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「魔法使いと記憶のない騎士」
第十八話
異種族の会議
―いのちのちから―

成り行きでエレオノーラとエルファマナーラも会議の準備を手伝うことになった。
用意するのは、片腕で抱えられるほどの石版。といっても魔石でできている物で、特殊な羽ペンで記録された文字が、呼び出しの意志を込めて触れると浮き上がるというものだった。記録できる情報量は紙の比ではない。だが長老はその石版を3つ必要としていた。ひとつの石版はかなり重く、老いた身にはつらい。
二人の異なる種族の若者は、その石版を1つずつ抱えて長老の後についていく。
元老会が開かれるのは3階だった。



会議室は大きな円卓が中央にあり、その周りを一段低い傍聴席が取り囲むという形をしていた。
円卓にはすでに<一ノ都>の将と<弐ノ都>から<伍ノ都>まで二人ずついる長がそれぞれ席についており、傍聴席では各都から集まった者たちが静かに会議が始まるのを待っていた。
最後に入った長老と二人の若者はもちろん注目を浴びる。
ダルグレンにはいつものことで、にこりと周囲に笑みを撒いてから自分の席につく。エレオノーラたちはその傍らに石版を置いて空いている席を探す。
偶然二つ並んで空いている場所が、ダルグレンから見て右手側の斜め前方にあった。彼女たちはそこにさっと座る。
後ろの席から、「人間だ」と囁きあう声が聞こえた。エレオノーラが何気なく円卓の方に目をやると、ちらりとこちらを覗っている長もいる。
……ダルグレン以外の長たちのすべては十年前、エレオノーラを<一ノ都>に留め置くことに反対した者たちであった。



議題は、鉱脈から取れた鉱物を輸出した際に生じた利益の分配に関すること、<弐ノ都>の白生樹の一部に寄生虫が発生していることに対する対策と他の都の予防策、<四ノ都>で木の実が不足気味であるという報告まで多岐にわたった。
それは、はっきりいって子どもだったら暴れだすか寝るかしてしまいそうなほど退屈なものであった。
だが傍聴人たちはみな真剣そのものであった。恐らく彼らは長候補なのだろうとエレオノーラは思う。そしてちらりと隣のエルファマナーラを見ると、口元に力が入っているのが見受けられた。――後で聞いたところ、やはり欠伸をかみ殺していたらしい。
エレオノーラは視線を円卓に戻す。見れば、長老自身も時折なにやらいじらなくていい出番の終わった石版をいじくりまわしている。何か退屈しのぎの文章でも記録してあるのだろうか。
他の長たちにもちろんそんな様子はない。
――<一ノ都>の人はのんきね。
そう思いながら、エレオノーラは笑いをかみ殺した。



