそうな姿かたちを持った人物である。ちなみに男は畏怖を覚えて道をあける。
彼はとある大学都市の街外れの、断崖絶壁にたつ屋敷に住んでいる。そこは街の子どもたちから「吸血伯爵が住んでいる」と恐れられる屋敷だった。
その認識が間違いではなかった、と居候のアンナマリアが知ったのはつい数か月前のことであった。
そう、この美しい伯爵はほんとうに吸血鬼だったのである。
だがこの伯爵、厭世的なものが一般的と言われる吸血鬼のなかではとんだ変わり者なのだ。人間は襲わないわ、屋敷の一角にトレーニングジムを構えたりするわ、時代ごとの流行はとりあえずおっかけてみるわ、ともかく、人生を楽しむ無害な隠居老人のような人物なのだ。――蛇足だが、若くは見えるが、伯爵の年齢は二千余歳だという。“隠居老人”という語は間違いではない。
そんな伯爵の屋敷に居候して数か月。アンナマリアはこの数か月で色々な体験をした。
これは、そのひとつの記録である。




伯爵の屋敷にはだだっ広いリビングがある。食事の後、アンナマリアはよくここで伯爵と紅茶を飲んだり、談話したりするのだが、それだけではない。
リビングにはもちろん、近年の一般家庭がそうであるように、テレビジョンが備えてあるのだ。
今、大画面薄型液晶テレビが旬を迎えているが、伯爵のリビングにあるものは大画面ではあるものの、人一人では運べないほど巨大なテレビジョンであった。つまり、ちょっと古い。
そう、この吸血伯爵、テレビを見るのである。人畜無害な国営放送なら皆さんすぐに納得していただけるかもしれないが、この男、なかなかに雑食であった。おそらく、読書の方も雑食を極めてあるだろうが。
はじめ、アンナマリアはオットマンに長い足を投げ出して優雅に寛ぎ、くだらないバラエティー番組を見て「ふっ」とか失笑していた伯爵にひどいカルチャー・ショックを受けたものであったが、それも毎日のこととなれば慣れるしかない。というか、慣れた。
かくしてアンナマリア内に幼いころからあらゆるフィクション作品により形成されていた「闇に生きる孤高の吸血鬼像」は順調に破壊されつつある。伯爵のせいで。
蛇足だが、映画の場合は別にシアター・ルームが用意してあるらしい。アンナマリアは怖くてそこで映画を見たことはないが。




