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「魔法使いと記憶のない騎士」
―番外編―
ラボレムス山、いつかの夏

「いやだぁぁぁぁぁ!!!こっち持ってくんなぁ!!!捨てろよぉ!!!!」
「……。」
夏。緑の木々や草花たちがキラキラ輝く日光に手を伸ばし、独特の騒がしい空気をその偉大な体に抱えるラボレムスの山に、クラウディース一家が遊びにやってきていた。
エレオノーラはこのときまだ十にわずか届かぬ歳だったと思う。
ジリジリ熱くなりつつある、午前中のことだった。太陽が南中するのと、昼ご飯の時間になるのにはまだ間があるころだったように思う。
その時、彼女の幼馴染のルキウス・クラウディースは追い詰められていた。エレオノーラによって。
いや、正確にはエレオノーラが大切に手に持っている物によって。
エレオノーラには何故彼が追い詰められているか、わからなかった。
「どうして捨てなきゃならないの?村の皆に見せたらすごいって言うよ?」
「オレは村の子じゃないぃ〜〜〜!!!」
ルキウスはじりじりと迫ってくるエレオノーラから逃げようとした。だが後ろはエレオノーラの家、通称“オメガの館”の壁でできた行き止まりだった。日陰の中のひんやりした壁が、彼の恐怖を増幅させた。
――もう逃げられない!
ルキウスは半泣きだった。
エレオノーラはじりじりと彼に迫るのを一旦中止すると、手の中の“宝物”をしげしげと眺めた。
――これが怖いの???
エレオノーラはいつも、ふもとの村の子どもたちと山に入っては“コレ”を探している。エレオノーラと村の子どもたちにとって、“コレ”は“宝物”なのだ!
大きいのを見つけたら、一番。
いやいや、珍しいのを見つけたら一番。
いやいやいや、数を多く見つけたら一番。
いつも一番の決め方は違ったが、いつもエレオノーラはどんけつだった。
それが今日は、数はともかくとして、大きくて珍しいのを見つけたのだ。
せっかくなので、村の皆に見せる前にルキウスに見せてあげようと思ったら、この始末。
――???
エレオノーラはわけがわからない。
だがルキウスはひたすらに怯えていた。



――エレオノーラが手に持っていたのは、



セミの抜け殻だった。



「うわっ」
仕方ないので、屋敷の中で本を読んでいたマーカスのところにセミの抜け殻を持っていってみた。
すると、みんなの兄さんはエレオノーラに差し出された物に素っ頓狂な声を上げて読んでいた本を落っことしてしまった。
「セミの抜け殻よ」
「……セミって外でミンミンうるさく鳴いてる虫だよな?」
「うん。でもこれは、ミンミン鳴くのより珍しいセミの抜け殻なのよ!」
「……ふぅん」
マーカスはやや身を後ろに引いてそれを眺めていた。
触ろうともしない。
「……珍しい物見せてくれてありがとな」
マーカスはやや棒読みの口調でそう言うと、落とした本を拾い上げた。
エレオノーラは不満だった。



不満だったので、今度はアウレーリアとコルネーリアに見せに行った。
エレオノーラより年下の都会育ちの双子の女の子たちは、どこかグロテスクな物体を平気で持っているエレオノーラに信じられないといった視線を向けてきた。
エレオノーラは悲しくなった。



しょんぼりしながら、さてこれをもって村まで下りたものか、とエレオノーラは思い始めていた。
思えば、これは村のニールやアンナがとったやつより小さい気もするし。
お客さんには、喜んでもらえなかったし。
捨ててしまおうか。
そうエレオノーラは考えていた。



