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「魔法使いと記憶のない騎士」
第七話
不穏
―隣国の動向―

しばし、旅する二人から視点を移そう。
隣国リュオンの首都にある王宮の摂政の執務室の中を、摂政であるトランキルスはイライラと歩き回っていた。彼は前王の弟で、王女クローディアの代わりとして国を治めている。
後継である王女クローディアは今年二十歳。リュオン王国の成人は18歳であるから、とうに彼は退いても良かったのだがトランキルスはそうしなかった。
王女はまだ未熟。二年前にそう言い放ち議会も大臣も納得させた。当のクローディアは不満そうな眼をしていたが。
――賢い娘だが、賢くちゃ困るのだ。
王女の成長を祝ったトランキルスは、心の奥ではそう思っていた。彼女は幼い日からトランキルスに反発心を持っていた。叔父と父が不仲だったせいもあろう。和平路線を変えたことも敏感に感じ取っていたのかもしれない。ともかく、賢い王女はトランキルスにとって邪魔な存在であった。
「――錬金術師」
イライラしたままの声で呼ぶと、少し先の床が歪んでせり上がり始めた。それはみるみるうちに人の形となり、床の模様を消して人の肌に衣装を纏ったものになった。
「お呼びでしょうか」
金の髪の、背の高い男だった。顔の上半分は、目のところだけ開いた仮面で覆い隠している。しかしその目の穴の向こうに瞳は見えず、ただ空ろな闇があるだけだった。
男はうやうやしく頭を下げた。それは臣下の礼だった。それを見て、トランキルスは用件を切り出した。
「"邪王の娘"がまだ捕まらぬ。偵察に飛ばした使い魔も戻ってこない。……そなた動いてはくれぬか?」
「"邪王の娘"と申しますと?」
錬金術師の口調は質問ではなく確認のものであった。
「そうだ、我等の始祖"金獅子王"アレクサンドロスの腹心"邪王"の末裔の娘だ。
わしはあれが欲しい。どうしてもな」
「"邪王の娘"……エレオノーラと申しましたか」
「そうだ」
トランキルスは不意に自分の机へと歩み寄り、どかっと椅子に腰を下ろした。
「邪王の知恵は世界の知恵。邪王の子孫はその知恵を受け継ぎ、使えると聞く。
わしはそれが、欲しい」
「……」
錬金術師は黙っていた。口元に何か表情のようなものが浮かんでいるが、読み取ることはできない。
「"邪王の娘"がわしを認めれば、クローディアなどなんともない。わしは本当の王となるのだ!」
「……」
錬金術師は何も言わない。けれど持ち上げもしなければ諌めたりもしない男を、トランキルスは気にも留めた様子はない。
「"邪王の娘"を生かして捕らえよ、と言うことですね」
数瞬の間の後、錬金術師はトランキルスに言った。トランキルスはそうだ、と言う。
「邪王の一族の者に、"まやかし"の術は効きません……。ですから私の術によっても、彼女の心は貴方に傾かないでしょう。それでも?」
「それでもだ。無駄口を叩くなら舌を抜けばいい。"邪王の娘"が私の隣にいれば、誰もが私を王と認めるだろう。邪王の一族は"真の王"の隣にいるのだから!」
「……つまり手足を縛り、従わなければ罰を与えると」
錬金術師は興味深そうな声を出した。トランキルスは言う。
「心を操る"まやかし"の術が使えなくとも、それくらいはできるだろう?」
つまり、女の自由を奪って体罰を与えることで自分の意のままにしようというのだ。錬金術師がその可能性に思いを馳せていると、トランキルスは思いついたように付け足した。
「そうだ!"邪王の一族"は一時代に一人ということだったな?」
「ええ。"邪王の一族"は血ではなく"知恵"と"呪具"の継承によって定められます。
"邪王の一族"とは時代ごとに連なる一人を結んだ線のことをいい、同時代に二人は存在しない……」
「そんなことは知っておる」
トランキルスがうなったので、錬金術師は黙った。
