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「魔法使いと記憶のない騎士」
第十六話
飴と鞭
―重なるおもいで―

「やーーーーーーーー!!!」
バルレインは声を上げて剣を振りかざし、エンキに突進してきた。
エンキはもちろんそれを軽く避ける。そしてそのままバルレインの後ろに回りこむ。
勢いを付けすぎた少年は、かなり先で足に体重を乗せやっと止まる。
「――ギィグランダはお前に何も教えてないのかな」
エンキはその背中に向けてぽつりと言う。バルレインにはそれが聞こえたらしい。こちらに向き直り、剣を構え叫ぶ。
「ギィなんて大っきらいだ!」
そう言うなり、再び向かってくる。エンキは今度はそれを避けず、剣で受け止めるとそのまま押し返した。
――少年は背中から地面にぶつかった。
「バル!」
広場の片隅で見ていたマナアクアが悲鳴のような声を上げた。エンキは彼女を肩越しに振り返った。エンキの視線に捕らえられて、少女ははっとした顔になりそして何かを悟った顔になる。そして唇をぎゅっと引き結び、胸の前で手を握る。
――賢い子だ。
エンキはそう思い、再び視線を前方に戻す。バルレインがもがいて、立ち上がろうとしていた。
その間に、エンキはゆっくりと歩く。そして、バルレインの頭の方でピタリと立ち止まる。
バルレインは咳き込んでいた。背中から衝撃が肺に達して、呼吸を邪魔したらしい。
エンキはそれを見下ろす。バルレインは苦しい息の下、ギッとにらみ返してくる。
「――起て」
――たて。
脳内で、誰かの言葉と自分の声が重なった。
ちくり、とこめかみが痛む。
「――起て、バルレイン」
――たつんだ。それでわしに勝つ気か。
自分の無感情な声と違い、頭蓋の中で響く声は微笑んでいて優しい。
エンキはそれを振り払った。
バルレインは肩で息をしたまま起き上がり、再び剣を構える。
「くっそぉー!!」
そして彼は剣を振り回す。
カンカンカン、と三度金属がぶつかる音がして、ふたたびバルレインは背中から落下した。
「げっほ、ごっほ」
地に手をつき、むせる。
マナアクアがわずかに身じろぎしたのが感じられた。
けれどエンキは倒れこんだソレを表情のない目で見下ろしていた。
「たて。相手をしてやる。たて」
――ほらほらどうした、もう終わりか。
また頭の中で、声。
「"にんげん"が憎いんじゃないのか。親を殺されたんだろう。そんなもんじゃないだろう、どうした、来い」
その言葉に、ぎっとバルレインは視線をきつくする。
「来い。」
少年の目には涙が浮かんでいる。エンキは剣を構える。
少年はまた、今度は意味のわからない言葉を喚きながら突進してくる。
金属のぶつかる音。
力任せの攻撃は、決してエンキに当たる事はない。そしてエンキは踏ん張っていた足から力を抜き、バルレインの右へと抜ける。力が吸収されるべき場所を失ったバルレインの体は、前へと傾ぐ。エンキはその肩をトンっと押してやった。
バルレインはそのまま白い地面へと倒れこんだ。
「バル!」
――あなた、やりすぎです!
少女の心配そうな声に、別の誰かの声が重なる。エンキはそれを首を振って追い払うと、剣を下ろして言う。
「起て」
バルレインはじたばたと足を動かすだけで、体の下に腕を入れたまま動こうとしない。
よく耳を澄ませば、啜り泣きが聞こえる。
「なぜお前がやられっぱなしか、わかるか?」
エンキは剣を下ろし、言う。
「お前は怒りにとらわれて、怒りのままに行動しているからだ。
