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「魔法使いと記憶のない騎士」
第二話
随行
―男の考え方―

食事を終えるとエレオノーラは男にすぐにたつように言った。
そうすれば日暮れまでには辿り着けるでしょうから、と。


エレオノーラは男を置いて先に洞穴を出た。向かうのは西――国境を離れてローランド皇国内部に入っていく。
一刻も早くリュオン王国から離れたかった。
男は確実に悪い人間ではなかったが、寄らぬが神、と言ったところである。



エレオノーラの後姿を見送りながら、男は背筋に寒気が走るのを感じた。
――なにか、いやなものが……。
そう思って、無意識にずっと左手に握り締めていた剣に目をやる。
――俺の剣?
思い出せないが、剣はしっくりと手に馴染んでいる。
――まぁ、そういうことにしておこう。
そして、再び遠くなったエレオノーラの背に目を移す。
――確か、変わった剣を持っていたが……。
男の脳裏にエレオノーラの傍らにおいてあった細身の優雅な剣を思い出す。ひどく緩やかな弧を描き、真っ黒な鞘に納まる不思議な剣であった。そして、その真っ黒な柄に真っ赤な宝石がはまっていた。全体の静かな優雅さと比べてその宝石はあまりに禍々しかった。ぞくり、として男はすぐに剣から目を離した。
――あれは確か、とうに滅びた国に伝わる伝統的な剣だ。あれほどの業物を操れるならばさぞかし腕の立つ人なのだろう。
無意識にそう考えた後、男は首をひねる。――はて、何でこんなことを考える?
騎士だったのではないかという昨夜のエレオノーラの言葉が思い出される。
――無意識に染み付いた考え方、か。
男は一人で勝手に納得して、エレオノーラに貰った地図をあらためにいった。



日が高く上り最高点に達しようとした頃だった。
エレオノーラはそろそろ谷を抜けようとしていた。
「ふぅ」
谷を半ばまで登りきったところで、背後の気配に気づく。
「――……」
くるり、とエレオノーラは振り返る。
「ついて来たって仕方ないわよ?」
そこには、洞穴においてきたはずの男がいた。男はいきなり振り返られて多少とも驚いたようだったが、申し訳なさそうに歩み寄ってきた。
「すみません……何か心配だったもので」
叱られた子犬のように男は身を小さくしながら言った。エレオノーラはその姿に微笑ましいものが湧いてくるのを止められなかった。
「心配?」
「ええ、嫌な予感がして。――何かに見られているような」
その言葉に、エレオノーラは笑みを消した。
「やっぱりあなた、騎士だったんでしょうね。ご明察」
エレオノーラは背後を振り仰いだ。谷の上へと伸びる道が続いている。
「登りきったら襲ってくるつもりね。広い場所で、疲れたところを」
男も彼女の視線の先を追った。そして、途端に武人の目つきになる。
「ご一緒します」
「――え?」
「昨日は助けられましたから」
そう言って控えめに笑った男の表情はとても頼もしいものだった。