さてある日のこと。
それはニュースだったか教養系バラエティー番組であったか。
ともかく、アンナマリアと伯爵は食後の紅茶――伯爵のものは阿片入りであった――を楽しみながら、テレビを見ていた。
すると、テレビの画面に一人の白髪の男性が現れた。
アングロ・サクソン系と思われるその男性は、訛りの強い英語でにこにこと話をしている。
彼の視線の先には、レポーターがいるらしい。
アンナマリアは字幕を読みながらその言葉を聞いていた――田舎の英語は彼女の耳には少々辛かった――が、伯爵はあきらかに字幕を見ずに言葉だけを聞いていた。
彼の話を要約すると、次のようになる。
「いやぁ、妻に誕生日に何故か金属探知機をもらいましてね。妻はどうやら、私の幼いころの夢が“宝探し”であったことを覚えていたようなんですよ。
それで、地面の中を探せと。まぁ、宝探しと言ったって、もう仕事も辞めたような歳ですから、そんなことできっこないって心のどこかでは思っていました。まして、ここはただの田舎町ですからね。
そんなわけで、はじめは近所の方の畑の中に、硬い石や金属片が埋まっていないか探すことにしたんです。――邪魔ものをどけた方が畑は耕しやすいですしね。
で、そのちょっとしたボランティアの合間の思いついた時に空き地やらなんやらに、“宝探し”に行ってたんですよ。その頃には、畑の石ころ探しのほうが楽しくなってましたがね。
みんな感謝してくれるし、美味しい野菜が食べられますし。ここいらの人は、野菜を育てるのが本当に上手なんですよ。
――で、“宝”が出てきたのは、暇つぶしに空き地に行ったときだったんですよ。
金属探知機がピピッと反応しましてね。はじめは一人で掘っていたんですが、だんだん疲れてきて、息子を呼んだんです。どのくらい掘ったかなぁ。そしたら、ツボが出てきて、中には金貨と銀貨、それに宝石やアクセサリーがたくさん詰まってたんです!」
……と、ここで画面はにこにこした男性の顔からパッと赤いビロードの上に並ぶ大量の金貨に銀貨、それからアクセサリーを映し出した。それらが入っていたと思われるツボも画面に映っている。
「わぁ!すごい!」
アンナマリアはその映像に驚嘆の声を上げた。出土品は土に汚れていたし、銀貨は黒ずんでいたが、それらの保存状態はどれも良好だった。
アクサセリーは美しい誰かの横顔を刻んだカメオ、宝石をふんだんに使った首飾り、金の腕輪に、指輪……ともかく、目が眩むばかりのものだった。
「すごいですね、伯爵!」
アンナマリアが思わずそう言って伯爵を見れば、彼はオットマンから足を下ろし、椅子に前のめりになって座っていた。さきほどまでの優雅な様子はどこへやら、食い入るように画面を見つめている。
膝の上に置かれた手に抱えられた紅茶のカップがわずかに震えている。
――……ついに阿片の禁断症状?
その様子を見て、アンナマリアは思わずわずかに後ずさった。
その間に、また画面が切り替わった。
今度画面に表れたのは、考古学者だった。
「これは大変な発見です。
ツボ、コイン、装飾品共に古代ローマ帝国時代のもので――しかも、幅広い時代のものが収められています。今後の詳しい調査が待たれますが、おそらくは帝国時代にブリテン島に駐留した軍隊関係者が埋めていったものでしょう。
一番注目に値するのは、カメオです。これはおそらくアウグストゥス帝を彫ったものだと思われますが、これとそっくりなカメオが一つだけパリにあるのです。それはギリシアの有名彫刻家が彫ったもので――模写だとしても、大変な発見です。
ところで、ここを見てください」
考古学者はツボの写真の、とある部分のアップを示した。
「ここに文字があります。掠れていてなかなか読めませんが、唯一、ここに――“Julius”という単語が見えます。
きっとこれが、これを埋めた人の名前でしょう。自分のものだという主張です。しかし彼は、何らかの理由で――戦場で死んでしまったのかもしれませんね――これを取りに戻ることができず、今日まで発見されなかったのです」
それから考古学者は「埋蔵品の保存状態の良さ」について講釈を垂れ始めた。
が、この屋敷でその説明をまともに聞ける者はいなかった――なぜなら、伯爵が立ち上がり、次のように叫んだからである。
「アレはわたしのものだ!」
と。
滅多に声を荒げない伯爵が、叫んだのである。しかも立ち上がって。だが幸い、紅茶のカップは投げ出されることはなく――マイセンの年代物だった――無事だった。
「“わ、わたしのもの”?」
アンナマリアがびっくりして聞き返すと、伯爵は彼女をぎっと見降ろして力強く言った。
アンナマリアはぎょっとしてソファの上でちょっと後ずさった。
「ああ、そうだとも!あの署名!あのカメオ!間違いない、アレはわたしのものだ!」
それから彼は、驚いて目を見開いている忠実な執事に言った。
「ダドリー!わたしの書斎の、本棚の三段目に羊皮紙の地図をまとめたものがある!
持ってきてくれ!」
ダドリーは驚きの表情をおさめると、静かにかしこまりました、と言ってさっと踵を返した。それを見届けたらしい給仕のマーサが興奮しているらしい主人に話しかける。
「ご主人さま、紅茶、こぼす前に全部飲みほしてくださいましね」
そう言うと、伯爵はこれまた珍しく、立ったまま一気に紅茶を飲み干した。
マーサはさっと手を差し出して、危険な主人から高級な白磁のカップを救い出した。
アンナマリアが困ったようにマーサに目をやると、恰幅のいい給仕係は彼女に向ってウインクしてみせた。アンナマリアはいまいち意味が読み取れなかったが、まぁ、「大丈夫よ」という意味にでも解釈しておこう。
……しばらくして、ダドリーが一抱えもある大きな革張りの本を持って戻ってきた。
「これでしょうか?」
ふうふうと息をつく執事に頷いて、伯爵は本を受取り、それをテーブルの上においた。
それから、ページをめくる。
その本は、紙ではなく羊皮紙でできていた。パリパリに硬くなり、扱いを間違えば破損は免れなさそうな代物だった。それでも、伯爵はそれを器用にめくっていく。
アンナマリアとマーサは大胆に、ダドリーは控えめにそれを覗き込んだ。
「あった――これだ」
伯爵が彼らの眼前に広げたのは、かなりアバウトな海岸線をもって示される、ヨーロッパ大陸の一部とグレート・ブリテン島の地図であった。大陸にはかなりアバウトなライン川(当時はレーヌスと呼ばれていた)、ブリテン島にはテムズと記された細い線と、「ロンディニウム」と示された黒い点があった。
そのテムズ川から北上すること(地図上では)少し――やや現在のスコットランド寄りの位置に大きなバツ印があった。
「これだ、ここだ――あのツボが埋まっていたのは」
アンナマリアは顔をあげてテレビを見た。特集はもう終わっていたので、一番最初に示されたイギリスの地図を思い出す。
「たしかに、さっきのテレビの地図の場所と、似ている――ような気がしますが」
アンナマリアは伯爵を見上げながら遠慮がちに言った。
だが、伯爵は確信しているようだった。
「アレはわたしのものだ。間違いない――ダドリー、たしか、お前の曾祖父とワットの蒸気機関を見に行った時に、一度アレを掘りだそうとしたのだ。私はあの――田舎町に行ったことがあるぞ!」
執事は静かに答えた。
「確かに、曾祖父とご主人さまの大英帝国での冒険と穴掘りの話は聞き及んでおりますが――ツボは見つからなかったとか」
「そうだ。そして、あの金属探知機男が見つけた」
伯爵はいらいらと机を指で叩いた。
「ええと」
アンナマリアはいわゆるビミョーな空気になっているリビングで勇気を振り絞って訊いた。
「伯爵、あのツボと中身を取り返したいんですか?」
そこに続けて、マーサが言う。
「でもご主人さま、取り返すとして、あのツボがご自分のものだとどう説明するんです?
あの学者さんは、持ち主が死んだと思ってますし、子孫だと偽ることも難しいと思いますわ。
……それにうっかり、二千年も生きている吸血鬼だということがわかったら、マッドサイエンティストとかいう医者がこの屋敷に押し掛けてくるかもしれません!!」
マーサは最後に「ああ恐ろしいッ!」と頬をまるでムンクの『叫び』の絵のように押さえて言った。
「取り返したいというのは、もちろんあるが――」
伯爵はそこで、いつもの冷静さを取り戻したらしい。ソファにどさりと腰かけて、思案顔になる。
「全部でなくていいのだ。金貨や銀貨は今は使えないしな」
「いえ、使えなくても売ったらすごいと思いますよ?」
庶民感覚でアンナマリアが言うと、伯爵はきょとんとした。
「別に金には困っておらん」
「ああ、そうですよね……」
「取り返したいのは、カメオなのだ」
伯爵は大腿の上に肘をつき、手を組むとそこに顎を乗せてため息をついた。
「あれは大事な方から頂いた、大切なものなのだ。なんで埋めてしまったのかとんと覚えていないが、ともかくずっと探していたのだ」
伯爵はそこで、低い声で言った。
「あれだけ手元に帰ってくれば、別に他はどうでもいい」
アンナマリアはそんな伯爵をしばし見つめた後、ふと、あることを思いついた。
「買取り……」
「え?」
「あの男性に連絡を取って、カメオだけでも買い取りたいと申し出たらどうでしょうか?
埋蔵物ってたしか、どこの国でも持ち主が現れなければ見つけた人のものになることが多いですよね。
それがダメでも、オークションとかに出品されるかもしれません。そしたら、伯爵、落札できますよね?」
伯爵はその言葉に、悩み深い表情をしていた顔を明るくした。
「そうだな――所有権を主張するより、そちらの方が穏便に行きそうだ」
すると、間髪いれずにダドリーが言った。
「男性の連絡先を調べてみます」
アンナマリアも思いついて、手を挙げた。
「あ、私友達に歴史やってる子いるんで、その子に聞いてみます。
歴史系のニュースは必ず耳に入れてる子なんで」
伯爵は、二人に見たこともないほど穏やかな笑顔を見せた。
「ありがとう」




