月の土地売ります。


「月の土地を売っていただけませんでしょうか?」
国際月面開発機構の人がやってきてそう言ったのは、母の遺品を兄弟四人総出で整理しているときだった。
応対したのは一番上の兄だったが、兄の返答は「は?」だった。
もちろん、私を含む残り三人の兄弟の反応も「?」である。
そして、片付かない実家に上がりこんだ国際月面開発機構(略称はW.L.Oと言うらしい)のメガネにスーツの人は事情を説明してくれた。
母は生前、ある民間組織から月の土地を私たち兄弟四人の名義で購入したが、私たちには内緒で管理していた。
一方、W.L.Oは月面開発計画で定められた月の土地で開発・研究・生活をしていたが、最近さらなる開発および一般人向け施設の建設にはそれだけでは手狭なことが解ったため、一般の月の土地所有者から土地の買い上げを始めたのだという。そして、その話はもちろん母のところまでいった。けれど母は話を聞かなかったと言う。
「――それで?」
私たち四人が綺麗に並んだ前、テーブルを挟んで座っているW.L.Oの人はそこで話をきりお茶を一口すすった。部屋が埃っぽいのは気にならないらしい。一番上の兄に促されて彼は話を続けた。
「管理権の移動は、お母様が亡くなったと同時に発生するようでした。
ので、名実共に皆様が権利と管理権を手に入れられたのです。
それに伴い、わたくしどもは再び交渉に参ったという次第です。」
その言葉に私たちは一斉に「はあ」と言って顔を見合わせた。


W.L.Oの人が帰って、私たちはまだ開けていなかった母の遺言を開けてみた。
荷物が片付くまで遺言は開けないでいようと思っていたのだ。それに母は私たちを驚かそうと思って月の土地のことを内緒にしていたらしい。だからW.L.Oの人の話は私たちにはピンと来なかったのだ。
遺言を開けて読上げたのは一番上の兄だった。
そこにはこんなことが書いてあった。
『一、実家の建物・土地の所有については相談して決めなさい。
   揉めるようだったら、家と土地を売って得たお金を四等分しなさい。
二、お父さんの貴重な初版本コレクションは価値のわかる長男に譲る。
三、お母さんのコインコレクションは価値のわかる長女に譲る。
四、映画のコレクションおよびシアターセットは映画好きな次男に譲る。
五、隕石のコレクションおよび天文観測セット関係は天文好きな次女に譲る。
六、友人の画家の絵が四枚あるが、これの所有も相談して決めること。
  揉めるようであればジャンケンで決めなさい。
七、その他の物については相談して決めること。
  揉めるようであれば全部売り払って四等分すること。
八、四人名義の月の土地の所有権があるが、これについては各自好きにしても良い。』
以上、母と父の多趣味っぷり(節操がないとも言う)と八のオチで私たちを驚かせようとしていたことがわかる遺言だった。
ちなみに一番上の兄が読上げた後にぼそりと「アバウトな」と言ったのを私は確かに聞いた。


遺産の分配については二、三、四、五については滞りなく行われ、七についても問題は出なかった(いや、歴史上の偉人の掌大の胸像についての帰属でちょっと揉めた)。六では姉と二番目の兄が一枚の絵を巡って対立したが、ジャンケンで姉が勝って円満解決した。一は下の三人の意見が一致して一番上の兄に実家を譲ることになった。
兄は母を最期まで面倒見たのだ。当然だろう。妹の私が言うのもなんだが、兄はいい人だ。家くらい貰って当然だ。
さて、残されたのは八の月の土地についてだ。


遺言の最後に、権利書の在処が書かれていた。そこを開けると、綺麗な革張りのファイルが四つ出てきた。中を開けると、ちょうど三面鏡のように月の土地の権利書、月に関する法律、月の地図と対面した。
権利書にはブラックレター体で私たちの名前と、月の住所が書いてあった。それに土地の広さも。
「……みんな2エーカーずつみたいね」
姉が全員の権利書を見て言った。
「1エーカーってどのくらいだ?」
「だいたいサッカーグラウンド位だって言うが」
二番目の兄の問いに、一番上の兄が答える。
「これ、いくらしたのかしら」
「1エーカー三千円って書いてあるよ。当時の値段でしょうけど。当時はまだ開発も始まってなかったし」
「ずいぶん安いな。これホンモノか?」
そこでみんな一斉にうーんとうなる。そして調べたのはやはり一番上の兄だった。
数時間後、彼は結論を私たちに伝えてくれた。
「ホンモノらしい。」
そして私たちは再びうなった。


