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「魔法使いと記憶のない騎士」
第二十八話
男の買い物
―お嬢さまのつきそい―

その日、アーニャは牧場を訪れなかったためエンキは平和に過ごすことができた。
そして明日は休みだということで、これまでの給料も貰えた。
硬貨の入った皮袋は意外に重く、エンキはほっとした。
帰りの乗合馬車では、軟化した厩務員たちが色々と話しかけてきた。――厩務員頭を除いて。
あんたなんで旅をしてるんだい、どこへいくんだ、と言った質問から、あんた真面目だし力もあるからずっといてくれると助かるんだけどな、と言ったものまで様々であった。
エンキはそれに真面目に答えた。もちろん困ったこともあったが、それにはロイが助け舟を出してくれたりもした。おかげで、厩務員たちのエンキへの評価は良いものになっていた。
ただ、厩務員頭だけが責任感からか「おれは騙されん」という態度を取っていた。まだ疑われてるらしいことがエンキにはわかったが、やましいことは何もないので堂々としているしかない。
宿へ戻る道すがら、エンキは貰った給料でエレオノーラのマントを買おうと思った。
――好みがあるだろうから、聞いた方がいいかな。
そう思って宿に着くと、エレオノーラが先に帰っていた。
「……本当に部屋を変えてもらわなくていいのか?」
マントのことよりも、今朝のことがどうしても気になり結局最初にした質問はそれだった。
「ええ、大丈夫よ」
エレオノーラは仕事に行っている間に気を取り直したのか、いつも通りの彼女の反応を返した。
エンキはそれからもう一つ聞く。これが本題だった。
「そういえば、明日仕事はあるのか?」
「ええ、午前中からお昼ちょっとすぎまで。」
「そうか……」
夕方には、館長に食事に招かれているというので午後は余裕を持った方がいいだろう。
そう考えてエンキはエレオノーラを買い物に誘うのはやめた。
「そういえば、エンキ本格的に一人って初めてじゃない?」
エレオノーラが気づいて――もちろん彼の真意には気づかずに――エンキに言う。エンキはああ、と言った。
「宝妖の都でも、誰かと一緒だったしな。さて、明日はどうしよう」
「あなたのことだから、迷子にはならないだろうし散歩がてら買い物でもしてきたらどうかしら。ここは大きな街だし、いろいろ揃ってるわ」
「そうだな……」