「おや、エレオノーラ。どうしたのかね、しょんぼりして」
そこへ優しいバリトンの声がかけられた。父の声より低い音域の声に振り返ると、そこにはタイベリウス=ギュスターヴ・クラウディースがいた。
マーカス、ルキウス、アウレーリア、コルネーリアの父親の“おじさま”である。
しょんぼりしながら、エレオノーラは言った。
「セミの抜け殻をみつけたの……」
「ほう、セミの」
「珍しいのよ、それに、たぶん、皆が見つけたなかで二番目くらいには大きいの」
「ほう」
クラウディースはエレオノーラの傍らに来ると、彼女の目線まで膝を折っておりてきた。
それから彼はエレオノーラが後生大事に両手でくるんでいる物体に興味を示した。そして父親独特の大きな暖かい手で少女の手首を支えた。
「わたしが君くらいの時にはもう、本の虫だったからね。木にしがみついてジリジリ鳴く虫を間近で見たことがないんだよ。
本邸ではたくさん鳴いていたなぁ」
「おじさま、見るの?」
「見せてくれるんじゃないのかね?」
クラウディースはにっこりとした。エレオノーラはしょんぼりしていた顔をぱっと明るくした。
しかしすぐに、“都会っ子”たちの反応を思い出して神妙になった。
「でも、あんまり、きもちのいいものじゃないと思うわ」
「ほほぅ、それは面白そうだ」
だがクラウディースは都会っ子たちのように嫌な顔はしなかった。なので、エレオノーラはそぅっと両手を開いて見せた。
エレオノーラの両手の上にはなるほど、なんとも奇妙で見ようによってはグロテスクな、足のたくさんある、白だが茶色だかわからない物体があった。
しかしクラウディースは別に驚かなかった。
「うん、確か、子どものころ偶然に見かけたことは何度かあるなぁ」
そう言ってそっとセミの抜け殻をエレオノーラの手からひょいとつまみ上げた。エレオノーラは慌てて忠告する。
「強く握っちゃだめよ!」
クラウディースはそんな小さな娘の忠告に特に怒るでもなく、逆に笑ってわかってるとも、と言った。
そしてクラウディースは掌の上でセミの抜け殻をひっくり返したり、いろいろな方向から見るために動かし続けた。
「なるほど、こういうものだったのか……。それにしても、殻を脱ぐという行為は実に興味深いなぁ」
エレオノーラは自慢げに後ろで手を組んで胸をそらした。クラウディースはそれを見て彼女に質問した。
「これは大きくて、珍しいんだろう、エレオノーラ?」
「うん、ミンミン鳴く普通のとはちょっと違うのよ!」
自信満々に答える友人の娘にクラウディースは目を細めた。
「そうか、しかし、わたしはミンミン鳴く普通のを知らないのでよくわからないなぁ。
ミンミン鳴く普通のヤツの抜け殻は、どういったやつなんだい?」
するとエレオノーラは少し期待を含んだ表情でクラウディースに言った。
「ここには今ないんだけど、そこらじゅうにいっぱいあるわ!
おじさま、一緒に探しに行く?」
「ほう!それは名案だ。野山を自由に歩くのは本当に久しぶりだぞ」
エレオノーラはぴょんとひとつ飛び跳ねて、喜びを表した。
「それじゃあおじさま、行きましょう!」
エレオノーラはまずクラウディースから珍しいセミの抜け殻を返してもらい、後生大事にそれを仕舞いに部屋に戻った。
クラウディースはその間にどこぞに引っ掛けてあったエレオノーラの父の麦藁帽子を拝借した。
駆け足で戻ってきたエレオノーラにそれを被せて――帽子はぶかぶかだった――、二人は外へ出た。ラボレムスの山の中とはいえ、日差しは強いのだ。
そしてよく耳を澄ませば、ミンミンという声の他にかすかに、違うセミの声が聞こえてくる――ような気がした。



結局、午後遅くにエレオノーラはいくつかのセミの抜け殻をもってふもとの村まで遊びに行った。
いくつかの、の“いくつか”はクラウディースのおじさまと一緒に見つけたものだった。そして最初に見つけた珍しくて大きなセミの抜け殻は、最終的に村でこの夏一番の得物となったのだった。



そしてその夜、子どもたちも寝静まった頃。
昼間の街中とは違い、山の夜は涼しく過ごしやすい。
「うらめしや……」
そんな空気の中、突然耳元で響いた男の声にクラウディースは思わずわっと声を上げて読んでいた本を落としてしまった。その声に少し離れていたところで話し込んでいた二人の夫人もびっくりした。
クラウディースが振り返ると、そこにはエレオノーラの父が陰気な顔をして立っていた。
「ルーファウスじゃないか、なんだ、いきなり。趣味が悪いじゃないか」
「うらめしや、タイベリウス。ああ腹の立つ」
ルーファウス、と呼ばれたエレオノーラの父はゆるゆると首を振った。
「一体どうしたんだ、君に恨まれる覚えは一切ないが」
「なんと一切ないと!さらに、うらめしや!」
「ええい、なんでもいいが、その幽霊みたいな言い回しやめないか!」
するとエレオノーラの父はため息をついた。
「この色男のクラウディースめ。うちの娘はやらんぞ」
「……まったくもって意味がわからんぞ、君は」
「まったく君は、本当に色恋沙汰に疎いじゃないか、うらめし――……、まあ、いい。
昼間、娘の面倒を見てくれてありがとう。だがな、おれはきみが婿になるというのは嫌だぞ」
「……は?」
クラウディースはさすがに眉を上げてみせた。
「くそう、娘の初恋がこんなおじんだとはいやはや、いやはや、まだ村のニールの方がましだぞい」
その一言で、クラウディースはなぜ友人に恨まれているのか理解した。
「おじんとはなんだ。失礼だな君は。
ともかく、わたしはノーラの初恋の人という名誉ある地位に浴することになったのだな。いや、本当に光栄だ」
クラウディースが嬉しそうにいうとエレオノーラの父は地団駄を踏んだ。
「くそう、娘の初恋相手は父親と相場が決まっているのに……」
「残念だったな、我が友よ」
クラウディースが勝ち誇ったような態度に、エレオノーラの父は本当に悔しそうな顔をした。
そして、離れたところにいた夫人二人――エレオノーラの母とクラウディースの妻は二人の様子にくすくす笑いだした。



その後のその夏の間、エレオノーラはセミの抜け殻探しよりもタイベリウス・クラウディースと話し込むのに忙しかったという。
そして彼女の父は、畑仕事よりも娘を構うことに精を出して嫁に叱られたそうだ。


そして夏は終わる。

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