戻る Home 目次 次へ

「魔法使いと記憶のない騎士」
第十四話
宝妖の子
―狩人の犠牲者―

「どっどうしたんですかそれっ!」
ギィグランダは文字通り飛び上がらんばかりに、驚いた声を出して文官に駆け寄った。
「噛まれたわ」
「バルレインにですか」
「あの子、普通の子より犬歯が鋭いのねぇ。牙みたいだったわ」
そう言ってエルファマナーラはほら、とギィグランダの目の前に手を突き出す。ギィグランダはその手をパシっと握り傷を確かめた。
「掌に穴が空いてます」
「そうみたい」
「……、消毒しましょう」
そう言ってギィグランダは傍にあった小さな棚の引き出しを開けガサゴソと薬を探し出した。エルファマナーラはその間に自分のソファに座ると手首を押さえて止血しようとした。
だが鮮血が落ちる。
エレオノーラが青い石の指輪を取り出そうとすると厳しい声で言った。
「ダメよ。治癒力が落ちるわ。これくらい自然回復させなきゃ」
エレオノーラはその言葉に素直に従い、ソファに座りなおした。それとほぼ同時にギィグランダが薬と包帯を見つけ出し、エルファマナーラの傍らに跪いた。
「手を出してください」
エルファマナーラは言われるままに、二つ赤い穴が開いた掌を上にして手を差し出した。
そこへギィグランダは消毒薬を振りかける。
「染みませんか?」
「染みるけど、仕方ないわ」
エルファマナーラはため息をつきながら言った。ギィグランダは手早く傷の周りを拭くと包帯を巻いた。それが終わると、エルファマナーラはほっと息をついた。
「ありがとう」
「いいえ」
それを心配そうに見ていたエレオノーラが訊ねた。
「バルレインって言う子が、それを?」
エルファマナーラは苦笑を持ってそれに答えた。
「悪い子じゃないのよ、ちょっと人よりひねてる子だけれど。それで今はいじけていて、自分が生まれた洞に篭城しているの。手を差し入れたら噛まれたわ」
「そのうち居辛くなって出てくるでしょう。あの子は洞に入るにはギリギリな大きさですし」
「そういう問題じゃないでしょう」
ギィグランダの言葉にエルファマナーラはぴしゃりと冷水を浴びせた。
「元はといえば、あなたが配慮のある言い方を選ばなかったから彼はいじけてしまうことになったのよ」
その言葉にギィグランダはむきになって言い返す。
「しかし、無駄に希望のあることを言っても後で傷が大きくなるだけです」
「成長にも挫折が必要だわ。あなたは転んで手をつくことの知らない子の前から、指先ほどの小石を取り除くようなことをしたの」
「指先ほどではありません、確実に躓く石です」
「そうだとしても、あなたのやり方は将来的に見て過保護だし、刹那的にも彼を傷つけたのよ」
突然語調を荒げて議論しだした宝妖に人間二人は面食らった。
そこへ割り込んだのは、宝妖と古くから知り合いだったエレオノーラだった。
「二人とも落ち着いて。一体どうしたの?」
すると、宝妖の男女は同時にため息をついた。
「私たちが受け持っている子どもたちは、行政官志望の子なの」
「年齢的にまだ武官になるか文官になるかはっきりしない子が多いのですが、バルレインは武官になりたいと申してまして」
「それを、ギィが切り捨てたのよ。なんでも素質がないらしいわ」
「事実です。彼は魔力は強いので魔法は上達するでしょうが、戦闘センスがないんです」
「でも全くというわけじゃないのよ。努力すればなんとかなるかもしれないし、その努力が実らなかったとしても得るものはあるの」
エルファマナーラが言い聞かせるような語調で言うと、ギィグランダは断固とした口調で言った。
「彼は強い魔力を生かして文官になった方がいいんです」
「ちょっと待った。」
再び熱い議論が始まりそうになったとき、エンキが右手を挙げて二人を制した。
「部外者の俺が言うのもなんなんだが、多分それは結論のつかない議題だと思う」
「そうね。それにそれはもう終わってしまったことなんだし、これからバルレインという子のフォローややる気を起こさせるための相談をした方が建設的だと思うわ」
エレオノーラがそれを援護する。すると宝妖の二人は互いの顔を見た。
「それもそうだけど、今後同じような事態になったら――」
「それは、そのときの状況と、その子の性格を考えてやるべきじゃないかしら」
「……たしかにそうですね……」
はぁ、と教育行政官たちはため息をついた。
「とりあえず、その子には文武両道に教育していったらいいさ。それにもともとまだどちらになるか決まっていない子たちの集まりなんだろろう?」
「そうね、ギィは特に『この子はだめだ』と思って教えちゃダメよ」
「はい……」
心当たりがあるのかギィグランダは俯いた。
「それにしても、バルを洞から出さなきゃ。イジケ虫になってるから……」
エルファマナーラは気を取り直してそう言った。そのとき思わず拳を作ったので、掌に痛みが奔り思わず顔をしかめる。
「……というか、その子の親はどうしているんだ?」
エンキが思わずそう聞くと、エルファマナーラは数瞬首をかしげた。
「おや?……ああ、"掘り主"のことね」
「"掘り主"?」
「ええ。私たちには人間みたいな血のつながった親というのはいないの。
私たちは種宝を種として、木の洞から生まれるからね。種宝は鉱脈から掘り出されるんだけど、その鉱脈から掘ってきて洞に入れて成人するまで育てる同族のことを"掘り主"というの。人間で言えば育ての親と言ったところかしら」
「なるほど。で、バルレインって子はまだ成人していないんだろう?親、じゃなかった"掘り主"はどうしたんだ?」
「狩られたわ」
エルファマナーラはさらりと言ったが、空気が凍った。エンキは隣でエレオノーラが息を呑むのを聞いた。
「半年くらい前になるかしらね。彼女も行政官だったわ。見回りの途中で襲われたみたい。
組んでいる武官の伴侶も一緒に……」
「……、バルレインが武官になるって言い出したのもそのころですね」
ふと、ギィグランダが言った。それにエルファマナーラははっとした顔をした。
「……」
沈黙が下りる。それを破ったのは穏やかなエルファマナーラの声だった。
「……、さて、……夕飯にして明日に備えて休みますか」