月での開発が始まったとはいえ、それはあくまでW.L.O――つまり国際月面開発機構によるものであって、民間や個人の手になるものではない。
月へ行く人々も増えたが、それだって研究機関レベルでの話だ。
一般人にとって、月に行くことはまだまだ夢のまた夢のことだった。
だから、月の土地2エーカー分があなたの物だ、と言われても私たちにはピンと来なかった。
そして、W.L.Oが提示した2エーカーの買取値段もそのピンと来なさ具合に拍車を掛けていた。三千円はものすごい金額に跳ね上がっていたのである。


その日はばたばたしているうちに夕暮れになり、それぞれ月の土地の権利ファイルを持って私たちは家路についた。
一番上の兄は中学生の女の子と小学生の男の子と奥さんの四人暮らし。
奥さんと子どもたちは今日用事があって来れなかった。
二番目の兄弟で長女の姉は、旦那さんと犬と暮らしている。旦那さんは今日お仕事だと言う。
三番目で次男の兄には生まれたばかりの赤ちゃんがいる。奥さんは赤ちゃんとお留守番中だ。
私は一人暮らしだ。
アパートにはもちろん、明かりなどついていない。
ぱちんと明かりをつけると、キッチンの向こうにベッドとテーブルが見えた。
殺風景な部屋だ。
ここに大好きだった家庭用ミニプラネタリウムが来るのは嬉しいが、大きな天体望遠鏡や数ある隕石たちはどうしようか。彼らには少々狭苦しい思いをさせるかもしれない。
「ふう」
私は荷物を放り出し、ベッドに倒れこんだ。
父と母の持ち物は多すぎる。父は三年前になくなったが、母は物が捨てられない人だった。父との思い出の品となればなおさら。
そんなことを考えてゴロゴロしていたら、いつの間にか眠ってしまった。




夢を見た。
夢の中の私は、小さかった。小学校の低学年くらいだろうか。
夜だった。実家のベランダに私はいる。夜風が心地いい。
「ほら、あれが織姫さんよ」
そう言って私の隣で母は暗い天空を指差した。
「うん!ねぇ彦星さんは?」
「それはあっち。ねぇ、ほーら彦星さんと織姫さんを結んで、あの星――あれは白鳥さんの尻尾なの。あれと結んでごらん。三角があるでしょ」
「ある!」
「それが夏の大三角よ。あれが夏の目印。覚えた?」
「覚えたよ!」
ふと、右手側にまん丸の月が昇っていた。
母はそれをみとめると――私と反対側の母の隣では天体望遠鏡がじっと空を見上げていた――母は、そっと私に耳打ちしてきた。
「ねぇ、お月さまほしくない?」
「え?」
「お月さま、ほしくない?」
「……お月さまくれるの?」
「うーん、ちょっとわからないけど、もしかしたらお月さま手に入るかもしれないの。
お月さまほしい?」
突然の申し出に、私は目を見開き金色の月と母の顔を見比べた。
そして、私は言った。
「ほしい!」
「そっか!」
私が元気に答えると、母はニッコリ笑った。
その時、背後でカラカラと窓の開く音がした。ベランダの入り口に白髪の一本もない父が立っていた。
「おぅい、そろそろ寝なさい」
父はそこでそう言った。私は父に駆け寄ると、飛び跳ねながら言った。
「お母さんがおつきさまくれるって!」
「え?」
「おつきさまくれるの!」
「……?」
父は首を傾げて見せた。私は父の手を引っ張って父に月を見せに行った。
そして、手をいっぱいに伸ばして月を指差す。
「おつきさま!」
父はしばらく月を見上げた後、母をゆっくりと振り返った。
「まだ決めたわけじゃないけど。買えるのよ、月の土地」
「ああ、それね」
そして父は月を背中にまわした。私も父に習う。
「俺は嫌だなぁ、そういうの」
「え?」
「月は誰のものになっちゃいけないんだよ」
そこで父は、私の頭の上に手を置いた。そして私を見下ろしながら言った。
「月はなぁ、太古の昔から皆のものだったんだ。誰かが所有するとかはロマンがないと思う。建物が建っちゃだめなんだ。荒野がいいんだ、月は」
「あらそう?
でもいつか子どもたちが月に行って、お互いの家を訪ねたり地球を見上げたりするのもロマンだと思うけれど」
母がまじめに言うと、父はその意見を鼻で笑った。
「月になんて行けやしないよ」
母は腰に手を持っていき、受けてたつわよという顔をした。
「孫やひ孫が行くかもしれないわ」
「壮大な計画だなぁ。ともかく俺はヤだ」
父はそう言うと私を抱き上げて「お月さんはえらいぞ」、と歌いながら家に入って行った。後ろから母がついてきて、壮大な計画な話をする。腕の中で見上げると、父は笑っていた。
若い両親は、優しい顔をしていた。




