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「魔法使いと記憶のない騎士」
―過去の断片―
「十年前」

――もはや季節は冬になりかけていた。
木々から色が去り畑からは実りが消えたラボレムス山のふもとを、小隊ほどの数の馬が北風のように行く。
その先頭にいるのは、黒い馬に乗った壮年の男である。彼は鎧を着けない簡易武装をしており、腰には剣を佩いていた。
彼を飾る品々は質実剛健な物であったが、見る人が見ればそれらは素晴らしい一級品だとわかったことだろう。
一団はふもとの村には目もくれず、ラボレスム山を駆け上っていく。
馬車がやっと通れる程の、決して恵まれていない道を進む。すると彼らは、その道の先に山の中にふさわしくない立派な屋敷を見つけた。
「止まれ!」
壮年の男は後に従う男たちに命じた。手綱が引かれ、馬は勢いを落とす。
隊が止まったのは、屋敷の前の鉄の格子の門の前だった。
壮年の男は、屋敷を見上げる。口から吐かれる荒い息は白くなり始めていた。
屋敷に人の気配はない。だが最近まで人が住んでいたものらしく、廃墟にはなっていない。
「……五人ほどわたしと共に中へ。他は見張りの者と周囲を捜索するものに別れてくれ」
男はひらりと馬をおり、腰の剣を確認しながら鉄の門へと近づいた。彼が命じた分の兵士がその後に続く。
男が門に手をかける。するとキィと音を立てて門は開いた。よく見れば頑丈な鉄の門はなぜか形がゆがんでいた。
前庭に足を踏み入れる。
男が以前ここに来たときには、そこには実り豊かな家庭菜園が広がっていた。
収穫が終わったこの時期には、優しく土が整えられ休んでいるはずであった。
だが今は、無残にも土は踏み固められていた。
無数の軍靴の跡が畑にはあった。
男はそれをしばし睨みつけたあと、屋敷へと向かった。
男は玄関ドアにたどり着くと、そっとノブに手をかけた。するとどうだろう。ドアはまだ押してもいないのに、屋敷の中へと倒れてしまった。
男と兵士は呆然とそれを見つめる。
よく見れば、蝶番がボロボロに傷つけられていた。
「……」
男と兵士は無言でドアを踏み越え、屋敷の中へと入った。
入り口のホールの床にも無数の軍靴の跡があった。飾ってあったと思われる壷は床に叩きつけられ砕けており、のんびりとした風景を描いた絵画もズタズタに引き裂かれている。
兵士たちは呆然としたまま、そこを見渡した。
「閣下……」
あきらめの混じったような悲しい声で閣下と呼ばれたのは壮年の男である。
壮年の男はホールの中心に立つと、屋敷に響き渡るように叫んだ。

「エレオノーラ!
クラウディースのおじさんが来たよ!
さぁみんなでローランドへ行こう!
もう大丈夫だから、出てきなさい!」

声は屋敷に反響する。
男たちは注意深く辺りを見渡し、何か動くものはないかと耳も澄ました。
だが返事はなく、また何も動くことはなく、男の言葉は屋敷のいずこかへと吸い込まれていった……。



「ランドマール伯爵!」
ランドマール伯爵であるクラウディースは、屋敷の中を探し回った。
探しているのは亡くなった友人の一人娘である。エレオノーラというその娘は、もう二年も前に母親も亡くしていた。
彼の友人である彼女の父は、死の床でクラウディースに助けを求めた。


『私がいなくなれば、リュオンの摂政が娘に何をするかわからない。
娘を一人前になるまで手元に置いてくれないだろうか』


手紙を貰った数日後、友人は亡くなった。
だがクラウディースは国で大事な仕事を抱えておりすぐに動くことも出来ず、またその仕事のために人員を割いていたためすぐにエレオノーラを保護することが出来なかった。
その間に、隣国の摂政が動いてしまった。
そのため、屋敷には探し回ってももう誰もいなかった。
「ランドマール伯爵!」
「ああ……」
彼は呼ぶ声に気づいて振り返った。そこには捜索から戻ってきたらしい兵士が一人。
「どこにも何も、いませんでした」
「では、なにか物は見つかったかね」
「全く」
「そうか……」
クラウディースはそう呟くと、歩き始めた。兵士はどうしようか迷ったようだったが、静かに彼の後ろについてきた。
たどり着いたのは、裏庭にある白い廟である。
「すまない、一人にしてくれ」
「はっ」
クラウディースは兵士が行ったのを見ると、そっと廟の扉に手をかけた。
重い扉が開くと、そこには幾つかの骨壷が並んでいた。
手前に、真新しい白い骨壷と少しくすんだ色の骨壷が並んでいる。
それは友人夫婦の骨壷であった。おそらく、娘自身によってそこに並べられたものであろう。
クラウディースはその骨壷の前に跪き、頭を垂れた。
「……友よ、許してくれとはいわない。だが間に合わなかった。
……君たちの娘は必ず見つけ出す。
それまで、……それまでどうかエレオノーラを守ってやってくれ……」
クラウディースはそう言うと、目を瞑り祈りをささげた。



