| 錬金術師が地を蹴った。それを見て、エレオノーラは軸足に体重を乗せる。錬金術師はさも当然とばかりに剣を振り上げ、そのまま振り下ろす。
 エレオノーラはそれを鞘に収めたままの刀で受け止める。
 「くっ……」
 重い。
 錬金術師の顔に表情は見えないが、エレオノーラはぎりぎりと押され靴が地面を削る。
 「こっ……のっ」
 滑って転びそうになるのをなんとか堪え、力いっぱい刀を押し返す。すると錬金術師はその押し返す力を利用してふわりと飛び退った。勢い余ったエレオノーラは思わずつんのめる。反射的に足を動かして、止まる。
 「……やはり女性ですね」
 くす、という笑い。エレオノーラは錬金術師をにらみつけた。
 「融身術、ね……己が肉体と他の物質を融合することで意識を融合した物質にまで影響させ、己が肉体の一部のように変化させる……」
 「そして、望みどおりの変化をしたら己と切り離し、使用する。簡単なことです」
 「不可能なことだわ」
 動いたのはエレオノーラだった。刀を振り上げながら突進する。錬金術師はそれを剣を振り下ろして受け止める。そして、見えぬ瞳で低い位置にあるエレオノーラの白い顔を見て言った。
 「……確かに邪王と同じ色の瞳だ。――絶望の紫」
 「高貴な紫、と言って欲しいわ」
 錬金術師はフッと笑った。
 「軽口まで遺伝するらしいな」
 錬金術師はぐぃ、と剣を押し返した。簡単な動きに見えたその動作は以外に力強く、エレオノーラは尻餅をついた。
 その所為で、彼女は隙だらけになった。その前に、錬金術師は仁王立ちになる。
 「案外、大したことのない……抜かぬ刀などなんの役に立つと言うのですか」
 そして男は、鉄の剣を振るった。
 
 
 
 
 ――剣が振り下ろされる。考えずともそうなると思い、エレオノーラは反射的に目を瞑った。
 しかし、一撃は来ない。
 その代わりに何かが空を切る音と、それが唐突に止まる音、そして錬金術師が剣を下ろす気配を感じた。
 そっと目を開ける。
 錬金術師は困ったように胸に手をやっていた。
 「――これは――」
 胸からは、剣の切っ先が飛び出していた。しかし不思議なことに錬金術師の体からは一滴の血も出てはいない。服も汚れず、剣の切っ先も鈍い銀色を放っているだけだ。
 エレオノーラはその光景を呆然と見上げた。
 「――お連れ様は投擲力の強い方ですね……」
 そう言うと錬金術師は無造作に剣の切っ先をつかんだ。そして、やはり無造作に"手前に引っ張る"。
 「?!」
 エレオノーラは思わず尻餅をついたまま後ずさった。錬金術師は涼しい顔で剣を手前に引っ張り続ける。剣の中ほどが見え、鍔が現れついに柄まで出てきた。
 そして、ずぶと鈍い音をたてて剣は錬金術師の体から抜けた。胸には傷もなければ穴もなく全くかわりがなかった。
 錬金術師はくるりと振り返った。
 ――そこには土塊と化した土人形と、剣を投げつけた姿勢のままで肩で息をしているエンキがいた。
 彼はエレオノーラの危機を見て取り、土人形たちの僅かな間から剣を投げたのだ。それは見事錬金術師に突き刺さった。――しかし、それは土人形の糸をきっただけで、終わった。
 
 
 
 
 ――馬鹿な。エンキは荒い息の下でそう考えた。
 土人形が手足の打撃だけでも崩れると気づいたのは、エレオノーラが尻餅をつく数秒前だった。彼女が形勢不利なのを見て取るとエンキは咄嗟に数体の泥人形に蹴りを入れ、崩れていく泥人形の間から一か八か、錬金術師に向けて剣を投げつけた。
 剣はまるで吸い込まれるように錬金術師の体に突き刺さった。
 突き刺さったが――それだけだった。
 ――馬鹿な。
 宿主の集中力がそがれたのか、泥人形たちはあっという間に土塊となった。しかし、変化はそれだけだった。
 錬金術師はまるで何事もなかったようにそこに立っていた。
 血も流さず、己の肉体から剣を事も無げに引き抜いて見せた。
 そして今、彼はこちらを向いている。エンキは姿勢を戻して錬金術師を睨み付けた。息はまだ、荒い。
 ふと、錬金術師が引き抜いたエンキの剣を自分の顔の前に持ってきた。
 「――おや、これはリュオン軍の剣ではありませんか。柄にリュオン王室の紋章が押してある」
 そして再びエンキに視線を戻す。
 「貴方は誰です?」
 「――……」