私はそこで目を覚ました。目を擦りながら体を起こすと、まだ夜であることに気づいた。
どうやら少しの間だけ眠っていたらしい。パジャマに着替え、電気を消し、改めてベッドに入ろうとする直前ふと思いついてカーテンをそっと開けてみた。
空には黄金の月が輝いていた。




翌週の休日。
再び私たちは実家の片付けに集まった。今日は荷物の運び出しだ。
一番上の兄の家族と、姉の旦那さん、二番目の兄の赤ちゃんと奥さんも来ていた。
さて、荷物を運び終わった後私たちは居間に集まった。
自然、話は月の話しになった。
「ねぇ、どうするの?」
切り出したのは姉だ。
二番目の兄と私が顔を見合わせていると、一番上の兄が口を開いた。
「うちは売らない」
「どうして?」
姉は聞き上手だ。わりと口下手な兄からも言葉を引き出すのが上手い。
兄はちらりと離れたところにいる自分の子どもたちを見た。そして傍らの奥さんと顔を見合わせ、頷きあう。
「子どもたちが月に行きたいって言うから」
「……。それで?」
その質問に答えてくれたのは、奥さんだった。
「それだけなの」
「……月に行くったって、まだまだ夢の話じゃあないか。大体行って何すんだ?」
言ったのは二番目の兄だった。一般人のための開発が計画にあるとはいえ、ロケットにしろシャトルにしろお金持ちしか乗れない世の中だ。
「今じゃなくても、二十年後三十年後には変わってるかもしれない。
海外旅行だって安くなったんだ。そのうちそうなるさ」
「そうしたら、月に自分の土地があるって素敵じゃない」
と一番上の兄夫婦は再び顔を見合わせあった。
その意見に、残りの兄弟はなるほどと思った。
「で、あんたは?」
姉は次に二番目の兄、つまり姉にとっては弟を促した。
二番目の兄は頭をかいた後、こう言った。
「うちは、売る」
その返答に、一番上の兄は顎を引いた。
二番目の兄は奥さんの腕の中で手を握ったり開いたりしている赤ちゃんを見下ろしながら言った。
「兄貴の話で考えれば、月の土地ってのはこいつにとってはすごいいいものになるんだろうケドさ。
……何せコイツは生まれたばっかりだし、成長には金がかかるし、もし私立の高校行って大学も行きたいって言われたらやっぱり金はいるし。そんときのために、売るほうがいいかなぁってさ。
それに、コイツの兄弟もできるかもしれないしな。そしたら金があるっていうのはありがたいことだし」
「なるほどな……」
弟の意見に兄はすこし心を動かされたようだったが、兄は約束を絶対反古にしない人だった。
「で、姉貴はどうすんの?」
二番目の兄は、話をしたそのままの勢いで問いを返した。
「わたし?」
姉は胸に手を当てて、しばらく黙った後言った。
「売るわ」
「なんで?」
弟の問いに彼女は肩をすくめる。
「ここで売り逃したら、たぶんずーっと売れないわ。
一般人は今のところ月にはいけないしね。だから売るの」
「……そんだけ?」
「それだけ」
その言葉に、他の兄弟たちは押し黙った。その様子に姉は苦笑する。
「子どももいないし、二、三十年後なんて待ってられないしね。
もしよかったら兄さんの土地にお邪魔させてもらうわ」
姉の言葉に兄は苦笑する。
「子どもたちに許可をとってくれ」
そこで一番上の兄は私の方を向いた。
「お前はどうするんだ?」
私はその言葉に、ちょっと背を伸ばして答えた。
「私は、売らないわ」




二、三十年後の話だ。
月に町ができる。その町は地球とは違い二週間の昼と二週間の夜が続くのだ。
町の一角に、家がある。
ある姉弟が共同で所有している家だという。
その、すこし先に小さな駅がある。そこは昔ある男の所有していた土地だったが、その男は子どものためにその土地を売ったという。
そして、そこから東に抜けるとそこには地球観測所があるという。そこは、駅になった土地の男の姉が所有していた土地らしい。それ以上のことはわからない。
そこからまたすこし先に――サッカーグラウンドほどの空き地がある。
そこの持ち主は変わり者で、月には荒野があったほうがいいという理由でそこは空き地になっているらしい。
空き地は町の人たちの憩いの場所で、尋ねてきた人たちには「昔の月が見れる場所」として好評らしい。


二、三十年後、月のどこかでこんな話が聞けたら面白いと私は思う。



2005/05/05昴秀竜


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