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「魔法使いと記憶のない騎士」
第十九話
“呪具”
―長老の警告―

日が大分傾いていた。風が冷たくなる。
ゆるく波打つ黒髪がその冷たい風にさらわれそうになって、エレオノーラは無意識に髪を押さえた。
「そう、ここはわしらがいずれ行き着く場所だ」
宝妖の長老は若人たちに背を向けたまま言う。
「だが、皆が皆白生樹として第二の生を受けるわけではない。
種宝の砕けた者、生命力を使い果たした者の種宝はただの石っころになるしかない」
ダルグレンはそこでやっと振り返った。
「戦になれば、そういうものが増えてしまうだろう。
そうなればいずれわしらは子どもを得られなくなる。滅びの速度が増すだけだろうなぁ」
「そんな……」
悲壮な顔をしてみせるエレオノーラに宝妖の長老は笑いかける。
「それをお前が止めたんだよ、エレオノーラ。感謝する。
……しかし、わしがここにお前さんたちを連れてきたのはその種の深刻な話をするためではなく別な話をするためだ。静かなところでね」
「別の話。」
「そうだ」
そして老人は、エレオノーラの腰に佩いた刀を指差した。
"紅邪刀"(こうじゃとう)を一度抜いたね」
エレオノーラは腰に吊るした刀を見下ろした。真っ黒な鞘に納まっている刀だ。その刀に鍔はない。柄には鮮やかな赤い色をした宝石がはまっている。
"紅邪刀"。それがその刀の名前だった。みっつの邪王の"遺産"のうちのひとつ。
大地母神と天空父神が世界創造の時に使った道具のかけらだといわれている。
「それに君は"青癒の指輪"(せいゆのゆびわ)を使いすぎだ」
そう言って今度は、エレオノーラの左手の中指にはまっている大きな青い石の指輪を指す。
「……」
エレオノーラは押し黙った。老人が片眉をあげてみせると、彼女はため息をついた。
「……はい」
「うむ、正直でよろしい」
ふーっと老人も息をつく。
「エレオノーラ、わしが教えたことを覚えているかな」
その言葉に、エレオノーラは教師に言われたことを復唱する幼児のように答えた。
「『"遺産"は無闇に使用してはならない』」
「もっと詳しく!」
「『"紅邪刀"は負の感情を貯める剣である。それによって力を得ているが、使用者が負の感情を持って抜くと、刀にとらわれてしまうことがある。よって無感情に抜け。何の感情も込めてはならない。刀に付け入られる隙をつくるな』」
「では"青癒の指輪"は?」
「『"青癒の指輪"は"紅邪刀"と対を成すものである。何をも傷つけようとする刀と正反対の働きをする。しかし正のものであるからといって、気安く使ってはならない。それは己が身を弱くする』」
「うむ、よくできた。しかし、わしがそれに付け加えて言ったことを覚えているかな」
「……『なるべくなら、"遺産"は使うな』」
「そうだ」
老人はそこで再びため息をついた。
「わしは、お前さんの曽祖父とも知り合いだったからの。
それらの"遺産"は"邪王の一族"しか使えんとはいえ、誰よりも付き合いは長い。
それらふたつがどれほど危険かは、お前さんよりよく知っておるよ」
「……」
黙りこくってしまったエレオノーラにダルグレンは苦笑する。
「なに、怒っているんじゃない。お前さんが"遺産"をきちんと使いこなせてればそれでいいんだがの。
……まだまだ、お前さんは未熟だから警告したんじゃ」
すると、エレオノーラの隣で話を聞いていたエルファマナーラが眉をあげた。
「未熟ですか。ずいぶん成長したと思いますが……」
「おお、おぬしらなどわしのつま先にも足らんぞ。全然未熟だ」
ダルグレンはそう言って笑う。
「まぁワシだって完成なんぞしとらんし、死ぬまで完成なんぞしたくないのぅ。
成長は続けたいと思うが」
その言葉にエレオノーラとエルファマナーラは苦笑して顔を見合わせる。
エレオノーラは綺麗に腰を折る。
「……お言葉甘受いたします」
「うむ、まぁ心のどこかには留めておいてくれるとありがたいのぅ。
……こんなことを言うのは恐らくお前さんはこの先一度、"紅邪刀"にとらわれることになるかもしれんからだ」
「……?」
「オメガの予見だ。予言ではないから、外れる確立が高いし、それが誰に起こるかは特定できんかったそうじゃ。だがやつはの、はっきり言った。
『恐らく私の後3代のうちに刀にとらわれる者が出てくる』と。
……始祖の邪王が一番強い力を持っていたと聞く。それから"邪王の一族"の力は弱まるばかりじゃ。オメガは始祖に匹敵するほどの力を持っておったが、あれは"金獅子王の威光が終わる時代"――つまり、黄金時代の終わりの者であるせいだ。邪王が己が血にそのようなまじないを掛けた。
――そして、オメガが死ねばまた血は衰える。銀獅子王が生まれ来るまでな」
エレオノーラの初めて聞く話だった。そのため彼女は瞬きさえ忘れ、異種の長老の話に聞き入っている。
長老は指折り数える。
「後、ということはオメガの息子から数えて三代後の子ということだ。
――お前さんの祖父には何も起こらなかった。これで1。
お前さんの父にも何も起こらなかった。これで2。