翌朝、エレオノーラは仕事に出かけていった。
残されたエンキは窓から街を見下ろしながらさてどうしようかと思った。
――少し歩いてみよう。
そう思ってエンキは部屋を出た。放射状に広がる街は、いくつかの区に分かれている。
エンキはまっすぐ商業区へと向かった。
馬や馬車が活発に行き来している。エンキはそれを眺めながら、ゆっくりと歩道を歩いた。
しばらく歩くと、妙に馬車の車輪の音が耳につくようになった。エンキは不思議に思って立ち止まり、振り返る。すると後ろから来ていた馬車も止まった。
「やっぱり!エンキさんだわ!」
馬車の窓からひょこっと顔が出てきて、エンキは少々ぎょっとした。
「……やぁ、アーニャ」
エンキは一応、挨拶する。すると馬車のドアがぱかっと開き飛び跳ねるような勢いでアーニャが出てきた。
フリルのたくさんついたドレスに、大きなつばの飾り帽子。
あきらかに今からどこからに行くという衣装であった。
「……どうしたんだ?」
「どうしたんだって、エンキさんがいたから」
さも当然というように言われ、エンキは笑ってごまかすしかない。アーニャは後ろ手で手を組んで首をかしげて覗きこんでくる。
「エンキさんは、どこに?」
「……買い物。連れのマントがだめになったんで、すこし見てこようかと」
「連れ?」
アーニャはびっくりしたようにエンキを見た。エンキは首をかしげる。
「あれ、言わなかったっけ?……俺は二人連れで旅をしてるんだ」
「聞いてません」
いささかむっとしたような口調でアーニャは言う。エンキはその口調に頭を抱えたくなったが、なんとか堪えた。
「そうなんだ、二人で旅してるんだ。それで……」
「連れの人は?見当たりませんけど?」
「仕事に行ってる」
そう言うと、アーニャはふーんと言った。
「……もう行ってもいいかな?」
「でしたら、私もお手伝いします!」
――会話がかみ合わない。
エンキはがっくりと内心で肩を落とした。
「エンキさん、この街にあんまり詳しくないでしょう?私が教えて差し上げます!ね!」
「いや……」
エンキが断りかけると、馬車の中から悲鳴があがった。見れば、年配のアーニャの世話係らしい女性がドアから身を乗り出して叫んでいた。
「お嬢様!お父様とのお約束に遅れますよ!だめです!」
渡りに船だ、とエンキは思ったが世の中甘くない。
「いいの!お芝居なんていつでも見れるもの!」
アーニャは高らかに宣言した。エンキは内心で深く深く肩を落とした。
「……親孝行は、しといたほうがいいぞ?」
エンキが小声で言うと、アーニャはきょとんとしていた。通じなかったらしい。
するとその間に世話係が馬車から下りてきていた。
「……お嬢様、またワガママおっしゃいますのなら、馬車はこのまま帰りますよ!」
「いいの!私エンキさんと歩くから!」
「えっ!!」
エンキが声を上げると、世話係が彼に視線を移してきた。てっきり小言か何か言われるかと思ったら、哀れを含んだ視線をぶつけられただけであった。
「……あの、令嬢を歩かせるわけにはいかないんじゃあ。この通り私は旅の身ですし、信用も……」
エンキがあたふたと言い出すと、世話係はため息をついた。
「お嬢様は言い出したら聞かない方なんです。……エンキさん、でしたか。噂は聞いております、お嬢様から」
いやどんな噂だ、と思ったがエンキは口が開けなかった。
「……お見受けしたところ、悪い方ではなさそうなので、お嬢様をお預けします。
ああ、お嬢様のことですからその健脚で、自分で、ご自宅まで、戻られるでしょうから、帰りは付き添っていただかなくて結構です。
それではわたくしは、お父様へ謝罪に行ってまいりますので、よろしくおねがいします」
それだけ言うと、世話係はさっさと馬車に乗り込んだ。馬車は軽快に、だがすこし怒りを含んだように車輪を回しだし、行ってしまった。
エンキはついに、深く深くため息をついた。
「エンキさん?どうしたんです?さ、行きましょう!」
元気いっぱいそう宣言する着飾ったアーニャを、エンキは恨みがましげに眺めた。



「どんなものがいいんです?」
「丈夫なのがいいだろうな。同時に、手頃だといい。金があんまりなくてね」
「わかりました!えーと、兄が使っている仕立て屋が……」
歩きながら、アーニャは考える。エンキはアーニャの言葉にため息をついて、ふと気づく。
「連れは男じゃない、女だ」
「えっ……」
アーニャがエンキの言葉に立ち止まる。エンキはその数歩先で立ち止まった。
「言ってなかったか?」
「聞いてません」
アーニャは何故か少し怒っているようだった。エンキはもう帰りたくなった。
「……気が進まないのだったら、俺一人で探してみるよ」
と言いつつ、なぜ自分が下にでなければならないのかわからないエンキであった。
「いいえ!女性ものなら完全に任せてくださいっ!私も女ですからっ」
エンキはその力のこもった返答に「……そうか」と力なく答えた。



