「伯爵と平凡な娘」
メアリー・マグダレン
第三話

地域、最寄の町の名前、マグダラのマリア、教会、尼僧院、墓地。
アンナマリアは伯爵に与えられたヒントをひたすら検索領域に打ち込み、検索を続けていた。
「伯爵、ここは?」
「違うな」
「じゃあこっち」
「……国がそもそも違う」
「……。ええとじゃあコレ」
アンナマリアが示したいくつ目かの検索結果の画面を、伯爵はじっと見つめた。アンナマリアはそんな伯爵を見上げていた。
「……場所は?」
アンナマリアは画面のとある場所を示した。伯爵はしばしその文字と数字を見つめ、ひとつ頷いた。そこへ、ダドリーとマーサがやってきた。
「まったく、ご主人さまったら時々計画性がなくて……」
マーサはまたなにやらブツブツ言っている。伯爵とアンナマリアはそちらを振り返った。
見れば、忠実な執事と少々口うるさい使用人頭はそれぞれマントとそろいの黒い服を手にしていた。
「手間を掛けさせたな、マーサ」
「はい、まったく。今度からせめて前日に言ってくださいまし」
そう言いつつも、マーサの目にはプロの誇りがあった。それに相応しく、古すぎる黒い服は美しくアイロンがかけてあった。
「ありがとう、マーサ。ではわたしは着替えてくるよ」
「お手伝いいたします」
ダドリーは主人について、伯爵の着替えを手伝いに行った。
アンナマリアは黙ってそれを見送った後、ふと画面に向き直った。
マグダラのマリアの名を冠する尼僧院――時にキリストの妻とも噂される聖女は、娼婦の守護聖人でもあった。




もはや夜の女神も西の領域へと足を踏み入れていた。
山奥深くにあるマグダラのマリアの名を冠する尼僧院――そこは女たちだけで営まれる、あるいは男だけのものよりも過酷な修道院であった。
その扉を、叩くものがひとり。それに対応したのは、太陽よりも早く起きることを自らへの戒めとする尼僧院長であった。
そろそろ老年にさしかかろうかと言う彼女は、祈りの最中であった。彼女は神へ断りを入れて一度祈りを中断すると颯爽と扉へと向かった。まだ世は暗い。彼女は蝋燭を携えていた。
「どなたです?」
扉越しに深みのあるアルトで尋ねると、応えたのは寒々しいバリトンだった。
「女が一人死んだ。世にとってはどうと言うこともないが、街の教会も、外れの修道院も頼みにはならん――ここならば、どうか」
尼僧院長は扉を開けた。
バリトンは美しい男の姿をしていた。
尼僧院長は蝋燭をかざした。男の腕には、まるで眠ったかのような女がいた。
肩が大きく露出した服、すこし派手めの化粧――尼僧院長は女の職業を悟った。
「お入りなさい――夜明け前が一番暗く、また冷えるのです。
さあ、こちらへ」
尼僧院長は二人を礼拝堂へと通した。妙に白い顔をした男が、そっと祭壇に女を下ろす。
「お仲間がおられることでしょう。葬儀はどちらかといえば、いまだ生きるもののためなのです――葬儀の日までは彼女はここで。彼女のお友達やお仲間にどうぞここをお教えなさい。お墓もきっと用意しましょう」
男はすっと尼僧院長に頭を下げた。そして、女の白い血の気の引いた頬を撫でながら言った。
「日が昇る前にわたしは行かなければならない――どうぞ彼女の友人たちが来るまで付き添っていてほしい」
「ええ、きっと、誰かを付き添わせますよ」
尼僧院長は優しいアルトで答えた。すると男は祭壇の向こうの十字架と、その隣に掛けてある香油瓶を持った豊かな髪の美しい女を描いた絵画を見やった。
「ここの聖人は、彼女にも優しいか」
「ええ、きっと、誰よりも」
「穢れた職についていたものは天国というものにいけないと聞く――」
男はそこで尼僧院長をまっすぐに見つめた。
「彼女もやはり彼女が信じた天国に行けないか?」
尼僧院長はじっと、男を見つめ返した。
「いいえ。彼女の心に神がいらっしゃったのであれば、彼女はきっと天国にいけますよ」
男は黙って、顔を俯かせた。そして、男は風より早く踵を返した。
室内で奇妙にも巻き起こった風に流されそうになった頭巾(コイフ)を思わず尼僧院長が押さえると、風の向こうに感謝の言葉が聞こえた気がした。
尼僧院長は風が収まると、静かに十字を切った。
「……神のご加護があらんことを」
外には新しい日が迫っていた。




まるでシラノかダルタニヤンかシェークスピア劇の誰かみたい、とアンナマリアに評された格好をして、伯爵はとある尼僧院の裏手にある墓地にいた。
月が雲に見え隠れする夜だった。
――いや、どれもはずれなのだが。
伯爵は苦笑しながら墓地を行く――目指す墓碑は、墓地の端にある。
いまだに活動を続ける尼僧院に付属している墓地だからだろうか、墓地は隅々まで掃除が行き届き、むしろ数百年前よりも美しい。
たどり着いたひとつの墓碑も、そうだった。もう風化によって掘り込まれた文字は読み取れない上に角が欠けていたが、苔も綺麗に取り払われ、ただの石っころとして見逃してしまうようなこともない。伯爵はその前に静かに屈みこんだ。
「薄情者の登場だ――君も覚えていてくれるといいんだが」
墓碑は黙って答えない。
「イマイチどれもぴんと来なかったんだが――やっと見つけたよ」
伯爵は携えていた、淡い色をした幾重にも重なる花弁を持った美しくも可愛らしくもあるバラをそっと墓碑の前に置いた。
「実を言うと、この花のおかげで思い出したわけだが――“メアリー・マグダレン”というそうだ」
それから伯爵は、何か言葉を重ねようとしたがどれも上手くいかなかった。
「忘れていて申し訳ない。いや――実は忘れていなかったのかもしれんが」
辛うじて上手く出たのは、言い訳がましい言葉だけだった。思わず情けなくなって空を見上げると、優しい夜風が吹いた。その風の優しさにかつて“夜の騎士”と呼ばれた男は苦笑した。
そして男は墓碑銘のあった場所をひとつ撫でると、すっと立ち上がった――マントが優しい風と戯れた。
「それでは、また――また、何百年か先かもしれないが」
男はここに初めて来たときのように風を巻き起こしてまた去った。
――優しい色をしたメアリー・マグダレンの花弁がいくつかふと彼にすがるように舞い――諦めたかのように、地に落ちた。




翌朝、早起きが自慢の見習い尼僧が日課の朝の墓所掃除でメアリー・マグダレンの可愛らしい花束を見つけ、あれから何代か後の現在の尼僧院長にそれを見せることになる。
そして二人が、きっと優しい方がいらっしゃったのね、と微笑みあうのは――風変わりな吸血鬼とは永遠に関わりのない、他愛もないやり取りだった。

End.

BGM.“SCARBOROUGH FAIR”


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