「しかしその"知恵"と"呪具"の肉の器は、先代の"邪王の一族"の血を引いていなければならないのもまた事実。
……代々の"邪王の一族"が一人の人間としか交わらんことをお前は知っているか?」
「…いいえ」
「そうだ、あれはオメガという名の"邪王の息子"のことだ。ヤツはリュオンの姫君に操を立て、他の女を拒んだことで有名だった。
……エレオノーラにもそのような男がいるかもしれん」
トランキルスは顎を撫でて、微笑を浮かべながら言った。
「その男を捕らえておけば、利用価値はあるだろう」
「もしくは貴方がそのような男になってしまえば、話は早いかと」
トランキルスの言葉の最後のかぶさるように、誘う口調で錬金術師は言った。
その言葉に、トランキルスは目を見開いた。
「逃げ回っている女をモノになどできるものか」
だから彼は彼女を痛めつけることで屈服させようとしているのだ。しかし錬金術師はトランキルスの思慮のなさを嘆くように首を振った。
「――"邪王の一族"が操を立てるのは、正確には"次の器の親"です」
「なに?」
「"邪王の息子"オメガが姫に操を立てていたのは、姫が彼の子を孕んでいたからです。
子の親を裏切ることは"邪王の一族"は決してしない。もちろん、オメガと姫君の精神的波長が合っていたから、というのもあるでしょうが」
「……それを知ってどうしろと言うのだ」
トランキルスが不思議そうに聞くと、錬金術師は耳打ちするような小さな声で言った。
「孕ませればよいのです」
その言葉に、摂政はぎょっとしたように錬金術師を見やった。
「何を……」
「そのままの意味です。幸い、摂政どのには奥様がいらっしゃらない」
トランキルスは姪が成人する歳の今まで独身だった。
その彼に、それは魅惑的な言葉だったのかもしれない。
錬金術師はたたみ掛ける。
「"邪王の一族"は代々男も女も美しいことでも有名です。手ごろなところではございませんか?」
「うむ……」
「幸い、今度の"邪王の一族"は"娘"と呼ばれるとおり女です」
「……」
トランキルスは悩んでいるようだった。王のように振舞っているとはいえ、まだある種の道徳心は持ち合わせているらしい。
錬金術師は口元で笑った。
「とりあえず、彼女が来てから考えてもよいのでは?」
「お……おお……」
トランキルスが思わず声を出すと、錬金術師は深々と礼をした。
「それでは、用件賜りました――ああ、それと1つ質問よろしいでしょうか」
「な、なんだ」
微妙に衝撃から立ち直っていないトランキルスはどもりながら聞いた。錬金術師は顔を上げる。仮面の奥に相変わらず瞳は見えない。
「東ノ国の長が行方知れずと聞きましたが――」
その話題には、トランキルスの意識をはっきりとさせる効果があったようだ。
「……バトゥーか」
「先日のローランド皇国との衝突の際、東ノ国の騎馬隊を率いて斥候に出た直後から行方不明だとか。敵の奇襲にあって、騎馬隊の東ノ国の兵士が二人死亡、一人大怪我をしたそうですね。」
「あぁ、あれは引き際を計るためにやったのだ。敵がいるとは思いも寄らなかっただろう。」
「摂政やはりご存知で?」
「司令官から逐一報告は受けておる――バトゥーは反抗的でクローディアにロクな影響を与えなかったからな。よく監視させていた」
「……そうでしょうか。よくあの個性的な民を適応させようと努力していたようですが?」
「ふん。何も知らん奴め」
「これは失礼」
錬金術師は再び頭を下げる。
「――それで、その遺体は見つかったのでしょうか?」
「今探させている。早く見つけんと東ノ国のもう一人の統治者が面倒を起こすだろう。
谷に落ちたと言うから、少々難儀なことかもしれんが……――」
言いかけて、トランキルスははっとしたように口をつぐんだ。錬金術師は微動だにしないまま言った。
「谷に?たしか目撃者は大怪我をした東ノ国の若者だけだと聞きましたが。それに長に庇われて逃げたので、彼の末路は見ていないと。」