宝妖も人間と同じで、口から他の物質を摂取することで栄養を得て生きている。
しかしそこには肉は決して並ばない。彼らは野菜や木の実だけの食事をする。
甘い果実酒にクルトンのサラダ、胡桃入りのパンにピクルス、そして樹海でしかとれない変わった果物もたくさん並べられ、食卓は鮮やかだった。
「お酒よりミルクがいいかしら」
ギィグランダが料理を皿にとりわけ、エルファマナーラが運ぶ。客人二人は座っているだけだった。
その傍らエルファマナーラは客人に尋ねた。
「私はそのほうが嬉しいわ」
エレオノーラがそう答えると、エルファマナーラは据え置きの小さな貯蔵庫から一抱えある大きな木の実をとりだした。そして、包丁のケースから丸刀のようなものも取り出す。
それを右手に握ったまま、空いた手で木の実の表面を探る。そして一箇所にアタリをつけた。
「ここが柔らかそうね」
そして、その面を上にして丸刀を突きたてようとした。が、それを振り上げたところでヒョイとギィグランダに得物をとられる。
「文官は非力ですから、危ないです」
「この位わたしにもできるわよ」
「ダメです」
きっぱりとギィグランダは言うと木の実の前からエルファマナーラを押しのけた。
エルファマナーラが少々眉根を寄せたのも気に止めず、さっくりと丸刀を差し込んでくいっと手首を捻る。するとその部分にまるで栓をぬいたかのような穴が開いた。
そして木の実から切り取られた部分が滑り落ちる。それは乾いた木の色をしており、厚さこそそれほどでもないがかなりの硬さを持っていた。エンキはそれを拾い上げて、ギィグランダがエルファマナーラを押しのけたことを納得した。
そして、穴が開いたところに押しのけられていたエルファマナーラが横からストローの様な物を取り付けた。それは口をつけるには大きすぎた。そしてその先端をエレオノーラのグラスに持っていく。するとストローから乳白色の液体が零れ始めた。なるほど、確かに一抱えもある木の実を傾けて液体を出すのは大変である。エンキが半ば感心してみていると、エレオノーラがそれに気づいた。
「飲んでみる?」
「え。……というかそれがミルクなのか?」
「そうよ。でも牛のものより美味しいわ」
目の前にグラスを差し出されては断ることができない。エンキはグラスを口につけて傾ける。
確かに、普通の物より甘みが強くまるい舌触りだった。
「白生樹が唯一つける木の実なんです。実際に母乳代わりにしている者もいるんですよ」
「はくうじゅ?」
「ああ、言ってませんでしたか?我々のは我々の白い木のことをそう呼んでいるんです」
「そうなのか」
エンキはそう言って、宝妖のミルクを一気に飲み干すとグラスをエレオノーラに返した。
エレオノーラはそれに新たにミルクを注ぐ。
宝妖の二人も席につき、食事が始まった。