アーニャが紹介した一軒目の店は高すぎてダメで、二軒目は店の雰囲気にエンキが拒絶反応を示した。
そして三軒目に行く途中、エンキはふと立ち止まった。
「エンキさん?」
それはこぢんまりとした大人しい雰囲気の店だった。エンキはその店を指差し、
「ここに入ってもいいか?」
と一応アーニャに許可を取った。アーニャは店を見て、一つ頷く。
「いいですよ、でもなんか安そうです」
エンキはそれには応えず、ドアのカウベルを鳴らして店に入った。
店の全体が木目の調度品で整えられた品のいい店だった。
「いらっしゃいませ」
奥から出てきたのは、優しそうなすらりとした女性だった。
「何かお探しですか」
エンキは店を見回すと――店は女性向けの雑貨屋兼洋服屋のようだった――女性に言った。
「マントを一着探してるんですが、ありますか?」
「ありますよ。……妹さんにかしら」
店員はちらりとアーニャを見ていった。するとアーニャは過剰に反応する。
「妹じゃないです!」
「あら……ごめんなさいね。誰かへ贈り物ですか?」
「いえ、贈り物ってほどではないんですが……」
エンキが言うと、店員は一つ頷いて、洋服を飾っている場所に彼を連れて行った。
「その方の背丈はわかります?」
「ええと……あなたより少し高いくらいかな」
「どのくらい?」
問われてエンキは手でエレオノーラの背の高さを示した。
店員はにこりと笑う。
「それじゃあこれなんてどうかしら」
店員が出してきたのはすこし派手な、余所行き用らしいものだった。
エンキは首を振り、説明する。
「実は旅の途中なので、そういうのがあればいいんですが……」
「まぁ、そうですか……」
店員はしばらく考えた。そして、思いついたように裏方へと歩み去った。
「これなんてどうかしら……」
店員が裏から持ってきたのは、紺色のマントだった。襟が柔らかく首もとを覆うデザインになっていて、雨と風が体を冷やさないようなっている。ふと見れば、襟と裾にはにはささやかな刺繍が余計な主張をしないように少し暗い七色の糸でしてあった。
「これね、襟の裏にボタンがついてるの。」
そう言うと、店員は外してあったフードを取り付けてみせる。
「邪魔なときは外してもらってもかまわないし、どうかしら」
エンキはマントを受け取った。
「軽い」
「でしょう?でも生地が薄いというわけではないのよ」
そう言って店員はエンキに裏地を見せる。裏も抜かりなく縫い上げてあり、いい印象を持てる品だった。
「……うん、いいな。」
「どうなさいます?」
「これ、もらいます」
値段も手ごろだった。
会計の途中、店員はにこやかに話しかけてくる。
「優しい殿方の贈り物ですもの、喜ばれますわ。じつはこのマント、私が作ったんですよ。
もしお気に召したら感想を聞かせていただけると嬉しいですわ」
「伝えておきます」
そう言って目線を下げたエンキの目に、会計台に飾ってある櫛が目に付いた。
エンキはそれを取り上げて、光に透かす。すると櫛は、不思議な色を放った。
「めずらしいでしょう?宝妖の工芸品らしいんですけど」
「宝妖の……」
エンキの脳裏に都で出会ったエレオノーラの友人が浮かんだ。
「……これ、売り物ですか?」
「ええ。でもちょっと高くて売れないんですよ、うちの店じゃあ。
……、よかったらお勉強しましょうか?」
「え……」
くすり、と店員は笑う。提示された値段は手ごろなものだった。
「いいんですか?」
「ええ、どうぞ」
エンキは櫛を買い、マントと一緒に包みに入れてもらった。
店を出ようとすると、店員が見送ってくれた。
「私もお客様みたいに、贈り物をしてくれる優しい旦那さまがほしかったですわ。
うちのはどうにも、無愛想で」
そう言いつつも、店員の顔は幸せそうだった。エンキが頭を下げて店のドアノブに手をかけると、それまでの間店のものを見て回っていたアーニャがあわてて飛んできた。
エンキはちょっとがっくりした。
それでも店員の笑顔に見送られて、なんとか店を出た。