その翌日。
彼女は友人の一人である、文学部歴史地理学科のマイクを捕まえていた。
「イギリスで見つかった埋蔵金貨?ああ、あれすごいニュースだよ!
考古学の教授たちなんて、どうやったら発掘調査に入れてもらえるかっていう相談ばっかりしてるよ」
「そ、そんなすごい発見なんだ……」
「うん、たぶん近くに兵舎跡とか住居跡があるだろうって話でさ。
たしか、オックスフォードだかケンブリッジだかの有名大学と研究所が合同発掘調査チームを立ち上げるんだって」
「……。」
兵舎跡だか住居跡だかのことは調査などという回りくどいことをせずとも、伯爵に聞けば大体の位置が判明しそうだ、とアンナマリアは思ったが黙っていた。
「そ、それで、見つかったものはどうなるの?」
これが彼女が聞きたいことだった。マイクは少し考えて、わかる範囲で率直に答えた。
「どうなる?うーん、国が買い上げるんじゃないかなぁ。
今の発掘調査って大体そうだよ。国じゃなくても自治体とかがね。
イタリアでニッポンの大学がいますごい発掘調査してるんだけど、それも発掘が終わり次第全部イタリア政府が買い取るって話だし。
あ、今回の発見者のお爺さんは結構無欲な人らしくて、「大英博物館あたりでたくさんの子どもたちに見ていただけたら幸いです」って言ってるらしいから、寄付するか、大英博物館が買い取るかってところだろうね」
「だ、だいえい……」
まぁ、大英博物館が買い取ってもすごい金額になるのだろうが。ともかく、オークションへの出品や蒐集家に買い取らせるよりも善良な判断である。
が、伯爵にとっては最大の敵になってしまう。
いくら二千年生きているとはいえ、あくまで彼は一個人にすぎないのだし、国家や「世界で指折りの大博物館」が出てくれば太刀打ちは難しいだろう。地方自治体ぐらいならば競り勝てそうな気もするが。
「そ、そっか……ありがとう……。やっぱ蛇の道は蛇だね……ありがとう……」
「……なんか元気ないけど、大丈夫?」
「う、うん」
アンナマリアはなんとかマイクに頷いて見せた。