食事を終えて各自が休むことになると、エルファマナーラはバルのことは心配しないで、私たちの仕事だからとエレオノーラに言った。そして、彼女はどこかへと出かけていった。
それを見送って、エンキとエレオノーラは一緒に旅を始めて以来始めて別々の部屋で眠った。



翌朝、エンキは金色の光が瞼の向こうから差し込んできたことで目を覚ました。
思っていたより深く眠っていたようだ。昨日一杯もらった果実酒がよかったのだろうか。
部屋を出るが、同じ階に気配はない。
――しまった、寝すぎたか?
そう思いながら階段を下りると、ギィグランダが手持ち無沙汰にキセルをふかしていた。
それからふとエンキに気づいてにこりと笑う。
「おはようございます、良く眠れましたか?」
「ええ、それはもうぐっすりと」
そう答えてからエンキは辺りを見回す。それを見てギィグランダはひとつキセルを吸ってふわりと煙を吐いてからこう言った。
「エレオノーラならエルと一緒に長老のところに行きました。朝一番に行かないと、今は元老会がちょうど開かれているから面会ができないんです」
「ああ、そうですか……。俺、顔に出てました?」
言い当てられたことに気づいて、エンキは思わず自分の顔を指差して聞き返した。
ギィグランダはにこりと笑う。
「これでも僕も教育行政官のはしくれですから」
「はあ」
「それにあなた、エレのこととても気に入ってるみたいですから」
そう言ってギィグランダは再びキセルを口に含んだ。エンキはその言葉の意味を図りかねている。
「気に入ってる、というか彼女以外に頼る人が居ないというか……」
「ああ、事情は覚えています。……エレの方もあなたを気に入ってますよ、安心してください」
「はぁ」
またまた意味を図りかねてエンキは首をかしげた。そんなエンキにギィグランダは言った。
「朝食、できていますが食べますか?」
「いただきます」
「わかりました。その後僕の工房に行きましょう。得物を見せてください」
エンキはその言葉に深々と頭を下げた。

宝妖の武官職の者は工房をひとつ与えられるという。それは第一層の商業区のはずれにあり、鍛冶屋を副業にしている者も少なくないという。
ちいさな工房だが、よく整理してあり使い勝手は良さそうだった。火を焚く炉もあれば、水の出る蛇口もある。
「立派なものだな」
そう言うとギィグランダは誇らしそうにした。
「長たちがくれるのは場所だけなんです。これでも整備が大変でした。
さて、それでは得物を見せてもらってもいいですか?」
言われてエンキは手に携えてきた青竜偃月刀を差し出した。ギィグランダはそれを受け取って一瞬よろける。
「意外に重いですね。……ああ、刀刃と柄の連結のところが悪くなってますね。それに握りの部分が減ってる。柄を変えたほうがいいでしょう」
「……できるだろうか?」
「ええ、できます」
ギィグランダはさらりと言った。エンキはほっとしつつ、問題があることを思い出した。
「俺はほとんど持ち合わせがないんだが」
「ああ、それなら構いませんよ。こういう珍しい武器を見れただけでも、役得です」
「……それはそれで申し訳ないんだが……」
エンキは工房を見回す。綺麗に片付けられている。ただ、所々埃を被っているところが見受けられる。それを見て何か思いついたエンキは問う。
「掃除、してもいいだろうか」
「?あ、そんな気になさらずに」
ギィグランダは本気で気にしていない顔で言った。しかしエンキはそれに首を振る。
「それしかできない。あとは水汲みとか。……力仕事ならできるから、何でも言ってくれ」
その言葉をギィグランダは渋々承諾した。



