| 「……それと、エルファマナーラにも話がある」ふと視線を移して、ダルグレンは若き宝妖を見やった。
 「私ですか?」
 エルファマナーラは胸に手をあて驚いてみせる。
 それに頷いて、ダルグレンはちらりとエレオノーラを見やった。
 その視線に気づいた人間の娘は一礼して
 「先に戻ります」
 と言った。くるりと踵を返したエレオノーラの背中に、ダルグレンは「すまんの」と声を掛ける。
 人間の娘の背中が小さくなるのを見て、ダルグレンはエルファマナーラに向き直った。
 「……強くなったのぉ、あれは。ちと寂しい」
 「そうですね」
 くす、とエルファマナーラは笑う。それに笑みを返してからダルグレンは続ける。
 「それにしても白生樹たちも噂しとった。
 今度の"邪王の子孫"は子どもを生むのが早そうだとな」
 「え……?」
 「それにしても、白生樹のどれかがそのエンキとやらに探りを入れたらしいな。
 色々ぺちゃくちゃと教えてくれたよ。まったく、体が動かなくなると口が何倍も動くようになってかなわん。まぁまともな会話はまったくできんが」
 苦笑するダルグレンにエルファマナーラは目を見開き、声を絞り出した。
 「ま、待ってください長老、
 "白生樹の声"が聞こえたんですか?!」
 「ん、まぁそうだのぅ」
 若い宝妖が慌てだしたのに、長老は面白そうに笑ってみせる。
 「そんな……」
 エルファマナーラは力なく言う。それに、ダルグレンはあくまでさらりと言う。
 「そうじゃ、ワシはもうすぐこの姿を捨てねばならん。
 変わりに白い幹と枝と黄金の筋を持つ葉をもらうことになる――」
 その言葉に、エルファマナーラは口を開けたまま動かなくなる。
 老人はくるりと振り返って、背後にある若い白生樹に近づく。そしてその白い木をいとおしい者を見る優しい眼差しで見上げる。
 「種宝を植えるのは、この木――マホノルカの隣がいいとギィグランダに伝えとくれ。
 ……ああ、別にお前さんに植えてもらっても問題ないんじゃが」
 「長老」
 エルファマナーラはその老人の背中にやっと言葉を投げつけた。ダルグレンは肩越しに振り返る。
 「なんじゃい」
 「"白生樹の声"、それ空耳ではありませんか?」
 真剣なこえで出されたその言葉にダルグレンはすっとんきょうな声で返した。
 「そこまで耄碌しとらんわぃ!」
 「し、失礼しました。しかし……」
 「"白生樹の声"が聞こえたのは確か。それはつまり、ワシに宝妖としての生の終わりが来ているということなのだ。
 直視せい、エルファマナーラ」
 ダルグレンに聞こえた"白生樹の声"――それは白い木たちが発している声なき声だという。
 白生樹となってしまった宝妖に、もちろん明確な意志はない。ただぼんやりと周りを見渡しそれについて感想をただ流しにしているという。そしてどこかの白生樹に寄生虫がつけば、他の木に"声"を発して知らせることもあるという。
 しかしその声は"いきもの"たちに聞こえることはない。白生樹の声は白生樹たちと、"白生樹に近しい"ものにしか聞こえないという。"白生樹に近しい者"――それはすなわち、宝妖としての生を終えようとしている者のことである。
 つまり、それが聞こえたダルグレンには死が近づいているのだ。
 「白生樹たちが、宝妖であった頃の様に他者を"勘ぐる"というのは珍しいことじゃ。
 エレオノーラの連れはよほど面白いらしいな――」
 ダルグレンは何気なく話を続けようとする。そこへ、エルファマナーラが再び声を投げる。
 「長老……」
 「……、人の話の腰をおるのぅ。なんじゃい」
 「長老は宝妖としての生を本当に終えられるのですか?」
 どこか悲痛なものを秘めたエルファマナーラの声だった。その問いに、ダルグレンは苦笑する。
 「そうらしい。形あるのものはいつか崩れ、命あるものは死に至る。これは宝妖も人間も、獣とてかわらん。白生樹となったものもいつかは枯れて倒れ、大地母神の御身に還る。
 ワシにその時が来ただけのことさ。」
 「……」
 その言葉に、エルファマナーラは何も言えずに俯く。宝妖の長老は笑う。優しく勇気付けるように。そしてすこし申し訳なさそうでもあった。
