「伯爵と平凡な娘」

ガラ・コンサートとある愛のかたち

第一話
「チケットの入手方法」

「悔しいぃぃ〜!」
ある日、アンナマリアが大学に行くと、唯一無二の親友ミリアムがそう言って抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと……」
突然の出来事にかなり面喰らいながらもアンナマリアは数分かかって数年来の親友を引き剥がした。すると、ミリアムは
「うわ〜ん」
と、ことさら演技くさい泣き声をあげた。アンナマリアがその一連の行動の意味が分からずに困惑していると、二人の共通の友人であるショーンがゆっくりとした歩調で現れ、女友達二人に向かってヤレヤレと首を振った。
「ちょっと、ショーン、これ一体何なの?」
「そいつがさ、入れ込んでるヤツがいるじゃん」
「?」
ショーンの返答にアンナマリアが要領を得ない顔をしていると、ミリアムが叫んだ。
「アルフレート・ベルゲングリューン!ミュージカル俳優!!」
「あ……ああ」
その言葉にアンナマリアはようやっと納得した。
アルフレート・ベルゲングリューン。
ミリアムが入れ込んでるミュージカル俳優の名である。

深みのあるテノール!
豊かな演技力!
整った顔立ち!
優雅な立ち振舞い!

「そんじょそこらの歌手崩れとは違うのよ!」
……と、言う点が魅力だとミリアムは言う。
だが実物を見たことがなく、また歌を聞いたことがないアンナマリアには(実はミリアムがCDを貸してきたことがあったが、世間でよくあるように聞けずに返してしまったという前科がアンナマリアにはあった)それが事実かどうか判断できない。
「で、その人とこの状態に一体何の関連が?」
アンナマリアは嘆くミリアムを片手であやしながら、半分呆れ、半分面白がっているような顔をしているショーンに訊いた。すると、ショーンは面白がりながら適当に言った。
「なんだっけ……鶏ガラスープがなんとかかんとか。」
「違うわよ!コンサート!ガラ・コンサート!」
ショーンのボケにミリアムの怒りの突っ込みがはいる。アンナマリアはまあまあと言いつつ聞いた。
「ガラ・コンサート、って何?」
「あのね、街のコンサートホールが改装中なの知ってるでしょ?」
「うん」
アンナマリアは街の中心部にある今は鉄の足場に囲われたとある建物を思い出しながら答えた。その返答に力を得たようにミリアムは続ける。
「その改装が終わるの。で、その改装終了記念のコンサートがあるのよ〜。
それがガラ・コンサート」
「なるほど。で?」
「そのコンサートでアルフレートが歌うの〜!!」
ミリアムはそこで地団駄を踏んだ。
その動作に――……何となく読めてきた……、とアンナマリアは思ったが黙っていることにした。そしてあえてミリアムに話を続けさせる。
「でね、でねっ、そのコンサートのチケットが昨日発売だったの!
でも、五分でっ、売り切れ!!」
ああやっぱり、とアンナマリアは納得した。そしてことさら同情めいた声で
「それは残念だったわねぇ」
と、言った。するとミリアムはまたも地団駄を踏んだ。
「そうなの!もう超くやしい〜〜〜!」
「……でもさ俺よく知らねえけど、アルフレート・ベルゲングリューンってミュージカルファンには超有名で、ヨーロッパ中つか下手したら世界中にファンがいるんだろ?
なんでこんな街にくるんだ?ホールだって別に特別でかくねえ、有名でもないしなあ」
ショーンが割って入るように疑問を呈すると(ちなみに彼が挙げた話は全てミリアムからの受け売りである)ミリアムが目を光らせた。
「それは彼がこの街出身だからよ!」
「「そうなの?」」
以前にも聞かされていたかもしれないが、二人が忘れていた“新事実”にアンナマリアとショーンはほぼ同時に声を上げた。
「そうよ!でも、私たちの大学には音楽ができる学科がないでしょう?だから彼はウィーンの大学に進学したわけ。今の活動の拠点は、――というか、ここら辺にそういう大きな劇場ないからだけど――やっぱりウィーンとかベルリンとか、エッセンなのよ。
でも今回は、故郷の街の一番大きいホールの改装記念だから、特別に来てくれるの!」
「へぇ……」
そんな有名な人がこの街の出身なんだ――アンナマリアがそう思っていると、
「ああ!」
と、シェーンが声を上げた。
「お前、バイトしてないもんなぁ。ウィーンだのベルリンだの、そんな遠くて都会なところ、行けないんだろ。
だから余計今回チケット取れなかったことを悔しがってる、と」
「五月蠅いッ」
ミリアムはシェーンの脛あたりを思いっきり蹴飛ばすと(案の定シェーンは「痛ぇ!」と言って飛びあがった)、はぁ、とため息をついた。
「久しぶりに生でアルフレートの歌が聴けるチャンスだったのに〜……」
その本当に残念そうなミリアムの様子に
「残念だったね」
とアンナマリアは今度は心からの言葉をかけた。
「そうよ〜〜〜!ほんっっとに悔しいっ!」
しかしそこで、ほかの見ず知らずのファンの悪口――例えば「いつも見れる人はひっこんでろ」とか――を言わないことがミリアムのいいところだよなぁ、と悔しさばかりは分かち合えないミリアムの親友アンナマリアは思っていたのだった。