そしてさらに数十分――。
議題が"狩人"のことに及んだ。
<参ノ都>の将が立ち上がって声高に言う。
「ここのところ侵入してくる狩人はすべてリュオンの人間かもしくはリュオンから依頼を受けた人間であることは、皆さんご承知のはずだ!」
その将の額には黒真珠のような種宝があった。将はそこで、円卓と傍聴席を嘗め回すようにゆっくりと見回した。
さすがに議題が重要な物なので、ダルグレンもエルファマナーラも姿勢を正していた。
「各都、見回りなどもしているが逆に行政官が狩られてしまう事態まで起こっている。
しかも樹海は広く、隠れる場所など山とある。
このままでは埒があかない!リュオンに対して何か行動を起こすべきなのではないのか!?」
その隣の、<四ノ都>の臣が口を開く。
「……幾人か狩人を捕らえ、リュオンへと送り返しましたが何ら罰を受けず、そのまままた樹海に入り込んでいる者もいるようです。
何か行動を、に私は賛成いたします」
その言葉に、傍聴席がざわつきはじめる。隣の者と顔を見合わせあい、ぼそぼそと言葉を交し合う。それがさざめきとなって部屋を満たしていく。
そしてそれは円卓の長たちにも伝染する。他の8人の長がざわつく中、<一ノ都>の将は自分の都の臣であり、元老会のまとめ役のダルグレンの様子を覗っていた。ダルグレンは動かない。
先程の<参ノ都>の将がざわめきに力を得て、さらに声を強くする。
「リュオンは今ローランドと緊張状態にある。その隙をつけば、人間なぞ造作もないのではないか?
彼らの魔力は弱く、まして高く飛ぶことも速く走ることも我等に敵わず、怪我を負えば簡単に死ぬ!」
部屋のざわめきが一段と強くなった。宝妖の生命力は人間の比ではない。矢を2、3本受けたところで種宝が傷ついていなければ、2、3日眠り続けるとあっという間に回復する。
エレオノーラは傍らのエルファマナーラを見た。彼女だってやる気になれば昨日の手の傷など薬も使わずに数時間で回復するだろう。だが宝妖は普段、そのようなことに"力"を使わない。自然の成り行きに任せている。
だからこそ、戦になれば彼らは強い。普段使わない力をただ戦のために使う。それは人間にとっては脅威だった。
「リュオンを叩くのだ!
人間に思い知らせるのだ!
我らを敵に回したことを後悔させるのだ!
狩られた同胞の仇をとれ!」
<参ノ都>の将はいきり立ち、拳を振り上げた。会議場全体がその気迫に押しつぶされ流されそうになる。
それを押し留めたのは、静かな老人の声だった。
「……"邪王の娘"よ、どう思われるかな」
ダルグレンはそれだけいうと、まっすぐ瞳をエレオノーラに向けてきた。
長老の額のオパールは渦を描くかのように複雑に光を放っている。あか、みどり、しんじゅ……。
エレオノーラは、部屋中の視線が自分の身に突き刺さっているのに気づいた。
彼女はしばし逡巡する。それから意を決して、長に視線を返した。
「蟻が」
そこで議場はしんとなる。<参ノ都>の将がこちらを睨みつけている。エレオノーラは背筋を伸ばし、凛とした声を出した。
「蟻が巨獣を倒すことがあるのを、皆さんはご存知でしょうか」
「何の話だ、"邪王の娘"よ」
フン、と鼻から息を吐き<参ノ都>の黒真珠の将は言う。エレオノーラはそれに笑みを帰す。
「蟻は、小さく、摘み上げれば簡単に潰れて死にます」
そこでエレオノーラは円卓と傍聴席を見渡した。
「この中で、蟻に噛まれたことがある方は?」
そう言って自分でも右手を頭の高さに挙げる。となりのエルファマナーラは黙って彼女を見つめている。ダルグレンの皺だらけの手が上がり、それを見て傍聴席からもいくつかおずおずと手が上がった。<弐ノ都>の長たちが顔を見合わせて、ちいさく主張した。
「ありがとうございます」
エレオノーラはそこで手を下ろし、真剣な顔になった。
「意外に痛いんですよね、蟻に噛まれると。でも一匹では造作もありません。潰せばいいのです。でも、そこは蟻の巣の近くでした。地面の下から一匹、また一匹と蟻が出てきて、私に登り、噛み付きました。私は蟻を払いました。でも次から次へと蟻が出てくるんです
……最後に父に水の中に放り込んでもらって、なんとかおさまりましたが。毒を持った蟻だったんです。三日間熱にうなされました」
「何が言いたい、"邪王の娘"」
<参ノ都>の将はエレオノーラを睨みつけて言う。エレオノーラはそちらを見た。
「先程も申し上げたように蟻は自分の何倍もあるものに立ち向かい、それを倒してしまうことがあるのです。
……小さきものにも魂があります、侮ってはなりません」
「我らがその巨獣で、人間が蟻だと申すのか。我らが蟻ごときに倒されると申すのか?!」
<参ノ都>の将はダン!と円卓に拳をたたきつけた。エレオノーラは怖じない。
「そうです」
きっぱりと言う声に、部屋中が息を呑んだ。
「蟻を侮ってはなりません。蟻は時に巨獣に向かって顎の牙を振りたて、毒を送り、巨獣の体を食い尽くすのです。
それだけではありません。蟻には、――いえ全ての生き物には自分とその仲間を守るという本能が備わっております。それは、宝妖も人間も同じ。そしてそこには強い意志が加わっています。
今、宝妖は無益に狩られています。それが皆さんの怒りを煽っているのは皆さん自身がよくご存知でしょう。その怒りをそっくりそのまま人間にぶつければ、人間にも同じことが起こるということは、明白です」
そこでエレオノーラは目を閉じた。
「人が宝妖の命を盗り、宝妖が人の命を盗る。
――終わりはどこです」
そして、そこで目を開く。そこには、美しい紫の瞳がある。
「――見えませぬ。終わりなど。互いの、種宝の一欠けら血の一滴がこの大地に堕ちるまで戦いは続くことでしょう。
……宝妖が真に人間より優れていると主張するのならば、人間と同じ蛮行には及ばないことでしょう」
<参ノ都>の将は紫の瞳に射抜かれる。そして、彼は硬直した。
「互い憎しみという馬に鞭を打ってどうなりましょうか。どちらかが手綱を引けば馬は速度をゆるめ、いつか必ず止まるでしょう」
「……そのために我らに犠牲を払えというのか」
「宝妖は十分に犠牲を払っているはず。さらに死の河の渡し守に銀貨を渡しますか?」
「……」
<参ノ都>の将は押し黙った。
「幸い、人間全てが敵というわけではありません。ローランド皇国と宝妖の民は友好関係にあります。リュオンとローランドは幾度か衝突していますが、全面的に対立しているわけではないという微妙な状況です。ローランドを味方につけ、非難の声を上げさせるのです。
それは彼の国利益にもなりましょう。――この事はリュオンの度重なる蛮行に公然と声を上げるためのきっかけとなりましょう。武力ではなく知力で隙をつくのです。
さすがに公然と非難されれば、リュオンも幾許かは動きにくくなるでしょう」
「――知力か」
静まる宝妖たちのなか、最初に声を出したのはあの<四ノ都>の臣だった。
「たしかに、その方が我らの性に合っているような気はしますな」
<伍ノ都>の将からも意見が出される。
「……下手にリュオンを叩けば、人間同士で結託する恐れもありましょうな。
つまり、我々の攻撃がもとでリュオンとローランドが元の鞘に納まる。そして我々は両側から挟まれて攻撃される。……危険ですな。リュオンに利益が転がり込むことにもなりうる」
傍聴席が再びざわつく。ひそひそと言葉を交わしあい、ちらりと<参ノ都>の将を見やる。
<参ノ都>の将にはもう気迫も覇気もなかった。ただじっとエレオノーラを見つめている。
「……"邪王の娘"よ」
「はい」
呼びかけに素直に応じたエレオノーラに、<参ノ都>の将はしばし戸惑った。
「……そなたどちらの味方だ?」
「私は"いきもの"の味方です」
凛とした声だった。そしてエレオノーラは苦笑する。
「もちろん私は野菜や果物を食べますし、肉も食します。」
そこで苦笑をおさめて、まっすぐな瞳と声で言った。
「けれど、私は、"いきもの"の味方です」
一見矛盾しているように聞こえるそのエレオノーラの言葉には、力がありざわめきを鎮めた。