「……、お前は、いらんことを詮索せんでよい!」
「失礼いたしました」
錬金術師は一歩下がった。すると、その身が現れたときとは逆にずぶずぶと床に同化していく。
「それでは、"邪王の娘"を探してまいりましょう。」
「早く行くがいい!」
錬金術師がすっかり床に消えたのを見ると、トランキルスはため息をついた。



さて、旅の二人に視点を戻そう。
二人はすでに村を出ていた。エンキは着ているものを新しいものに換えている。黒いマントを羽織り、自分用の背嚢を背負ってエレオノーラに少し遅れて付いていく。
土がサクサクと音をたてる。
「軍隊の足跡がまだ残ってるわね」
足元を見ると、確かに馬蹄や甲冑を着た足跡が延々と続いている。
「勝敗は五分だったんですって。……どのくらい人が死んだのかしらね……」
エンキは答えるかわりに、こめかみを摩っていた。
「エンキ、大丈夫?」
さすがに返答がないのが心配になったのかエレオノーラは立ち止まって振り返った。
「ん……大丈夫だ」
こめかみを摩りながら彼女を見ずにエンキは答える。
「……頭、痛むの?」
その言葉に、エンキは今度はしっかりと彼女を見て答えた。
「大丈夫だ」
「……無理はしちゃだめよ?ただでさえ貴方は怪我をしてるんだし」
「有難う。でもなるべく遠くへ行ったほうがいいだろう?――国境から」
エンキのその言葉に、エレオノーラは戸惑ったように頷いた。エンキはそれを見てこめかみを撫でるのをやめ歩き出した。エレオノーラは遅れないようにとそれに並ぶ。
「国境を出たのは初めてじゃないだろう?」
「ええ。でもあの時は樹海沿いの国境を行ったり来たりしただけだから、厳密に"出た"のは初めてかもしれないわ」
「樹海の――宝妖の人たちのところへは何度か?」
「父が生きているときから行ったことがあるわ。片手分は行ってると思う」
「そうか。……速度、落としたほうがいいか?」
エンキはそれまで普通に歩いていたものを、大股でゆっくり歩むようにした。エレオノーラが小走りに近い足運びで付いてきていたからだ。
「え、ええ、そうしてもらえるとありがたいわ。あなた足が長いから――背も高いし」
その言葉にエンキは苦笑した。
「ずっと"着いて来て"もらってたからわからなかったわ」
「やっぱり後ろにいた方がいいかな」
「ううん、この方がいいわ」
「そうか」
「もしかして歩きづらいかしら?」
「いいや」
彼女はその言葉に少し笑みを見せた。
エレオノーラは純粋に道連れができたことが嬉しかったのだろう。十年近く彼女は一人で放浪していたのだから。元々、彼女は人嫌いではなく人好きな性質であった。だからこの放浪生活は様々な人と出会えるということで楽しくもあったし、辛くもあった。
そんな性質を持っているためか、はたまた孤独から解放されたことが喜ばしいのか、出会ってまだ数日だけれど彼女はエンキの存在を心地良く思っている。
しかし、一方で彼女は恐らくエンキはいつか去るだろうと思っている。
記憶を取りもどせば、彼はもといた場所に戻ろうとするだろう。それを止める権利はないとエレオノーラは思っている。
まずは、それまで道連れがいることを楽しんでも罰は当たらないだろう。
それが彼女の当座の考えだった。
「辛くなったら、言ってちょうだい。休みましょう。樹海までは一週間かかるから……」
「一週間?!」
その言葉にエンキはぎょっとしたように少し低い位置にあるエレオノーラの顔を見た。
「そんなにかかるのか?!」
「あら。言ってなかったかしら」
「言ってない……」
エンキは眉を開いてため息をついた。
「まぁ、いいか……どうせ俺には行くところもないし」
その言葉に、エレオノーラはくすくす笑った。


そして翌日――二人のもとに錬金術師が現れる。


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