 「ワシとしても申し訳ないと思っておるよ……動乱の時代の入り口に世を去り、面倒ごとを避けるのだからなぁ。
 後はよろしく頼むぞ、エルファマナーラ」
 「……はい」
 「何か辛くなったらギィグランダに寄りかかると良い。あいつはお前さんほど器用でないが、そのかわり踏ん張る力は余計にもっておるはずだ」
 その言葉に、エルファマナーラは控えめに微笑んだ。それを見てダルグレンは一つ頷くと、仕切りなおしとばかりにすこし高い声を出した。
 「そうそう、して何の話をしておったのかな。ああ、そうだエレオノーラの連れの話だ」
 「はい」
 エルファマナーラは姿勢を正して、ダルグレンに向き直る。そしてふと気づく。
 「あの、でしたら何故エレオノーラに外してもらったんです?」
 素直な質問に、ダルグレンは顎をつまんだ。
 「うん、……すこし複雑な話でな。直接言うかどうか迷ったのだ。
 ……お前さんが、エレオノーラに伝えるかどうか決めるといい」
 宝妖の長老にしては珍しい判断だった。彼は、人伝にすることを嫌う性格で伝えないと一度決めたのなら、そのことを胸に閉まって二度と思い出さない性格だった。
 「白生樹たちがエンキどの――だったか、そのエレオノーラの連れにめずらしく興味をもってな。
 どうもそれというのが"邪王の娘"が連れてきた男だったから、ということだけではないようなんじゃ。
 探りをいれたどれかが、"大地母神"と言っての」
 「はあ」
 要領を得ない話に、エルファマナーラは小首を傾げる。
 そもそも、"白生樹の声"というのはごちゃごちゃとしたものが多く形になっていないものがほとんどだという。ダルグレンが聞いたのもそんなものだったようだ。
 「白生樹たちは話し方を忘れているから、わかりにくくての。
 だがまとめると――、"男の記憶は、大地母神の胎内に還った"とか。」
 「……え?」
 エルファマナーラは目を見開いた。その様子に、ダルグレンは真剣な顔になる。
 「……エンキさんとやらは、記憶喪失になっておるんではないか?
 たぶん白生樹たちが言ったのはその事だ。
 そして、白生樹たちはこうも言った。
 ――"二度と戻らぬ。大地母神の気まぐれの仕業。胎内に還った記憶は、いと高きところに投げ上げられん。天空父神に抱きとめられ、雨となって降りたもう時には、無色透明なる千のモノとなりぬ"」
 そのダルグレンの言葉に、エルファマナーラは首をかしげた。
 「それは一体……どういうことです?」
 「その人の記憶は二度と戻らんということだ」
 しん、と辺りが静かになった。
 「ええと、それは、つまり……、……私にどうしろ、と」
 「ワシはエンキさんと会ったことがないからの。
 エレオノーラにその事実を伝えるも、本人に直接伝えるも、お前さんに任せるということじゃい」
 「……」
 エルファマナーラの口元がひくっと動いた。
 彼女はエレオノーラがどのような契機でエンキと出逢い、どうして一緒に旅をしているのかを一通り聞いていた。
 その中で、エレオノーラは言ったのだ。
 ――エンキの記憶が戻るまでの話よ。
 と。
 「――……」
 エルファマナーラのその様子を見て、ダルグレンは「ほほぅ」と言った。
 「何か問題がありそうじゃの」
 「いえ、その問題というわけではありませんが……」
 エルファマナーラはくるりと後ろを振り返った。
 「先に戻ります」
 「ワシはもう少しここら辺の様子を見ていくよ」
 ダルグレンはそういうと、まだ若い白生樹のほうに向き直った。
 エルファマナーラはトンっと地を蹴った。
 
 
 
 エルファマナーラは跳ぶように前に進みながら、考えた。――エレオノーラは。
 エンキを一時の道連れと思っている。
 そしてそれが長く続かないことを"願っているのだ"。
 「ひとりでだいじょうぶ。」
 十年前、そう言ったのはエレオノーラだった。たしかに彼女はひとりで大丈夫なほどに強くなっていた。
 ローランド皇国とリュオン王国の国境をうろうろする彼女。
 ローランド皇国の首都には彼女の父と友人だった"真言主"がいる。その人を頼っていけば、一所に落ち着くこともできただろう。けれど彼女はそうしなかった。
 失う哀しさを彼女は知っている。だから"得ようとしなかった"のだ。