その夜。
「大英博物館!!」
伯爵はアンナマリアの報告を受けて素っ頓狂な声を上げた。
「はい、なんでもたくさんの子どもたちに見てほしいとかで」
伯爵は、そこで頭を抱えた。
「志は素晴らしいな……しかし、ああ、ハンス・スローンが恨めしい」
「だ、誰です?」
「大英博物館のもとを作った男だよ」
そこへ、ダドリーがしずしずとやってきた。
「ご主人さま、代理人の方から連絡がありました。
『もう大英博物館と契約を結んでしまったので、応じることは残念ながらできない』
とのことです」
伯爵は、執事の残念そうな声を予想していたらしい。
彼はずるずるとソファの背もたれにうずもれると、
「そうか。しかし子どもたちのためというなら諦めもつくというもの」
と、いやに抑揚のない声で言った。だが、アンナマリアは伯爵がぼそっと
「盗人博物館め」
とつぶやくのを聞いてしまった。
まぁ確かに大英帝国は植民地を世界中に抱えた時代に、その支配地の今でいう国宝や重要文化財を勝手に持ち帰り、その品をおさめるあの博物館は今でも「返還問題」やらを抱え、自国民にまで「泥棒博物館」と揶揄されているが、今回の場合は埋蔵場所を忘れて今まで放置していた伯爵が悪い。しかも発見場所は、博物館にとっては国内である。
本人も(正確な場所を)忘れていた二千年前も前の埋蔵物の所有権など、法律にとっても範疇外の事例である。というか、人間の寿命からすれば前代未聞の事態である。
伯爵とアンナマリアは、違う意味でだが、同時にため息をついた。
「あ、そうだ」
「うん?」
気を取り直して明るい声を出したアンナマリアを伯爵は見やった。
「今度、あの近くに発掘調査が入るんだそうです。兵舎跡だかを探すとかなんとか。
伯爵、あのあたりに何かありました?」
「ああ……」
伯爵はそこで顎をつまんだ。
「あった、が、そんなに近くではないぞ。それに小さな兵舎群だっから何か残ってるかどうかはわからんな」
「そうですか……」
――何かわかったら、マイクに教えてあげようかと思ったんだけど。
しかし、その話の出所を説明するのが大変そうだと思い到ったアンナマリアはそれ以上その話をしなかった。
それから数日が過ぎ、伯爵も次第にカメオを諦めたようであった。