 エンキはもちろん答えない。錬金術師は鉄の剣を手放した。すると剣は地に落ちる直前、砂鉄と化して風に流されていった。エレオノーラは動けない。
 「あなたは、だれです?」
 錬金術師は言葉遊びをするような口調で言った。途端、エンキのこめかみに痛みが走る。
 「っつ……」
 動いたのは錬金術師だった。サク、と地を踏む。
 「……、貴方の顔を、私は見たことがあるようだ」
 エンキは痛みを堪えようとして思わず前屈みになる。地を踏む音がする。
 ――しっかり……しな、ければ。
 無理に体を起こそうとするが、意志に痛みが勝る。錬金術師はエンキの顔を覗き込もうとしている。悠長なヤツだ、と思った。その思考が痛みを押さえつけた。
 次の瞬間、エンキは長い足を繰り出していた。
 ヒュッと重いものが空を切る音。ほとんど反射的と言っていい運動に錬金術師の反応が数瞬遅れる。
 それでも間一髪、錬金術師はそれを避けてみせた。
 数歩下がったところで錬金術師は苦笑する。
 「――まったく、攻撃的な方だ」
 「――……」
 再び痛みが勝ってくる。それを必死に押さえつけて錬金術師を睨みつける。
 「エンキっ」
 エレオノーラがそう呼びながら傍らに寄り添ってきた。そしてエンキの胸と背中に手を添えて彼を支える。
 「そう。エンキ、ですか」
 くす、と錬金術師は笑った。
 「貴方はやはり見たことがある。貴方の名前はそんなものではないでしょう?」
 「……、俺を、知ってるのか」
 「多少。貴方は私を憎んでおられた」
 「……?!」
 エンキの驚いた顔を見て、くすくすと錬金術師は笑い出す。
 「そうですか。……何か記憶障害を患われたのですね?」
 「……あなた、エンキのこと知ってるの?」
 多少警戒しながらエレオノーラは問う。錬金術師はくすくすという笑いを収める。
 「知っています。でも、教えません」
 そして、片手に持っていたエンキの剣を持ち上げる。
 「これ、いただきます。いいお土産ができました」
 「「?!」」
 二人は唖然として抗議もできなかった。その間に、錬金術師の足元の地面が波打った。ずぶり、と彼は地面に沈んでいく。
 「なっ……?」
 エンキは痛みの中で声をあげた。エレオノーラはそんな彼を支えながら、沈み行く錬金術師をじっと見つめていく。
 胸まで沈んだところで、錬金術師はにこやかに言った。
 「今日はいきなりご無礼を働き、失礼いたしました。それでは、また」
 言い終えると同時に錬金術師は地面へと完全に沈んだ。
 
 
 
 
 エンキはその後、エレオノーラに支えられるようにして結界内のテントへ戻った。テントの中で倒れこむように寝転がると、エレオノーラはそっと言った。
 「結界、張ったままにしていて良かったわ」
 「……そうだな」
 それだけ言うと、エンキは腕で目を覆い隠した。
 「頭痛する?」
 「……少し」
 すると、不意に後頭部が持ち上げられる感覚がした。なんだ、と思っていると適度な高さの人肌のものにそっと後頭部が置かれるのがわかった。思わず腕を外すと、まっすぐ上にエレオノーラの顔がある。
 「……なに、した?」
 「膝枕。だめかしら」
 悪びれる風もなく、エレオノーラは言う。エンキはさすがにぎょっとして、首に力を入れ体をずらそうとした。
 エレオノーラはその肩をぐっと押さえて、動けないようにする。
 「これは、お礼です」
 「お礼?」
 そう問うエンキの額にそっと手を添えて自分の膝がきちんと枕になるように、首から力を抜くようにと優しく力を込める。
 「そう、さっき私のこと助けてくれたでしょ」
 そこまでされては、さすがにエンキも観念したのか首から力を抜く。
 「……咄嗟にやっただけだ。……あなたなら自分で切り抜けられたかもしれない」
 「そうかしら?」
 「ああ、あなたは強い。俺には……わかる」
 エンキは下からじっとエレオノーラを見つめて言った。エレオノーラは苦笑する。
 「そうかしら。……でも、嬉しかったわ。ありがとう」
 そう言うと、エンキは困ったように眉を寄せた。エレオノーラはますます苦笑する。
 「人肌のものに触れてると具合はよくなるって言うし」
 「そりゃ、有難い」
 エンキはいたたまれなくなったのか目をつぶってしまった。そのエンキの額に指輪をはめた手をそっと添える。治癒の力を使おうとするとエンキは静かな声で言った。
 「それは使わなくていい。自分でよくなる」