そんなふうにミリアムが悔しがっていたのが、ハロウィンの少し前のことだったと思う。
それから、二ヶ月ほど後のこと。


「アンナマリア、再来週の週末、空いているか?」
とある日の夕食にて。
なにやらダドリーに耳打ちされた伯爵がアンナマリアに言った。
「えぇと、いきなり天文イベントが起こらなければ」
「それはよかった。いや実は、言い忘れていたのだが、その日コンサートに招待されていたのだ。」
「コンサート……?」
はて、なんだろうか。何か心に引っ掛かる。
「街中のコンサート・ホールが改装してね。リニューアル記念にガラ・コンサートが開かれるのだよ」
「へぇ……」
なんだろう、引っかかるが思い出せない。と、思いつつ、アンナマリアは伯爵の話を聞いていた。
「実はな、そこで歌うメインのソリスト――テノールなのだが、彼がウィーンの音大に進むときに資金面で世話したのだ。」
「資金面……ですか」
「そうとも。わたしは優れた才能が有りつつも、資金面で就学が困難なこの街出身の者に奨学金を貸し出しているのだ。超低利子でね」
「あ、なんかそれ聞いたことあります。友達も――マイクだったかな、貰ってるはずです」
「そうか。で、そのテノールの彼も資金面で困難を抱えていたのだ。その後有名になって奨学金は返し終えたのだが、わたしに恩義を感じているらしく凱旋公演とも言える今度のガラに招待してくれたのだ。」
「へぇ」
……はて、何か聞いたことのあることばかり伯爵の口から発せられるような。
アンナマリアは内心首をかしげた。
「招待状は二枚。女性同伴で、ということだろう。アンナマリア、イブニングドレスは持っているかい?」
はた、とそこでアンナマリアは思い出した。それからおすおずと、伯爵に切り出す。
「伯爵、あの、もしかしてそのテノールさん、アルフレート・ベルゲングリューンって人じゃあ、ありませんか……?」
すると伯爵は目を丸くした。
「よくわかったな、そのとおりだ。」
アンナマリアはガタンと立ち上がった。
「と、友達がその人の大ファンなんです!」
おや、と伯爵は眉をあげる。
「で、今回のそのコンサート、五分で売り切れたらしくて、チケット取れなくて凄く悔しがってたんです!」
「それで?」
あわててまくしたてるアンナマリアに、伯爵は優しく先を促した。
「あの、だから……私じゃなくて、その子連れていってくれません?」
アンナマリアは真剣に言った。しばしの沈黙が流れた後、伯爵はその言葉を噛み締めるかのように幾度か頷いた。
「なるほど。麗しい友情だな。
しかし、アンナマリア、わたしは吸血鬼だ」
アンナマリアはそこであっと声を上げた。
「私の正体を知らぬ女性と桟敷席(ボックス)に座るのは、いささか自信がないな」
伯爵がそう言うと、アンナマリアは納得してため息をついた。
「じゃあ、私、留守番してますから。シビラさんかマーサさんと行ってください」
すると伯爵は少し驚いたようだった。
「何故だね、わたしと一緒は嫌かな?」
アンナマリアはゆるく首を振る。
「一番ファンの友達が行けないのに、わたしが抜け駆けみたいなのをするのは、ちょっと」
「なるほど、しかしマーサを連れて行くのはいささか無理だ。彼女には仕事があるし。
シビラにいたっては『アンタと個室に閉じ込められるくらいなら崖から海に落ちてやる』と一度言われたことがあってな」
「……たまに思うんですけど、伯爵ってシビラさんに嫌われているんですか?」
「単なるリップサービスだろう」
リップサービスにしては過激すぎでは、とアンナマリアは思ったが言わなかった。
「君が行かないから、お断りするしかないな。今から誰か探すのも面倒だ」
伯爵はそう言った後、深く深く息をつきながらそっと言い足した。
「……久々のコンサートなので楽しみにしていたんだが。日光アレルギーなので昼間に移動できないしね……」
伯爵の悲しげなその表情に、アンナマリアはなんだか罪悪感を覚えた。
「本当に楽しみだったのだが。なかなかこのように招待状をもらうことはなくてね。
それにガラが終わった後は、食事にも誘われていて。本当に久々に屋敷の外での食事と会話を楽しみにしていたのだが、本当に」
さらに言い募られた伯爵の言葉にアンナマリアの罪悪感がチクチクと刺激される。
「ああ、本当に残念だ」
とどめとばかりに言われたその一言に、アンナマリアはぐっと頭をもたげてしまった。
その数秒後。
「……あの」
「なんだね?」
悲しげな顔で伯爵が彼女を見る。
「……い、行ってもいい、です……」
伯爵はその言葉に、もう一度言ってくれ、とばかりに身を乗り出してきた。
アンナマリアはつられてもう一度その言葉を言い直した。
「えと……、連れて行っていただきたいです……」
心の中で付け足した「申し訳ないので」と言う言葉は伯爵には聞こえなかったろう。
だが、その「申し訳ないので」こそが伯爵の狙いだったことにアンナマリアはすぐに気づいた。
見れば、にっこりと伯爵が笑っている。
「では、アンナマリア、話を少し前に戻すがイヴニングドレスは持っているかね?」
――はめられた。
その笑顔から全てを読み取ったアンナマリアはがっくりと心の中で脱力した。



そして結局、はめられたアンナマリアは「イヴニングドレス」とやらを所持していなかったので、夕食後すぐにマーサに体のあちらこちらを採寸されることとなった。
図り終わると、優秀で体格のいい使用人は、ドンとひとつ胸を叩き
「全てはマーサにお任せくださいまし!」
と言った。
その言葉はアンナマリアの心にちょっぴり不安を呼び起こさせたが、断る理由もなくまた断っても仕方ないので、彼女はマーサに全てを任せることにした。

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