数年後。
大英博物館の古代ローマ関係の展示室に幽霊が出る、と噂が立つことになる。
しかもそれは、近年発見されたあの「Juliusの壷」関連の所に必ず現れる、とのことで、人々はその幽霊こそがツボを埋め戦場で死んだ(と、推測されている)古代ローマ兵Juliusだ、と噂し合った。こうして「大英博物館の古代ローマ幽霊兵Julius」はめでたくイギリスの非公式な幽霊リストに名を連ねることになった。
さて同じころ。
ツボの周囲を調査していた事前発掘調査隊はめぼしい発見ができずに、「そろそろ解散せよ」とのお達しを受けていた。文献にも残っていない遺跡を探すのは難しい。調査隊はあきらめの境地に達していた。
しかし、ある日のこと。夕暮れになり、発掘隊がプレハプ建ての基地を出ようとした時だった。
突然、基地の電話が鳴り響いた。
荷物をまとめかけていた隊員が疲れた顔で受話器を取ると、前置きなしに相手がしゃべった。
「どこを掘っているのだ?もっと北西だ――北西を探せ」
それだけ言って、電話は切れてしまった。隊員は怪訝な顔をして、受話器を戻し、その電話のことをパブで話した。ほかの隊員たちは笑って、酔ったついでに「じゃあもっと北西に行ってみようじゃないか」と言った。
翌日、物のためしで北西に行った隊員二人が、土器の破片を地表から発見した。分析してみると、それは、イギリスの土ではない土でできているものだということがわかった。
発掘調査隊はあわてて調査場所を変えた。すると、どうだろう、また奇妙な電話が来た。


「もっと西だ」
「もっと北」
「行き過ぎた、戻れ」
「その五百メートル範囲内を探してみろ」
「東の方向に一キロ先も調査してみろ」


毎日、一言だけしか言わないその声は不気味だったが、隊員たちは声に従った。
そして声の導くままに、彼らはついに小さな兵舎群跡を発見した。
石組のあとに、大量の割れた土器、数枚の金貨に、履き古した古代ローマのサンダル……次々と発見があった。
隊員たちは歓喜した。もちろん「そろそろ解散せよ」というお達しは撤回され、正式で大掛かりな調査がすぐにはじまった。
それから、謎の電話は来なくなった。
調査隊員たちは、その声に感謝もしていたが、同時にやはり不気味がった。
彼は誰なのか?なぜあんなに正確に発掘場所を指示できたのか?
それは誰にも分らなかった。悪戯とも考えにくい――
謎は永遠に解けないだろう。
だが、十数年後「イギリス考古学史上最大の謎、発掘場所を指示する声」の話が考古学の枠を超えて一般にも伝わり、それと「大英博物館の古代ローマ幽霊兵Julius」の話をくっつけたミステリーともホラーともとれない小説が発表され、世に一大センセーションを巻き起こすことになる。
……かくて、しばらくして「ツタンカーメンのファラオの呪い」に次ぐ考古学の伝説が形成されることとなる。



ちなみに、ヨーロッパ大陸に住んでいる最長老の吸血鬼がその伝説の大本になった小説を読んで「ふっ」とか失笑したのは、まぁ、蛇足であり誰も知らない話である。


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この小説はフィクションであり、実際の個人・団体とは一切関係ありません。