 エレオノーラは考えが読まれたことに驚いた。そして、くすと笑う。
 「……なぁ、なんでこんなに良くしてくれるんだ?」
 低い声でエンキは問う。エレオノーラはちょっと首を傾げて考えた。
 「したいから、じゃだめかしら」
 「……そうか」
 エンキの声には戸惑いが含まれていた。そして、その戸惑いの声からがらりと変えて少し緊張した声で言葉を続ける。
 「さっきのあの男――知り合いか?」
 「え?」
 「名前を……知ってた」
 そこでエンキは静かに目を開けた。まっすぐに見つめてくる黒い瞳があった。
 「知り合い、か?」
 「いいえ、でも――」
 そこでエレオノーラは始めてエンキから視線を外し、遠くを見た。そして何かを探すような目をしながら言った。
 「私の――父祖の誰かと会ったことがある――一番最後に彼と接触したのは――曽祖父のオメガ――だわ」
 「……?」
 エレオノーラの様子が変わったことにエンキは気づき、体を起こした。焼けるような痛みがこめかみにはしる。一度、頭を振ってからエレオノーラの視界に入るように座る。
 「曽祖父、だって?」
 その声に反応したように、エレオノーラの目がエンキに注がれた。そして、遠くを見ていた瞳が現実に戻ってくる。
 「起きて大丈夫なの?」
 「もう治ったよ、ありがとう」
 エンキは苦笑するように言った。それからエレオノーラはエンキの質問に気づいたようだった。
 「……そう、曽祖父オメガ。変わり者だったと言うわ。"金獅子王の時代の終わりに生まれし者"、という意味の名前で……――、……こんなこと聞いてるんじゃないわよね」
 「……変わった名前だなとは思った」
 エンキは短く感想を述べた。オメガ、というのは"終わり"の意味を持つ古い言葉だ。人名にはあまり使わないものだろう。
 「……その曽祖父が、彼に会ったことがあるみたい……。それから彼、全然変わってないわ」
 「……何かの記録に残っていたのか?」
 「いいえ、"検索"したの」
 「??」
 エンキはその言葉にキョトンとした。いや、検索と言う言葉自体は書物などのなかから目的のモノを探すと言う意味だと知っている。しかし、彼女はどこで何を検索したのか?
 そんな彼女の様子に気づかず、エレオノーラは言葉を紡いでいる。
 「彼、多分人間じゃないわ。もしくは、かつて人間だった、人間の一部だった、もの。
 曽祖父がそこまで突き止めてるわ――、たぶん、それは確かね。使えるはずがない融身術を使っていたもの……」
 「……、すまん、話がさっぱり見えないのだが」
 その言葉に、今度はエレオノーラがきょとんとした。そして、あ、と小さな声を上げた。
 「そういえば何も説明してなかったわね……」
 「してくれるとありがたい」
 その言葉にエレオノーラは頷いた。
 「まず、彼ね。正式な名前は元々ないみたい。今はリュオン国の摂政に取り入っているみたいね。……、融身術というものを彼は使っていたのだけれど、それは私たち一族の始祖である邪王が"たとえ話"として考え出したものなの。術、とはいうけれどそれは誰かが面白がってそのたとえ話につけた名前にすぎなくて、本当は術でもなんでもないはずだったの。
 ……自分以外のモノって思い通りにならないものでしょう。それはそのモノに自分の意志が伝わっていないから。では自分とモノを"ひとつ"にして、自分の意志を行き渡らせれば"モノ"は自分の思うままになるのではないか。けれど実際にはそんなことは不可能だから、人間努力が必要だ――という話なの」
 「……。」
 エンキは眉根を寄せた。先程とは違う種類の頭痛がしてきた。
 「何の話だかさっぱりわからん。」
 「私も理解に自信がないわ」
 その言葉にエンキはずるっと前につんのめった。
 「……始祖はよくつかめない人だったから、その行動全てが理解できるものではないのよ……。
 でも彼が使っていたのは紛れもない"術"だったわ。自分と他の物質を融合させ、それにより他の物質にも自分の意志を行き渡らせて、物質を変化させ、使用する……融身術、と便宜的にも呼ぶしかないわね」
 「……とりあえず、錬金術師とその融身術とやらについては知ったから、もういいよ……」
 エンキは理解する努力を投げだした。それから、気になったことを聞くために言葉を続けた。
 「さっき、"私たち一族"って言ってたよな。……どこかに行けば親戚とかがいるのか?
