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「魔法使いと記憶のない騎士」
第六話
某国
―亡国―

ひんやりと心地良い手が額に触れた。エンキは目を開ける。
「――エンキ……?」
エレオノーラだった。
心配そうな顔をしている。みると、部屋はもう明るかった。
「一晩中うなされてたのよ。具合、どう?」
エンキは彼女の手をどけて、起き上がった。
「もう大丈夫だ。……なんでもない。迷惑ばかり、かける」
エレオノーラは首を振った。
「……風邪とかじゃなさそうね。どうしたの?」
「わからない」
エンキは俯いていった。そして、質問が口をついた。
「東ノ国って、なんだ?」
ちくり、とこめかみがまた痛んだ。
「――15年と少し前、リュオン王国に滅ぼされた国よ。どうして?」
「酒場で言われた。俺はその国の人間じゃないかって。そしたら、頭痛がして――」
「……」
エレオノーラはエンキの髪をなで、そっと顔を上げさせた。
「そうね、そうかも――。あの国は騎馬技術に優れていたから、リュオン軍に組み込まれたって言うし、可能性はあるかも。もっとも、私、東ノ国の人には一人しか逢ったことがないからあなたの特徴があの国のものかどうかは――わからないわ」
「あったこと、あるのか」
「ええ。もっともその国がなくなった後の話だけど。私は14歳で――」
ふと、エレオノーラの瞳がかげる。エンキはそっと自分の頬に添えてある彼女の手に自分の手を重ねた。
「14歳で?」
優しく尋ねると、彼女は続けた。
「彼は、私を捕まえに来たの。リュオンに組み込まれた東ノ国の人だったわ。隠密でね――」
エンキはそこで、エレオノーラがリュオンに近づきたくないと言っていたことの理由を理解した。
「……ずっとリュオンに追われているのか?だから、リュオンに近づきたくなかったのか?」
エレオノーラは苦笑していた。
「そうよ。父がなくなってからずっと。リュオンの摂政は私を欲しがっているの。でも、私は、嫌」
「――……」
エンキはただ黙った。そして、考えあぐねた末、言った――。
「すまなかった。腕章も見るのもいやだったのに、リュオンの俺が――」
「あなたは、いいのよ。追手じゃないし、今は私の味方でしょう?」
「もちろんだ――」
「それに、追尾の魔法とかもかかってないみたいだし」
「……もしかして疑っていたのか?」
「少し」
エレオノーラはくすっと笑った。
「でも、すぐにタダの怪我人だってわかったわ」
「そりゃありがたい。……捕まえに来たって話の続きは?」
エンキはそっと彼女の手を離させた。そして、手を離して行儀よく膝の上に置く。
「そうね――聞きたい?」
「すこし、な」
エンキは正直に言った。エレオノーラも話したいようだった。どうやら、そんな話は誰にもしたことがないらしい。――ずっと、恐らく十年近く逃げているのだから仕方ないだろう。信用できる人物が彼女の目の前にやっと現れたのだ。
「彼、私を捕まえたわ。顔の下半分を黒い布で覆って隠してた。目が鋭くてね。顔はそれしか覚えてないの。――でも、彼は私を逃がしてくれたわ」
「――逃がして?」
「そう。――自分の国を滅ぼされて、きっとずっと悔しかったんだと思うわ。
『逃げろ』って言ってくれたの。子どもだと思って哀れに思ってくれたのかもしれないわ……」
「――それから、ずっと?」
「そう。リュオンには近づくなって。国境沿いにいればローランド皇国との協定が邪魔になっておおっぴらに捜せないだろうってね。できたらローランドに入れって言ってくれたわ」
「……」
エンキはじっとエレオノーラを見つめた。
――リュオン王は何故彼女を欲しているんだ?佳人だからか?
そんな疑問が頭をもたげたが、言葉にはしなかった。言葉になったのは、別の言葉だった。
「辛かっただろ……?」
エレオノーラは視線をさまよわせた。しかし、その瞳に影はない。
「そうね、最初は。でもすぐに慣れてしまったわ。私、もともと色々な事を見たり聞いたり、知ったりするのが好きだったから。それに、吟遊詩人には及ばないけれど歌も歌えたし。歌があったから、寂しさを紛らわせたしお金も稼げたからね」
「……」
エンキは黙っていた。そしてしばらく真っ直ぐな目でエレオノーラを見つめた後、ぽつりと言った。
「強いな……あなたは」
エレオノーラはエンキを見つめ返し、困ったように笑った。



一日休んでなさい、私は店を見てくるわとエレオノーラは言って出て行った。
一人になったエンキの思考は自然、失ったと思われる記憶のほうへと動いていく。
暖かな光が差し込む部屋で、彼はいつの間にかまどろんでいた。
――風の音。
――――土の匂い。
――――――呼び声――