殺気も怒気も相手に見えるほどで、力任せに行動しているからだ。
怒りに支配されるな。向かって来い。感情を操れぬ者に、剣が操れると思うのか?」
バルレインは足をばたつかせるのをやめて、立ち上がる。けれど背は向けたままだ。
「怒ってもいい。怒りは時に力になる。だがな、お前はどうするんだ?
お前はその怒りの力で一体なにをするんだ?怒りから得た力で、どうしたいんだ?」
少年はついにこちらを振り返った。
その頬は涙で濡れている。エンキを睨みつける目は、子どもの目だ。
怒りのままに少年は動いている。
復讐なんぞという複雑なものを、彼は知らない。
少年はただ純粋に、怒りと悲しみのはけ口を求めているのだ。
エンキは再び、剣を構える。
「来い!」
その言葉に、少年は迫ってきた。
「わぁぁぁぁぁ!!!」
エンキはまっすぐに少年の剣を受ける。
「怒れ、怒れ、だが怒りに支配されるな!」
そして少年を優しく押し返す。
「力の配分を考えろ!」
少年は再び、エンキに向かって突進する。そして剣がぶつかる。
「制御しろ!」
――感情を!
まっすぐにエンキに向けられていた力が不意に緩んだ。そして剣は目にも止まらぬ速さで、力の方向を変えエンキの脇腹狙った。
しかし、その剣は受け止められる。
「そうだ、それでいい!」
少年は飛び退る。
武官になる、と言う言葉はかつて自分と同じ経験をしたギィグランダに受け止めてもらいたいがために出た無意識の言葉だったのだろう。
しかしギィグランダは、バルレインの感情がわかりすぎた。だからこそ、少年を受け止めることができず、彼を突き放した。
少年の心が復讐に向かうことに、無意識に怯えたのだ。彼も一時期そんなことを考えたことがあったのかもしれない。だから武官になれんと言った。無意識に。
そして――受け止めてもらえる存在を見失った心が荒れたのだ。
「ほら、どうした、来い!」
少年は向かってきた。カンカンカン、と剣のぶつかる音。エンキは最後の衝突で、少年を押しやろうとした。けれど少年は、その力を利用して飛び退る。
「そうだ!」
――上手くなった!
頭の中に自分のものではない声が響く。それは喜びに満ちていた。
しばらく、剣の打ち合いが続く。少年の瞳からは、もう涙は流れていなかった。ただただ、剣を打ち合うことに集中している。
そうだ、とエンキは心のうちで少年を励ます。
そうして、数分後。バルレインは再びエンキに弾き飛ばされた。しかし今度は背中から着地せず、尻餅をつく。
そして尻餅をついたまま、白い枝の地面に手をつき体を支え、はあはあと呼吸をする。
もう攻撃の意志はない。
エンキは少年に歩み寄る。
そしてその傍らに片膝をつく。バルレインは不思議そうにエンキを見上げる。エンキは剣を地面にそっと横たえると、その手を少年の鳶色の髪の上に乗せた。
「できるじゃないか」
そう言って、バルレインの頭をぽんぽんとたたく。すると少年の目にみるみる涙が溢れてきて、わあんと喉が音を出した。
エンキは白い広場に座り込み、少年を抱きとめてやる。
「ほらほら、泣け泣け」
――小さいうちに泣いておくんだ。男はなぁ、大人になると泣けないんだ。
頭の中でまた見知らぬ声が響く。エンキはこめかみにはしる痛みをぐっとこらえた。
少年は、"にんげん"の胸にしがみついて泣いた。そして"にんげん"には解らない言葉を数語呟く。
エンキが後で知ったのは、その言葉が人間の「おかあさん」「おとうさん」という言葉に相当するということだけだった。
広場の隅にいた、賢く優しい少女も駆け寄ってきた。少女も何故か、ないていた。