 ……リュオンがあなたを追っていて、錬金術師が摂政の差し向けた者ならそこに行けば何とかなるんじゃないのか?」
 「……"邪王の一族"は常に一人しかいないの」
 「……え?」
 「"邪王の一族とは邪王の遺産を引き継ぐ者。しかし、その遺産は物理的に引き継がれることはなく、儀式によって引き継がれる。遺産とは全てが物質ではなく知識などの形無きモノも含まれる。遺産は一人から一人にしか引き継がれない。邪王の知恵と遺産を引き継ぎ、その血が邪王に辿れる者これを邪王の一族とする"。……これが私たちの定義」
 「……すまん、またよく解らないのだが」
 くす、とエレオノーラは笑った。エンキは少々居心地が悪くなった。
 「いえ、その悪い意味で笑ったんじゃないのよ。……正直でいいわね、と思ったの。
 ……そうね、簡単に言えば邪王の血を引いて邪王の遺産を引き継いだものだけが"邪王の一族"なの。血を引いてるだけでは一族にはなれなくて、遺産と呼ばれる知識やモノも受け継がなければならないの。それらは物理的に分けることができない非物質ものも含むから、"邪王の一族"はいつの時代も常に一人しかいないようになっているの」
 「……、なんとなくわかったが、いつの時代にも一人ならどうして一族なんていうんだ?」
 「"縦に連なる子々孫々、これを一族と呼ぶ"としたらしいの」
 「なるほど……」
 エンキはそういった後、コツコツと右手の指でこめかみの辺りを叩いた。
 「……痛む?」
 「いや、そうじゃなくて」
 うーん、とエンキはうなった後申し訳なさそうに言った。
 「邪王、ってのは?いや物を知らなくて申し訳ない」
 「え。あ、ああ……ごめんなさい」
 エレオノーラはさすがに首を振った。配慮が足りなかった。
 「ええとね、邪王っていうのは、金獅子王の腹心だった人なの。金獅子王っていうのはわかるかしら」
 「それは……二千年ほど前に大陸を統一した唯一の人物、だったかな」
 「あたり。私たち一族の始祖はその王の腹心だった男なの。名前は残ってなくて"邪王"って呼ばれてるわ」
 「……ふむ。で、あなたの始祖がその邪王であることと、リュオンの摂政があなたを追い回しているのとは、関係があるのか?」
 それはエンキが真に聞きたかったことだった。
 エレオノーラはその言葉に頷く。
 「たぶん、あるわ。邪王は広い知識と知恵と深い思慮のある人だった。……その知識は綿々と儀式によってひとつも零れることなく子孫に伝えられているの。……摂政はこの知識を利用したいのだと思うわ。それと、この刀と指輪」
 そう言ってエレオノーラは指輪と刀を彼の前に出した。
 「……と、言うと?」
 「邪王の知識というのは、天空父神と大地母神がこの世界を創ったときから未来永劫までの全ての物事についての知識だって言われているの。だけど、私はそれを使いこなせていないからそれが本当のことかはわからないの」
 「……ちょっと待ってくれ。"世界が創られたときから未来永劫までの全ての知識"だって?」
 エンキはさすがに疑わしげな声でたずねた。するとエレオノーラは弁解するように言った。
 「本当のことかはわからないっていったでしょう……。ともかく、私が受け継いだ知識はそれほどに重要なものなのよ」
 「じゃあさっき"検索"って言ったのは、その受け継いだ知識の中を探したのか?」
 「そうよ。あたり」
 くらぁ、と眩暈がするのをエンキは感じた。そんなエンキを見てエレオノーラは笑った。
 「しっかりしてちょうだいエンキ。私はあなたの知りたいことの半分も話してないわ」
 「……続けてくれ」
 右手で頭を支えながらエンキは続きを促した。
 「じゃあ、続けるわね。……この刀と指輪はね、天空父神と大地母神が世界を創ったときに使った道具のかけらなの」
 「……は?」
 「信じるか信じないかはあなたに任せるけど、それほどの力を持ったモノたちなのよ。
 ……呪具、と呼ばれているわ。強大な力をもったモノ。世界を混乱に落とすぐらいはできるかもしれない」