「奥様、旦那様がお戻りになられました」
編み物をしていたランドマール伯爵夫人ヴィプサーニアの元に執事がやって来てそう言った。
ヴィプサーニアは編み物を放り出すと、スカートを少しつまんで小走りで玄関に向かった。
階段を駆け下りて、彼女がホールに見つけられたのは夫の黒い簡易武装姿だけだった。
ヴィプサーニアは思わず足を止める。
すると夫と目が合った。夫の哀しげな目にいたたまれなくなって、ヴィプサーニアは彼に駆け寄るとそっと彼を抱きしめた。
「……遅かったよ、ヴィプサーニア……」
「いいえ。確かに遅かったかもしれませんが、遅すぎたかどうかはわかりません」
クラウディースをそっと見上げ、ヴィプサーニアは言った。
「明日には陛下がお貸しくださった密偵がリュオンから戻ってきます。
彼はいい報せをくれるかもしれません。どうか気を落とさないで」
それでも哀しげな色をたたえたままの夫の顎にヴィプサーニアは勇気付けるように口づけた。



子どもたちは父が一人で帰ってきても何も言わず、じっと耐えていた。
そして翌日、皇帝直属の密偵がやって来て父に何か話をしていった。それまで子どもたちはじっと耐えていた。
だが父の書斎に呼ばれた時についに子どもたちは爆発してしまった。
「エレオノーラ、死んじゃったの?」
三番目の子アウレーリアがそう言うと、次男坊のルキウスが怒った。
「なんてこと言うんだ!」
「だって」
クラウディースは額を撫でながら子どもたちに言った。
「エレオノーラは死んでいないよ。不吉なことを言うんじゃない」
疲れた様子の父に、子どもたちは口をつぐんだ。
「母さん、それでどうだったんです?」
長男のマーカスはあえて父の傍らの母に聞いた。ヴィプサーニアは子どもたちに座るように促し、質問に答えた。
「エレオノーラはリュオンの摂政に連れて行かれてはいないわ。
ただどこにいるのかがわからないの。樹海に入ったということも考えられるそうよ」
するとコルネーリアが首をかしげた。
「樹海って危なくないの?」
「エレオノーラは宝妖のお友達がいるのよ。
もしかしたら宝妖のお友達の家にいるのかもしれないわね。ただ……」
「宝妖には排他的な部分がある。いつまでもいれるかどうか……」
下の二人は「はいたてき」の意味がよくわからなかったが、あまり良くない言葉だということは理解できた。
「じゃあノーラを早くお家に連れてきたほうがいいんだよね?」
コルネーリアがそう言うと、両親は頷いた。
「じゃあお父さん、探しに行こう!」
アウレーリアが元気よく言うと、クラウディースは首を振った。
「わたしには仕事があって首都を留守には出来ない」
すると、ルキウスが声を上げた。
「オレが探しに行く!」
ルキウスは父の前に行くと、訴えた。
「オレが探しに行くよ、オレ、長い間馬に乗っても大丈夫だし、な、いいだろ親父!」
「ルキウス……」
ヴィプサーニアは夫を振り返った。クラウディースは無表情だ。
「息子よ、世界がどのくらい広いか、お前は知っているか?」
「え?」
「お前がエレオノーラを探しに行きたい気持ちは痛いほどわかる。
だがお前は、どのくらい首都やランドマール以外の土地を見たことがある?
地図の上では平坦な山が、どんなに険しいのかお前は知っているのか?」
父の言葉に、ルキウスは精一杯答える。
「丈夫な馬がいれば大丈夫だ!」
「馬も生き物だ。
疲れもするし、時には病気になる。
お前は世話が出来るのか?」
「……」
ルキウスは唇を引き結ぶと、黙り込んでしまった。
そんな息子に、父は静かに言った。
「ルキウス、お前の気持ちはとても嬉しいし、エレオノーラが知ったら喜ぶだろう。
だがな、どうか夜中に無断で出て行ったりはしないでおくれよ。
わたしたちには、エレオノーラの心配だけさせてくれ」
父がそういうと、ルキウスは悔しそうに「はい」と言った。
「……引き続き、陛下に一個小隊を借りて捜索してもらうか。……いや」
クラウディースは、独り言のように言った。
「国境を軍人が色々と動くのはまずいか……」
「……退役した方などを雇ってみてはどうでしょうか」
ヴィプサーニアが言うと、クラウディースは頷いた。
「そうだな。それも考えてみよう。
……お前たちもいい案があったら教えてくれ」
父の申し出に、子どもたちは大きく頷いて見せた。



それから彼らとエレオノーラが再会するのは10年後の話である。

――旅路と交わる優しき家に続く――

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初出:web拍手用番外編ショートショート。再録に伴い若干改定。