道の先は、開けているようだった。登って来た二人は、そっと顔を見合わせあう。
「人間じゃないと思うわ」
「でしょうね。そういう気配はしない」
「崖に気をつけないと、落とされるかもしれない」
意を決して足を踏み出す。男は腰に下げている剣の柄に手を置きながら、エレオノーラは多少頭を低くして。
視界が開けた。
けれど、そこには何もいない。
砂利の道があるだけだった。
「――……」
男は油断なく辺りを見回す。
気配はある。
「ミ・ツ・ケ・タ」
頭の上から人ならぬかすれた声が振ってきた。見上げると上空に三羽ほどの黒い鳥。
「烏……?」
「――使い魔だわ!」
鳥は旋回している。そしてしきりに
「ミツケタ。ミツケタ」
と言っている。使い魔と呼ばれたのは、魔物の一種だった。人に使役される魔物。
「ミツケタ。えれおのーら、ミツケタ」
三羽は旋回しながら降りてくる。
「アレだけみたいね。とりあえず何とかしなきゃいけないのは」
エレオノーラがそういい終えるのとほぼ同時に男は剣を抜いていた。
「アレは足と目が一つしかないの。目を狙って」
鳥が近づいてくる。色こそ烏だったが大きさは平均的な大人の上半身と同じくらいもあった。そして、頭には金の目が一つ。足は一本。
「足は切っても無駄よ。すぐに生え変わる」
「翼は?」
「翼も。だけどどちらも一瞬だけ戦意をそぐし、バランスを崩すわ。そして敵意は倍になる……」
言い終えないうちに、翼のある魔物が一羽、旋回をやめ急降下してきた。
男は姿勢を低くし、抜刀した。
「下がって」
エレオノーラが背後に引く気配を察して、男は足場を固める。
「ジャマナノ、イル。ケス、許可サレタ」
魔物は言いながら、一本しかない鋭い爪が付いた足を男に繰り出してきた。
男はさらに姿勢を低くし、その爪の下をくぐる。振り向き様に、足の付け根を狙って剣を出す。切っ先が黒い体に埋まると同時に右へ払う。
ギャッと魔物が悲鳴を上げた。魔物は空中でもんどりうちながら、振り返る。
一つしかない金色の目に赤みが差し込む。
グォォ、と獣の咆哮をあげた。男の口の端に笑みが浮かぶ。
傷はたいしたことはない。だから魔物は先程と全く同じ攻撃をした。男は同じように魔物の下をくぐって元の位置に戻る。
背後にエレオノーラ。他の二羽は降りてこない。
「あまり頭はよくないみたいね」
「単純なのこそ油断大敵だ」
エレオノーラが満足そうに笑ったが、男には見えなかった。
魔物は今度も単純に、嘴で攻撃しようと正面から突っ込んできた。
男はその攻撃を背中にエレオノーラを庇いながら身をひねるだけで避けた。
そして傍らを通り過ぎる魔物の頭めがけて剣を薙ぐ。
黒い血を吹き出しながら、魔物は金の目とそれを治める頭を二つに分けた。どう、と地に崩れ落ちる。
死体がしゅうう、と煙を上げた。
「お見事。一羽仕留めたわ」
エレオノーラが言う傍らで魔物は醜い塊に成り果てた。
「――もう二羽」
男は見上げながら言った。
二羽は相変わらず旋回している。その中の一羽が先程のものと同じように急降下してくる。
「残りの様子が変だわ」
急降下してきたものは、一羽目よりも賢いようだった。巧みに爪を引っ込めては出し、男との距離を測っている。けれど、男の足は軽やかだ。軽々と爪を避け、間合いを詰める。
エレオノーラは残りの一羽に目をやっていた。
襲ってくる気配もなく、ただ旋回している。その完璧な円を描いていた旋回が次第に形を崩している。具体的には東側に伸びる楕円になっている。
男が二羽目の魔物の瞳に剣をつきたてた時だった。
「逃げる!」
エレオノーラは叫んだ。男は思わず空を見上げる。
「こいつら、攻撃の使い魔じゃないわ。偵察用の使い魔よ!」
残った魔物は今や、東に向かっていることは一目瞭然だった。
「放っておくとまずいのか?」
「アレのあるじは私を探してるわ――。知られるわけには」
男は空中の魔物を睨みつける。高い。とても剣が届くものではない。
「――仕方ないわね」
エレオノーラがそう声を発したので男は思わず振り返った。
あきらめたのかと思った。しかし違った。
見ると、彼女は腰の剣――刀、と呼ばれる片刃の湾曲したものだった――の柄に手をやっている。
「下がって」
鞘も柄も真っ黒な刀だった。
男は黙って言葉に従う。
エレオノーラは腰を落とし、左手を鞘に添え右手で刀を抜いた。


――どぉん、と鈍く空気が振るえた。


男は突然吹いた突風のようなものに思わず左足を半歩後へ引いていた。踏ん張り、腕で顔を庇う。
と、同時に男の背筋に言いようのない寒気が走った。冷や汗が出る。心が霞む。いや、白昼夢を見ているかのように目が霞んでくる。
そして――言いようのない、いわれのない恐怖。刀の鍔元の紅い石が、鈍く光る。
それに耐えてエレオノーラに目をやると、彼女に鈍く輝く刀身の切っ先を魔物に向けていた。
軽く、振るう。
刀の鍔近くに埋まっていた紅い石が鈍く光った。
――ギャっと悲鳴が響いた。


魔物が四散していた。


そして、魔物の周りに黒や紫の雲が発生しているのに男は気づく。
エレオノーラが血振りの動きをした。するとそれらの雲が強い力にひきつけられる様にエレオノーラの元に集まってくる。――吸い込まれるように。
「……!」
男は何か声を発しようとした。だができなかった。
声を出してはいけない。静かにしていろ――何かが、声なき声で男に命じていた。
再び寒気と恐怖が背筋を滑っていく。男は落ち着くために息を深く吸った。
――かのじょ、は?
エレオノーラは右手で刀身を軽く抑え顔の正面に構えていた。再び、紅い石が鈍く不気味に光る。
黒と紫の雲がその石に吸い込まれていく。
――数瞬後、石はすべてを飲み込むとどくん、と空気を振るわせた。
エレオノーラは姿勢を正して刀を鞘に収める。チン、という鍔と鞘がぶつかる音がした。
同時に言いようのない、そしていわれのない寒気と恐怖は消えた。紅い石は黒く沈んでいた。