 「……。摂政は、あなたの受け継いだ知識とそれらを手に入れたい?」
 「たぶん、ね」
 やっと、エンキの中で合点がいった。
 エレオノーラは逃げている。親戚等はいないようだ。
 彼女は先祖から受け継いだ膨大な知識と巨大な力を持つ"呪具"という道具を持っている。
 そのために野望を持つリュオン王国の摂政に追われている。だから逃げている。
 ――……たぶん、そういうことなのだろう。
 そう頭の中で整理する。そのために不意に黙り込んだ彼をエレオノーラは覗き込んだ。
 「エンキ?」
 「ああ……すまん、情報をいっぱい詰め込まれたんでね。ちょっと混乱してる」
 「そう……」
 少し不安そうな顔をしたエレオノーラにエンキは苦笑してみせる。そして、突如。
 「あっ!」
 と言った。その声にエレオノーラは面食らう。
 「な、なに?」
 「……、俺、得物盗られたな……」
 「あ。」
 遅まきながら気づいた現実だった。エンキの剣は錬金術師に持っていかれてしまった。エンキは思わず髪をかきむしった。
 「くそったれ。丸腰で歩き回れってのか……」
 「……どこかで鍛冶屋をさがさなきゃ、ね。それまでは私が何とかするわ」
 エンキはまたしてもエレオノーラの世話になってしまう、となんとも情けない気持ちになった。
 
 
 
 ――二人がいる国境近くから、東へ遠く。リュウジョウ、という場所がある。今ではリュオン王国の一地域になってしまった東ノ国のかつての首都だ。東ノ国の民は、遊牧と狩猟の民である。もともとリュウジョウとは竜城と書き、特定の場所ではなく"長の天幕のある場所"の意味であった。しかしリュオン王国に降って以降、長の天幕の場所は固定され、そのため竜城はリュウジョウという場所の名前になった。
 その、固定された長の天幕の仕切られた一室に、白い袍を着た男が胡坐をかいて座っていた。男の後ろ髪は長く、後で束ねられている。男は瞑想するように目を瞑っていたが、不意に言葉を紡いだ。
 「何か御用でしょうか?」
 その言葉に反応したように、ずぶ、と彼の目の前の床がせり上がる。それはやがて人の形をとり……
 「お久しぶりです、カムイ」
 「……こちらこそお久しぶりです、錬金術師殿」
 そこで男は目を開けた。深い黒の瞳があった。
 「何か御用でしょうか」
 丁寧な中にも不快の色を混ぜて、カムイと呼ばれた男は言った。錬金術師は口元でにこりと笑う。
 「珍しいものが手に入りましたので、お土産にと」
 そして、どこからともなく布で包んだ細長いものを取り出す。恭しく差し出されたそれを、カムイと呼ばれた男は静かに受け取った。
 「これは……?」
 「どうぞ、開けてみてください」
 カムイと呼ばれた男は手早く布を解いていった。そこに現れたのは、一振りの鞘のない剣。
 「……これは……」
 柄にリュオン王国の印。鍔には月と後足で立ち上がる馬が描いてある。
 「……リュオン軍に貸し出した我等が騎馬隊に与えられた剣ではありませんか」
 カムイと呼ばれた男は切っ先を天に向けた。そして、剣の向こうから錬金術師に目をやる。
 「これが何か」
 「あなたならソレがダレのモノか解る筈ですよ」
 そう言われて、カムイと呼ばれた男は剣をくるりと回し地面と水平になるように両の掌の上に乗せると目を瞑って意識を集中した。そして数瞬後、目を見開く。
 「これは……」
 「お解かりになられましたか」
 「……どこでこれを?」
 慎重な声でカムイと呼ばれた男は訊いた。錬金術師は隠し立てをせずに答える。
 「国境の向こうです。国境のすぐ近く、ローランド皇国側です。どうせカムイであるあなたのことですから、"まじない"で大体の場所は見当がついていたはずでしょうが」
 その言葉に、カムイと呼ばれた男は答えない。その代わりに深々と頭を下げて、言う。
 「貴重な情報、有り難く頂戴いたしました。……そろそろお引取りいただきたく」
 「おや、冷たいですね」
 くすくすと錬金術師は笑う。そして両手を広げた。