「エンキさん買い物は終わりですか?」
店を出たとたん、アーニャが聞いてきた。
「……ああ」
「じゃ、お茶でもしません?」
アーニャの明るい申し出に、エンキは思わず後ずさりした。
「いや……、連れが昼には戻ってくることになってるから、そろそろ戻らないと」
「……そうなんですか」
アーニャは心底悲しげだったが、エンキはそれを見ないようにした。
「それじゃあ、明日は?」
「仕事がある」
「……明後日は?」
「明日に同じく」
「…………明々後日は?」
――勘弁してくれ。
喉までその言葉がでかかったが、エンキは堪えた。
「……連れと約束がある」
嘘だった。
「と、いうか君はそんなに暇なのか?」
このままではいつが暇かといつまでも聞かれそうだったので、エンキは先手を打って質問し返した。
すると、アーニャはさすがに自分のおかしさに気づいたらしく顔を赤くした。
「そんなに暇じゃないです……」
エンキはため息をついた。
「今日だって、暇じゃなかったんだろ。お父さんとの約束をすっぽかしたこと、俺は感心しない。俺にだって一人でぶらぶらしたい時もある。
……あの世話係らしい女性だって迷惑してるはずだ。
…………、君はもう少し、周りの人のことを考えたほうがいい」
――我ながら、型どおりの説教だな。
エンキはそう思いながらアーニャを見下ろした。アーニャはしゅんとしている。
言い過ぎたとは思わない。
「……俺は帰るが、君はどうする」
エンキはため息を混ぜながら言った。
「……帰ります」
「そうか」
エンキは世話係に言われたように「送っていこう」とは言わなかった。



エンキは宿に戻ると、ベッドの上でごろごろしていた。
ごろごろしているうちに、エレオノーラが帰ってきた。
「エンキ?浮かない顔ね」
覗き込まれてそういわれると、苦笑するしかない。
エンキは起き上がる。
「買い物をしてきたんだ」
「良いモノを買えなかったの?」
「いいや、買えたよ」
そう言ってエンキは立ち上がると、エレオノーラに包みを渡した。エレオノーラは不思議そうに包みを見下ろす。
「開けていいの?」
「もちろん」
エレオノーラは包みを丁寧に開ける。
「ギィグランダに結局弁償してもらえなかっただろ、だから――」
「マントね!」
エレオノーラは紺色のマントを広げる。そしてマントを上げたり下げたりしてあちこちに視線を転がす。視線は襟と裾の七色の刺繍を見つけた。
「きれい、刺繍がついてるわ」
エンキはフードがついている襟に手を伸ばした。
「裏地にボタンがついてて、外せるそうだ」
エレオノーラの顔がぱっと輝く。
「貰ってもいいの?」
「君に買ってきたんだ」
エレオノーラマントを羽織ると、エンキの前でくるりと回って見せた。
「ありがとう。裾も私が好きな長さだわ」
エレオノーラの笑顔にエンキも満足する。
彼女はもう一度くるりと回り、ふわふわと裾が遊ぶ様を楽しんでいた。
「そうだ、もう一つ」
「?」
エンキはあの櫛をエレオノーラに渡した。
「きれい……」
「宝妖の工芸品だそうだ」
「これも貰っても?」
「もちろん」
エレオノーラは嬉しそうに笑った。それから櫛を日に透かし、言う。
「長老の種宝みたいね……。エンキ、本当にありがとう」
「どういたしまして。……いつも俺が“もらって”ばかりだったからな」
エレオノーラはもう一度くるりと回ってから、マントを羽織った自分の体を見下ろした。
エンキはその様子に満足しながら、ベッドに腰掛けた。それから、ふと思ったことを口にした。
「……、あんたはほんとにいい女だよ、ほんと」
「え?」
エンキのしみじみとした台詞に、エレオノーラはしばしきょとんとしていた。
だがその後、マントを羽織ったままポケットを探り始めた。
「……なにやってんだ?」
「え……褒められたから飴でもほしいのかと思って……」
エンキはがっくりと項垂れて、前言を撤回してやろうか、と思った。

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