まずギィグランダは青竜偃月刀の造りを確認すると言う。
柄と刀刃がどのように連結されているのかを調べなければならないらしい。
エンキは工房の片隅で所在無げにしていた箒を取り上げ、木屑などが落ちている床を掃き清め始めた。
そしてちりとりを使ってゴミを集める。中にはキラキラと輝く屑もある。不思議に思ってそれを取り上げると、ギィグランダがそれを見とめたのか声をかけてきた。
「種宝と同じ鉱脈からとれる硬い鉱物なんですよ。そのわりに削りやすいので、よく工芸品や装飾品にして輸出してます」
「へぇ……。そういえば、種宝が採れる鉱脈ってどういうものなんですか」
好奇心にかられて質問すると、ギィグランダは微笑んでいった。
「それは宝妖だけの秘密です。採掘の仕方も、場所も」
「……それもそうか」
自分たちの命であるモノが埋まっている場所など簡単に公言しないだろう。
しかしギィグランダは得物を検めながら少しだけ教えてくれた。
「種宝と工芸用の鉱物は掘り方が違うんです。鉱物は発掘職人が掘り出しますが、種宝のほうは子どもが欲しいと思った二人一組の宝妖が鉱脈にいくつかの特殊な道具をもって掘りに行くんです。
……二人一組、というのは人間の世界で言えば夫婦のようなものでしょうかね。ただ人間と違うのは、私たちの性別と言うのはあってない様なものなので同性同士でも子どもを得られるということです。ただ、洞から出た後はしばらく母乳が必要になるので男同士だと苦労するらしいですよ」
「……もしかして昨日の夜いただいた"ミルク"で育てるのか?その場合」
「そうなりますね」
「おもしろいな」
エンキが感想を述べると、ギィグランダは肩をすくめた。
「私たちにしてみれば、人間や野獣の生殖行動がオモシロイものですね。あれは不可思議です」
「……なるほど。そういえば、洞に種宝を入れるって言ったが、洞の中には何があるんだ?
人間や動物は、母親の腹の中にいるときは母親から栄養を分けて貰って育つんだが」
「洞は普段空洞ですが、白生樹が洞に種宝が入ったことを認識すれば洞の中が水のようなもので満たされるんです。そのなかで種宝は育ちます。
……時折幾ら待っても水で満たしてくれない洞もあるんですが」
「……そうなのか……」
エンキは宝妖の成り立ちに納得すると、右手に握っていたちりとりに目をやった。
「……ゴミはどうすればいいだろうか」
「表にゴミをいれる箱があるんです、そこに入れてきてもらえますか」
「わかった」
エンキは箒とちりとりを持ったまま外に出た。ドアのすぐよこに蓋付きの大きな箱が置いてある。開けてみると削り屑が入っていたので、その上でちりとりを傾ける。
そして、蓋をぱたんと閉めたときだった。
「にんげん……」
子どもの声が頭上から降ってきた。
思わず振り仰ぐと、上の層から子どもが飛び降りてくるところだった。しかも悪いことに、その子どもは木の棒のような物を精一杯振り上げている。
「?!」
エンキは思わず持っていた箒を振るってしまった。そして箒の先がばふっと子どもの顔にクリーンヒットした。
子どもはべし、と着地に失敗して背中から落ちる。
「あ、いやすまん。」
エンキが箒とちりとりを投げ捨てて駆け寄って子どもを起こそうとすると、子どもは器用に地――いや、枝を蹴って立ち上がると同時にエンキから離れた。
そして、そこで木の棒を構えなおす。
額にはサファイヤのような蒼い種宝があった。髪は鳶色で、目は怒っているのか吊りあがっている。少年だ。
「な、なんだ、お前?」
子どもは何も言わずメチャクチャに棒を振り回しながら向かってきた。
「?」
エンキは難なくそれをぱしっと片手で受け止めて、動けないようにする。
「はなせっにんげんっ!」
「そう言われても、離したらお前これで俺のこと叩くだろう……」
「はーなーせー!!!」
自分が棒を離すという思考はないようだ。エンキは半ば呆れながら子どもを見下ろしていた。
――はて、何かしたかな。
記憶を辿ってみても、子どもに何かした覚えはない。
「バーーーーール!!!」
ふと新たな声がした。見ると、商業区域の方から少女が駆けてくる。エンキはその子に見覚えが会った。少女はルビー色の種宝を持っており、昨日エルファマナーラとギィグランダに群がっていた子どもたちの中にもその種宝を持つ子がいたのだ。
そして少女はエンキたちのすぐ近くで立ち止まった。
「バル、やめなさい!!」
ピョンピョン跳ねながら少年に訴える。しかし少年は
「いーやーだー!!」
としか言わない。仕方ないのでルビーの種宝の少女はがしっと少年に抱きついて、引き剥がそうとする。
しかし少年はエンキと少女の両方に
「はーなーせー!!!!!!」
と言うだけだ。
エンキは一瞬棒から手を離すことを考えたが、いきなりそんなことをすれば勢い余った宝妖の子どもたちは尻餅をつくことになる。しかもそうなれば確実に少年を止めようとしている罪なき少女が少年の下敷きになることになる。
――まいったなコレは。
少年と少女の引っ張る力は大したものではないが、少年が疲れるまで待つしかないのか?
エンキがほとほと困り始めたときだった。
「バルレイン!なにをしている!」
工房の方から、低く地を轟かすような声が放たれた。すると少年は棒を手放し、きっとそっちの方を睨んだ。
そこにはギィグランダが仁王立ちしていた。
どうやらこのサファイヤの種宝に鳶色の髪を持つ少年が、昨日から問題になっているバルレインという子らしい。
エンキは困ったように子どもたちとギィグランダを見比べた。
そして念のため、木の棒を小脇に抱え箒を拾い上げた。

戻る  Home  目次  次へ