お前さんは動乱の時代の入り口に生きる。数えて3代目……」
そこでダルグレンはまっすぐにエレオノーラを見つめた。
「……さっきも言ったように、外れるかもしれん。
だが、注意して欲しい。その刀は危険だ。この世の憎しみと悲しみが詰まっておる。
――その赤い玉に。天地創造からの憎しみと悲しみだ。それをその刀は力にしておるのだ。
持ち主がその力を御せなくなれば、刀は暴れるだろう。
それは"呪具"――天地創造の時に使われた"創具"のかけら。どのようになるかは誰にもわからぬ」
「――……」
エレオノーラは目を伏せた。
「刀はもちろん、それ自体では動くことはできん。意志があるわけではない。
――だから持ち主を介してその力を発揮するはずじゃ」
「――そのようなことは以前にも?」
エルファマナーラが堪らず聞くと、ダルグレンは首を振った。
「ワシの知る限りではない。だからと言って安心できるものではないだろう。
エレオノーラが悪しき前例になる可能性は大いにある」
ダルグレンはそこまで言うと、ふと表情をやわらかくした。
「まぁ、こんな事をいわれても正直困るだろう、エレオノーラ」
「……、図星です」
エレオノーラは伏せていた目を上げる。そこには確かに困惑の色がありありと現れていた。
ダルグレンはその返答に笑いながらやれやれと首を振った。
「お前さんは感情を御する力をちゃんと持っている。ただ、いつ何時その力が弱まるかはわからん。
その隙を"紅邪刀"がつくかもしれん。ワシの話は用心しておくように、という話でしかないのさ。
起こるか起こらないかわからないことを、止めることはワシらにはできん。だが、それが起こるかもしれないことだと知っておけば、心構えもできるし様々な努力をすることができるだろう?
……ワシの話はその種の用心のための警告でしかないのさ」
エレオノーラはまっすぐな瞳でダルグレンを見つめていた。
「……はい」
そしてただそれだけ返事をした。宝妖の長老はその返答に頷いてから付け加えた。
「もちろん、いつもいつも気を張っていろとは言わん。"紅邪刀"は負の感情を力としている。よってお前さんが浮かれていたり、喜んでいるときに隙をつくっても何の問題はない。
……むしろ、喜んでいたり浮かれたりしていたほうがいいのかもしれんなぁ」
「エレオノーラが日々浮かれたり喜んでいたりしたら、ちょっと変かもしれませんね」
くすくすと笑いながらエルファマナーラが言った。エレオノーラは眉をあげて彼女の方を見やった。
「へんかしら?」
「ええ、あなたは昔からおとなしい子だったから。
でも」
そこでエルファマナーラはエレオノーラに歩み寄って、手を伸ばした。エレオノーラより背が低い彼女の両手が、頬を包む。
「あなたの笑顔は可愛かったのよ。みんなそれを見ると嬉しくなったんだから。
笑っていることは良いことだわ、そうでしょう?」
エレオノーラは触れられた頬を少し赤くして、「そうね」と言った。
その二人の様子にダルグレンはからからと笑う。
「ま、良いことだとわかっておるなら心配はいらんだろう。
……、それにあの連れがいるならしばらくは大丈夫じゃ」
ダルグレンのからりとした笑いが突如としてにんまりとした笑みになり、エレオノーラは思わず怪訝な顔をした。
「え……?」
「そうですねぇ、一人旅の間は表情がなくなりがちでしたけど今回はなんとなーく表情も明るいですし」
二人の宝妖はにんまり笑った。エレオノーラははぁと盛大に息をつき、頬に触れているエルファマナーラの手引き剥がした。
「だから、違いますって……」
そういうと、二人の歳の離れた宝妖は楽しそうに顔をあわせた。そして再び人間の娘に視線を戻すと、年老いた宝妖は顎を撫でながら言った。
「どんな形にしろ、"友"がいるのは素晴らしいことじゃ。
一人だとどうしても限界があるからなぁ。月並みだが"喜びは倍に、悲しみは半分に"というわけじゃ。
……まぁヒドイケンカをしなければなんとかなるだろうな」
最後にぽつりとダルグレンは付け加えた。すると若い二人の顔が真剣になる。
「……たしかにケンカすると負の感情が湧きますね」
と、エルファマナーラが言う。エレオノーラは拳を口元に当てて考え込んでいる。
「……だがまぁ、ワシはケンカする"邪王の一族"というのを見たことがなくての。
お前さんたちの一族は並の人間よりも理性的なようじゃし、感情の御し方も知っておるから大丈夫かと思うが」
「ではエンキさんを怒らせないように、というわけでしょうか。それはエレオノーラの精神衛生もよくないでしょうし」
「……エンキが怒るところってなんだか想像できないわ」
エレオノーラが言うと、ダルグレンは首をやれやれという風に振った。
「怒らん生き物なんぞおらん。お前さんも含めてな。
しかし、もし怒らせても上手くやることじゃ」
その言葉に、エレオノーラは拳を口元から外し苦笑してみせる。
「一緒にいる限りは、仲良くやっていきたいと思っています」
その言葉に、異種族の長老は頷いて見せた。

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