 「まぁ、リュオンの摂政に組している者に対しては十分すぎる丁寧さでしょうね。それでは」
 そして彼は、床に融けた。それを見届けると、カムイと呼ばれた男は静かに呼んだ。
 「……モレ」
 「……ここに」
 答えたのはやわらかな女性の声音だった。そして、奥の隠し布がそっと上がり若草色の騎乗衣を着た女が一人現れる。
 「話は聞いていたね?」
 「はい」
 モレとは女の名前だった。モレはそっと男の隣に跪く。男はモレの方を見ずに話し続ける。
 「……長は生きています。これのおかげで確信が出ました。しかし、私の力でははっきりとした場所はわかりません。……と、いうより長の気が追えません。何かが変わってしまいました」
 「……」
 カムイと呼ばれた男はじっと剣を見つめた。
 「……これから読み取れたことがあります。まず長は一人ではありません。そして長は、その誰かと共に二つの場所を目指しています。1つは宝妖の都、もう1つはローラントの首都」
 そこで初めて、男はモレを省みた。
 「追いつくのは不可能でしょう。先回りするしかありません」
 「……宝妖の都は危険です。ローラントに回り込みましょうか」
 「できれば、それを。……モレ」
 それから男は気遣わしそうに言った。モレはやや下げていた顔を上げ、男の目を真っ直ぐに見返す。
 「頭たちが騒ぐといけないので、隊を動かすわけにはいきません。……お前一人で行くことはできますか」
 するとモレは迷いなく答える。
 「行けます」
 男はその言葉に少し寂しそうな笑みを見せる。
 「せめてオゴダイの怪我がもう少し良くなっていれば、一緒に行かせるのですが。あの子は長を探したがっている」
 「弟のことはカムイにお任せします」
 「わかりました。よく見張っておきますよ――ああ、そうだ。駿馬を一頭連れて行くといい。アテルイが適任でしょう。あれはあなたによく懐いている。それと……」
 男はすっくと立ち上がった。そして、手近なところにあった私物を入れた箱の蓋を開ける。
 そこから小さいがずっしりとした革の袋を取り出し、モレに手渡す。
 「これは、私のヘソクリです」
 先程の真面目な口調に少し茶目っ気を混ぜて男は言った。
 「道中何か役に立つでしょう。持って行きなさい」
 「そんな、いただくわけには」
 金が入った袋を返してこようとするモレの手をそっと包み込むように握ると男は言った。
 「女の一人旅です。何かと役に立つでしょう。もともとこのようなときのために隠しておいたものです。受け取りなさい」
 そこまで言われては、受け取るしかない。モレはおずおずと袋を胸の前にもっていった。
 男は微笑む。
 「途中、よかったら装身具でも買いなさい。髪飾りとか」
 「でも」
 男の申し出に、さすがにモレは戸惑いの表情を見せた。男は微笑みながら付け加える。
 「それは、私からのお礼ですよ。さぁ、すぐに準備をしなさい。今日発てば、ローラントの首都で必ず長と再会できますよ。"まじない"でそうでましたから」
 「……はい」
 そう言って立ち上がったモレを見送ろうと男も立ち上がる。それから、思い出したように再び付け加える。
 「……"長と一緒にいる誰か"、は強大な力を内包しているようです。危険な方ではないようですが、刺激しないようになさい」
 「はい」
 そこで、モレはくるりと男に向き直り深く礼をした。
 「行ってまいります」
 「気をつけて。道中、大地母神の加護がありますよう」
 モレはその言葉を聞くと、花がほころぶような笑みを見せて出て行った。
 カムイと呼ばれた男はその笑顔に一瞬嬉しくなりながらも、すぐに誰もいない部屋で厳しい顔つきになった。
 ――……バトゥー……。
 男の脳裏に浮かんだのは、決して美男子とはいえないが強い意志を秘めた黒い瞳をもつ造りのいい顔立ちの男だった。
 ――おまえ、今どこで何をしている……。"エレオノーラ"とは誰なんだ……。
 
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