遠く、草原が広がっている。
風は優しい。点在する天幕。知っている、とエンキは思った。天幕の一つから、人が出てきた。ゆったりとしたズボンに、前合わせの上着を着ている。幅広の腰帯をしている。若草色の服だった。それは髪を後ろに長く垂らした女だった。髪は結わずに、流している。風がその髪で遊ぶ――
女は天幕の前に繋いであった馬に乗った。鞍も鐙もない馬だ。彼女はそれを易々と乗りこなし、"こちら"に向かってくる。
健康的な乙女だった。ふっくらとした頬に赤い唇。その唇が、嬉しそうに開く。
風が強くなる。
言葉は聞き取れない。
風はエンキの“長 い 髪 も 攫いそうになった”。



すっと影が差した。気づくと、エンキは天幕の中にいた。明り取りから光が漏れてくる。
目の前に、男が一人座っていた。
白く袖も裾もゆったりとした服を着て、床の上に胡坐をかいている。
男の前には、羊の皮でできた地図。男の右手には、魔力を持つ小石が握られていた。
男はその小石を地図の上にぽーんと投げた。石は、地図の上を転がり、ある一点で磁石のように止まった。もう一つ、男は石を投げる。ぽーん……。
こつ、と最初の石に当たってそれは止まった。
地図の上に石が二つ並んでいる。男はそれをじっと見つめている。
エンキは男と地図を見比べた。
不意に、男が顔を上げた。長い後ろ髪を背中で束ねていた。男はまっすぐにエンキを見ていた。
そして、にこり、と笑う。その表情のまま、男は言った。



――おまえ、いま、どこに、いる?



その瞬間、エンキのこめかみに激痛が走った。エンキは呻いて、うずくまった。
男が笑みを消した気配がした。けれど彼は動かない。
じっと見られている。解るのはそれだけだ。
――あたまがいたい。
――おねがいだ、じゆうにさせてくれ。
男は黙っている。
エンキは必死に思い出そうとした。何を?


――エレオノーラ!

思い出して叫んだのはその単語だった。


初めて男の気配が変わった。
――そうか。
そんな声が聞こえた。



はっとエンキは瞼を開けた。ちくり、と一瞬こめかみが痛む。それだけだった。
息は少し上がっているが、頭痛はもうしない。辺りを見回すと、自分が酒場の二階の宿のベッドに横たわっているのがわかった。
「ゆ、め」
エンキはポツリとつぶやいた。
風の音。土の匂い。天幕。馬。女。地図。石。男。白い服。若草の帯。草原。
「ゆ、めだった……」
夢を見ていたのだ。エンキはそう思った。もしかしたら記憶の断片なのかもしれないが今は考えたくなかった。
左手で目を覆う。すると、中指に違和感を感じた。
見るとエレオノーラの癒しの力を持つ青い石の指輪がはめられていた。