そうして、元老会はリュオン王国の蛮行をローランド皇国に伝えることを決定した。
ローランドの皇帝がどう動くかはわからない。けれど、動かなければ何も変わらない。
そういう結論になった。



会議室を、長老を手伝いながらエレオノーラとエルファマナーラは後にした。
そして長老の執務室に入り、指示されたところに石版を置く。
「いやぁ、ご苦労だったねぇ二人とも。特にエレオノーラ」
ダルグレンはそう言って笑う。エレオノーラは顎に拳を当てて考え込む格好をとった。
「そうでしょうか。何か言いたいことの三分の一も言っていない気がするのですが」
「おや、あれでかい?」
「はい、言葉も上手くないように思いました」
「ではまだまだ修行だの、"邪王の娘"どの」
「はい」
エレオノーラは綺麗に腰を折って宝妖の長老に礼をした。長老はその頭に手を伸ばし、髪を撫でる。
「さて……まだ夕方か」
ダルグレンは窓から外を見た。黄金の光に朱の影が差し込んでいる。
「エルファマナーラ、君のところの夕飯にはまだ早いかな」
「はい。多分ギィはそろそろ帰っていると思いますが」
「そうか。じゃあそれまで少し付き合ってくれるかな、二人とも」
その言葉に若い二人は頷く。ダルグレンはにこりと頷いた。
「ちょっと地面へ下りよう。なに、扉の外に出るのではないよ、すぐ近くだ」



街へ入ったときとは逆に、カゴは地面へと下りていく。カゴに乗っているのは、エレオノーラとエルファマナーラ、そしてダルグレンだけだ。
地面へつくと、ダルグレンは颯爽と歩き出す。エレオノーラたちは少しの間顔を見合わせる。辺りには相変わらず白生樹の林が続いている。
普通の森とは違い、白生樹の林の土は固かった。葉が落ち、腐り、栄養豊富で柔らかな土となることが稀なのだ。それもこの不思議な白い木の特徴だ。
その土の上を、ダルグレンはずんずん進んでいく。
「この先には何があるの?」
エレオノーラがエルファマナーラに聞いても、彼女はなんともいえない表情を返すだけであった。
進むうちに、白生樹の数が減り群生の密度が低くなっていく。それと共に、幹や枝が細くなり、木々の背も低くなっていく。
エレオノーラは辺りを見回しながら進む。いつの間にか頭上の木の上に街はなくなっている。辺りを覆うのは、静けさだ。ただり静けさではない。神聖で、どこか恐ろしいような……。
そして突然、視界は開ける。
「……ここだ」
「ここ、ですか」
そこは開けたという印象の通り、まばらに白生樹があるだけだった。木よりも何もない空間のほうが多い。
しかもその白生樹は今まで見てきたものよりも明らかに背が低く、幹も頼りないほどに細い。
その中、ダルグレンは一本の木に歩み寄った。その木は抱きつけば腕が回せるほどの幹の太さしかなく、背も人より少し高いほどだった。若木なのだろうか。
ダルグレンは「ふむ」と言って木の肌を撫で、ぽんぽんと優しく叩き、声を掛ける。
「お前は成長が遅いなぁ。まあお前らしいといえばそうだが……」
それを見て、エレオノーラは傍らの若い宝妖に語りかける。
「ここは……」
「そうよ」
エルファマナーラは皆まで聞かずに答える。少し悲しげな、そして畏怖を込めた目で白生樹の若木を見ながら。
「ここは、死した宝妖の種宝を植える場所。
……人間で言えば、できたばかりの墓所というところかしら」
白き幹と葉に黄金の筋を持つ木――白生樹は、宝妖の命の源であった種宝を種とする木である。

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