男は呆然として、エレオノーラを見つめる。
エレオノーラがその視線に気づいて振り返り、にこりと笑った。
「ありがとう。とても助かったわ」
だが、その紫の瞳は炯炯と輝いていた。

「――今のは」
男は呟くように言った。
エレオノーラの炯炯とした瞳が穏やかなものになる。
「私の一族に代々伝わるの」
「――」
エレオノーラは申し訳なさそうに小首をかしげる。
「驚かせた?」
「ええ、とても――」
彼女は苦笑した。男は面食らったような顔をしている。しかし、彼が思いついたように自分の顔をこすった後、その表情は消えていた。
「あなたは、強いんだな」
エレオノーラは何も言わない。
男はじっとエレオノーラを見ていた。
根負けしたのはエレオノーラだった。
「助けていただいて、本当にありがとう。それじゃあ――」
それだけ言うと、エレオノーラは平地に続く道に足を踏み出しさらに西へ向かっていく。



エレオノーラが履いている靴は、ショート・ブーツだ。黒い革製で、紐で結ぶもので彼女はとても気に入っている。ヒールは低く、安定がいいように広くとってある。
そのヒールがさくさくと地を踏むのがわかる。その感覚が好きだ。
さく、と音を立ててエレオノーラはふと立ち止まった。男と別れて三分ほど経ったときのことだ。
「――……」
立ち止まったのに地を踏む音がする。背後だ。そんなに離れてはいない。でも殺意も敵意も感じない。
ふぅ、とエレオノーラはため息をついて再び歩き出す。背後の気配は付かず離れずだ。
再び数分歩いたところで、エレオノーラは再び立ち止まった。
「ねぇ、関所はほとんど逆方向よ?」
「うよ」のところで肩越しに振り返る。すると気配がびくり、として立ち止まるのがわかった。視界に気配の正体が入ってくる。
別れたはずの男だった。
きらきらと光る深い紫の瞳に射抜かれて、男は少々目を泳がせた。
――本当に犬みたい。
尻尾があったらきっとしゅんと垂れているだろうし、頭の上に三角の耳があったらぺたりと頭に張り付いてしまっているだろう。そんな雰囲気だった。
仕方ないのでエレオノーラは男においで、と手を振った。
すると男は叱られた犬のように遠慮がちに、彼女の気配を探りながら近づいてきた。
「どうしたの」
まるで子供に詰問するように聞くと、男は言いにくそうに言った。
「なんだか、付いて行かなくちゃいけない気がして」
その答えに、エレオノーラは目を見開いた。
「どうして?」
今度は純粋な質問だった。
「それは……よくわからないんです」
男はゆるゆると首を振った。エレオノーラは当惑して、東を指し示しながら言った。
「関所に行って腕章を見せれば、あなたは自分が誰だかわかって、故郷に帰れるわ。
家族や友達、それに同じ部隊の兵士たちも心配してあなたの帰りを待ってるかもしれないのよ?
行きなさい。よくわからない感覚にしたがってどうするの。大事なものを失うわ」
すると男はいささかむっとしたように言い返してきた。
「だって何にも覚えてないんですよ。家族や友人だっていたのかいないのか、覚えてないし知らない。覚えてないものは大事だとは思えないです。
――あなたについていくほうが、知らないところに帰るよりもいいと思う」
最後の一言は、妙にしっかりと確信を持ったものだった。
その一言に、エレオノーラは面食らう。
「あなた、怖くないの?」
「なにがです」
「あの――刀よ。あの力」
「たしかに、何か背筋が寒くなりました。――でも、だから?」
「だからってあなた……」
エレオノーラはきらきら光る紫の瞳で、男の顔を食い入るように見つめた。
「だから……って」
エレオノーラは右手を小さな拳にして、胸元に無意識に添えていた。男は首を傾げる。
「どうしました?」
「"アレ"が怖くないの?――私が怖く、ないの?」
「"アレ"って、寒気のことですか?確かに気持ちのいいものじゃありませんけど。
――どうして命の恩人が怖いんです」
男は心底不思議そうに言った。
エレオノーラは紫の瞳を、しばし泳がせた。そして、言った。
「そう、なの。
じゃあ、いっしょに、くる?」
それを聞いて、男は一瞬驚いた顔をした後、笑った。
それはとても頼りになる、大きな笑顔だった。

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