その頃、指輪の持ち主であるエレオノーラは目抜き通りの店を一軒一軒回っていた。
べつに買い物をするわけでも、冷やかしでもなかった。情報収集である。
2件目に入ったお菓子屋は中年の女性がやっていた。
エレオノーラは甘いお菓子を2つ買うと、会計のときに何気なく聞いてみた。
「この先の国境で軍とリュオン軍が戦闘したんですか?」
「あらお客さんご存じなかったんですか?」
女店主は目を丸くして言った。エレオノーラはええ、と言うように頷く。すると女店主は何も聞いていないのに口を開いてしゃべりだした。
「あったんですよ、それが。嫌になっちゃいますよね、全く。ココの村にも一部隊居座ってねぇ。もう帰りましたけど。畑は馬を停めるとかでダメにするわ、格安で飲み食いするわ……。しかも勝敗が五分でしょう?まったく戦争なんてろくでもないですよ。それでね……」
どうも愚痴が溜まっていたらしい。エレオノーラは重要そうなことだけ心にメモすると、いそいそと上手く会話を切って外へ出た。
3件目は簡単な宝飾屋だった。髪留めを1つ買い、同じように店主に話題を振る。店主は職人気質な男で口数は少なかったが、先程の女店主と同じく不満が溜まっていたらしい。ぽつりぽつりながら話してくれた。
「……故郷の女房の土産にするというから安くするしかなかったさ……一応おれたちのために働いてくれている兵隊だしな。態度は悪かったが……。……まったく、リュオンに錬金術師とやらが来てからろくなことない」
「錬金術師?」
エレオノーラはその単語に反応した。すると、店主はふと眉を開いた。
「お客さん、知らなかったのかい?」
「ええ、よかったら教えてくださいますか?」
すると店主は頷いた。
「まぁ、知っといたほうがいいだろう。――リュオン王国は後継者の姫様がまだ若いってんで、叔父が摂政をやってることは知ってるよな?」
「ええ。姫君のお父上とお母上はもう亡くなられているんですよね」
「そうそう。で、前の王様が亡くなったとき、姫さんは5歳かそこいらだったんだよなぁ。
すぐにお后様も亡くなって、遺言の実行人として叔父がたったわけだ。
が、この叔父とやらがあんまり良くないらしいんだよなぁ。摂政なのに王のように振舞っているって評判が悪い」
「その評判は聞いたことがあるわ」
エレオノーラが思わず相槌を打つと、店主は頷いて見せた。
「前の王さまのときはこっちとも折り合いが良くて商売でも行き来してんだけどねぇ。
――あの摂政になってから15年と少しか。それ以来関係は悪くなるし、ろくなことねぇな。
――まぁ、東ノ国みたいに国がなくなってないだけいいんだろうけどな」
「……」
エレオノーラは押し黙った。その男が摂政の位についてから、和平を重んじたリュオンの政策は変わった。その最初の犠牲になったのが、東ノ国というわけだ。
「それで、錬金術師と言うのは?」
店主が物思いにふけっているのを見て、エレオノーラは促した。すると店主は考えているように顎に手を当てながら話し始めた。
「うん、その摂政のもとに来た男らしいんだが……実体がよく解らんらしくてな。なんでも顔の上半分を仮面で隠しているとかでなぁ。ただ、綺麗な金の髪をしていて、上品な雰囲気を持っている男だそうだ。で、この男がどうにかして王宮に入り込んで、摂政の侵略路線を後押ししているらしいんだわ」
「……なるほど」
「なんだか大臣たちよりもそっちの男のほうを重用しているらしくてな……。錬金術師ってのはいわば通り名だな。本当のじゃないらしい」
エレオノーラは眉を寄せた。
「本当の名前ではない?」
「ああ、なんでもその男の素顔と名前は誰も知らないんだそうだ。摂政もな。
で、変わったことにそいつは魔法でもないのに、材料があればモノを作り出すそうだ。それで錬金術師と呼ばれているらしい。だが妙なことに、普通の錬金術のように道具は使わないんだそうな。変な話だよな」
「……」
店主の説明は要領を得ているとはいえなかった。それは隣の国の出来事で、恐らくうわさの受け売りを話しているからだろう。それでも、何も聞かないよりはいいとエレオノーラは思った。
「その男の助言を得てから、摂政はウチの方にもあからさまに手を出し始めるし、ホントロクなことがない……」
男はやれやれと首を振った。エレオノーラは苦笑しながら最後の相槌を打った。
「名前も顔を知らない相手の言葉を信じるなんて、高が知れてる人ね」



エレオノーラが部屋に戻ったとき、エンキは眠っているように目を閉じていた。
彼女は気遣って、そぅっとベッドの上に買い物袋を置いた。
「――おかえり」
ふと、声が掛けられてエレオノーラはびっくりした。そしてゆっくり振り返ると後ろで手を組んで言った。
「ただいま」
エンキは目を開けず、ベッドに横たわっていた。彼が何も言わないので、エレオノーラは堪らずに言ってしまった。
「――ただいま、なんて久々に口にしたわ」
「――そうか」
そこでやっとエンキは目を開け、顔を彼女の方に向けた。黒い瞳には疲労と憂いが蓄積していた。
「何年ぶりくらいだ?」
「10年とちょっと、かしらね」
言うと、再びエンキは顔を天井に向けた。そして小声でそうか、さっき聞いたなと言った。
エレオノーラは手を伸ばして彼の額をなで、そのまま指を黒い髪に差し入れた。汗をかいて乾いたらしく、髪はパリパリしていた。
「どうしたの?」
「夢を見た」
エンキの瞳は、ひたすら遠くを見ていた。
「知ってる夢だ。ほんとにあった……でも、しらない」
混乱している言葉だった。エレオノーラはとっさに何も言えずにいた。すると、彼は左手を上げて彼女の顔を再び見た。中指に彼女の癒しの指輪がはまっている。
「これ、ありがとう。助かった」
「……どういたしまして」
彼女は彼の手をとって、中指から指輪を引き抜いた。
「――エンキの手ってごつごつしてるわね」
ふとその手を離そうとして彼女はやめ、彼の手を撫でながらそう言った。
「――」
まだ夢にとらわれているのか、エンキの返事はない。
「苦労した手だわ。苦労した手――」
ふとそこでエレオノーラは自分が何をしたいのかわからなくなって、エンキの手をそっとベッドにもどしてやった。
「明後日、貴方に必要なものができるわね。お金もたまったし、明日はゆっくりしていましょう?」
言うと、エンキは微笑んで見せた。
「そうだな。甘えさせてもらうよ」
それがその夜の最後の会話だった。


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