エンキは少年と少女の泣き声を聞きながら、またこの場のものではない声を聞いていた。
『あなた、それ以上なさらないでください。もういいじゃありませんか』
優しい大人の女の声。
『そうはいかん。こいつはわしの後継者だ。ちゃんと強くしなければ。
いいか、お前。強くなるには第一に感情を制御することだ。感情のままになっては決してならん。』
厳しい、だが包容力のある大人の男の声。
――……のこえ、だ。
エンキは遠くを見て、そう理解した。だが考えると同時に頭は真っ白になり、途端声は遠ざかる。
『……ゥー、鷲になれ。草原を見渡す、鷲になれ……』
その言葉を最後に、エンキはその優しい声たちを二度と思い出せなくなった。



……どのぐらいそうしていただろう。
エンキがはっと気づくと、降り注ぐ黄金の陽光に朱の気配が混じっていた。
「夕方か……?」
そして、腕が重い。見下ろしてみると、泣きつかれた宝妖の子どもが二人腕の中で眠っていた。
エンキは苦笑して、器用に二人を抱え上げる。眠っている子どもは重い。二人となればなおさらだ。
でもどうしたらいいのかわからないので、エンキはそのままギィグランダの工房に戻ることにした。



「ああ、エンキさん!」
工房に戻ると、ドアのところでばったりとギィグランダと出くわした。
「どこ行ってたんですか?って、マナアクアとバルレインじゃないですか」
そう言って、ギィグランダは慌ててマナアクアをエンキから引き取った。その移動の所為でマナアクアは目を覚まし、寝ぼけ眼で辺りを見回した。
「うにゅー?」
「はいはい、ここは僕の工房ですよー」
そのやり取りに、エンキは思わず笑う。
その笑い声で、今度はバルレインが目を覚ました。やはりマナアクアと同じようにぼぅっと辺りを見回すが、エンキと目が合うとぱっと瞳の中のもや消え去った。
「うわわわわ」
そう言ってエンキの腕の中でもがく。エンキは仕方ないので、バルレインを下ろしてやった。
下ろされると、バルレインは二、三歩後ずさりした。エンキは逃げるのかと思ったが、バルレインはエンキを見上げるだけでその気配はない。
「?なんだ?」
エンキが困った顔でそう問うと、バルレインの顔が真っ赤になった。エンキは首を傾げる。
「あの……」
「うん?」
「あのぅ……」
ぎゅう〜〜〜〜〜。
少年の口から言葉が出る前に、少年の腹が大きな不平の声をあげた。
その腹の声に一同はしーんとなってしまう。少年はますます赤くなり、すっかりうなだれてしまった。
「……そういえば、運動したから腹が減ったな」
エンキを自分の腹に手を置き、言う。するとギィグランダが笑った。
「そうですか、じゃあそろそろ家に戻りましょうかねぇ。
バルレインとマナアクアもいらっしゃい、お腹がすいたでしょう?」
その言葉に、サファイヤの種宝を持つ少年は教育行政官を見上げた。
「……ぼくもいいの?」
「ええ、構いませんよ」
ギィグランダはにっこり笑う。すると、バルレインは俯いてまた泣き始めた。
マナアクアが驚いて、ぴょんっと教育行政官の腕から飛び降りた。
「……バル?」
拳をつくって目元を隠そうとする少年の手を、少女は優しくどけてやった。そしてその代わりに、零れ落ちてくる涙を小さな手で拭ってやる。
そして、その手の向こうで少年は懸命に声を絞り出している。それがよく聞こえないので、異なる種族の二人の大人は体を屈めて耳をそばだてた。
「……な…い、ご……さ…………い」
「「……」」
「……ごめ……っんなさ……い……っ!」
「……」
その言葉に、ギィグランダは微笑む。そしてマナアクアを優しく押しやると、自分がバルレインの前に屈みこみ、自分のエメラルドの種宝をバルレインのサファイヤの種宝にこつんとあてる。
「…………、よくできました」
その言葉に、バルレインはギィグランダにしがみついた。
それを見たマナアクアはエンキの傍らにととと、と歩み寄ってきて彼を見上げにっこりと笑った。エンキは苦笑とも微笑みともとれる笑みを返すだけだった。



バルレインが泣き止んだところで、ギィグランダは再び言った。
「それじゃ、ご飯にしましょうかね。マナアクア、君の夕飯も今日はうちでご馳走するから久々に二人でごゆっくりどうぞと"掘り主"に伝えてきてください」
「はーい!」
そう答えて、ルビー色の種宝を持つ少女は駆け出していった。
「ウチで待ってますよー!」
その背中に声をかけて、ギィグランダは傍らのサファイヤの種宝を持つ少年の背中にそっと手を添えた。
「さ、先に行きましょう」
「……うん」
バルレインはやや疲れた声で言った。目は少し腫れているが、一晩眠れば大丈夫だろう。
少年が歩き出したのを見て、異種族の大人二人も歩き出す。
「ああ、そうだエンキさん。柄、変えておきましたから明日具合を見ていただけますか?」
「もうできたのか!……なんだか申し訳ないな」
「いえいえ。」
ギィグランダは首を横に振った後、静かな声で付け加えた。
「……今回は……本当にありがとうございました」
「……」
その言葉に、エンキは目を見開く。彼はそれには答えなかった。その代わり、こう言う。
「……戦闘センス、全くないというわけじゃないぞ、あの子。訓練すれば使えるようになるさ」
そう言われて、今度はギィグランダが目を見開く。そして彼もそれに答えない。
「そろそろエルとエレも戻る頃でしょう。急ぎましょうか」
エンキはふぅっと息を吐く。ギィグランダは少し小走りになってエンキと離れ、バルレインに追いつき並んで歩き始める。
その二人の宝妖の背中を見ながら、エンキはふと思った。
――そういえばエレオノーラは何をしていたのか……。
出会ってから丸一日近く顔をあわせないのは初めてだった。

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