 旅を続けていれば、"出会う"ことはあっても"得る"ことはない。いずれ別れがあると知っている関係だから、何も"得ない"。
 彼女はこの十年間、そうして意図的に人と触れ合う機会を減らしてきたのだ。
 そうすることで孤独に慣れ、自らを護ってきたのだ。それがエレオノーラが旅を続ける理由だった。
 もちろん例外はある、とエルファマナーラは思う。
 それは自分たちだと。
 失うことを知る前の彼女とも友だった。だから、自分たちは違う、とエルファマナーラは思っている。
 けれどその一方、十年前からエレオノーラは自分たちに距離を置き始めたということも彼女はうっすらと感じていた。
 強くなった一方で、エレオノーラは弱くなってもいるのかもしれない。
 そのふとできた隙の部分に無防備に入り込んだのがエンキだった。そしてエンキは、"道連れがいる楽しさ"をエレオノーラに教えてしまっていた。
 エレオノーラはそれに気づき、自分がエンキを頼るようになることを無意識に恐れている。
 エルファマナーラは、エレオノーラの成長を生まれた時から見ていた。だから、彼女のささいな心のゆれも読み取ることができる。もちろん、その震源はエンキの存在だ。
 エレオノーラはなるべくなら早いうちに、彼女の中でエンキの存在が大きくならないうちに別れることを願っている。
 なぜなら、エレオノーラの目には、エンキの向こうに彼の故郷と家族が透けて見えているからだ。故郷と家族を失った彼女だからこそその大切さを知っており、旅する彼女だから待っている人がいるという事のありがたさを知っている。
 その家族と故郷から「記憶が戻らないから」という理由でエンキを引き離すことができるだろうか。できはしない。
 しかし彼女の願いとは裏腹に、彼女の中でエンキの存在は確実に大きくなっている。
 エレオノーラは本人も気づかずうちに、道連れがいる楽しさと透けて見える彼の故郷と家族への思いの間で揺れているのだ。
 そのゆれを起こしているエレオノーラに、「エンキの記憶は戻らない」と告げたらどうなるだろうか?
 ――普通の人間ではない、強く気高い"邪王の子孫"?
 エレオノーラは強くない。ちっぽけな一人の人間だ。
 ――エレオノーラは強くないわ。
 エルファマナーラが知っているのは、一人が嫌いな少女だ。甘え下手な人間だ。
 伝えるべきだろうか――結論が出せぬまま、エルファマナーラは不意に立ち止まった。
 街へと繋がる白生樹の下に、エレオノーラがいたのだ。
 上を見上げて途方にくれたようにしている。
 「エレ?」
 呼びかけると、途方にくれたような表情のまま振り返った。
 その表情にエルファマナーラはどきりとした。
 「指笛を吹いたんだけど、カゴが下りて来ないのよ」
 「ああ……」
 言われて、エルファマナーラはなんだかほっとしながら上を見上げた。
 「ここのカゴは特殊なのよ。係りがいなくて、自分で上げ下げしなきゃいけないの。
 ……ほら、いわば墓場に通じている道だから」
 「……そういえばさっき係の人いなかったわね」
 エレオノーラはエルファマナーラの様子に気づかずに納得して再び上を見上げた。
 エルファマナーラは目を瞑る。すると額の種宝が淡く発光し、それにつられるように彼女たちの周りの空気が一瞬軽くなった。エルファマナーラの銀色の髪がふわふわと動き出す。
 二人の頭上に影が指す。カゴが下りて来たのだ。
 カゴは静かに地面に着地すると、ぱかりと入り口を開いて二人を迎え入れる格好をとる。
 エルファマナーラは目を開き、種宝を淡く発光させたままエレオノーラと共に乗り込む。するとカゴは入り口を閉めもと来たように上がっていく。
 「……さっきはあなたの種宝が光ってなかったら、長老が操ってたのかしら?
 長老の種宝は光ってなかったわね」
 「長老は強いから。こんなの小手先よ」
 淡い紫色の光を額に抱きながら、エルファマナーラはちらりと人間の娘を見た。
 「エレ」
 「うん?」
 エレオノーラはカゴのふちに腰を預けて、小首を傾げる。
 エルファマナーラはまっすぐに自分の額の種宝の色と同じ色のエレオノーラの瞳を見た。
 しばしの沈黙。
 「……なんでもないわ」
 
 
 
 「あ、お帰りなさい!」官舎にもどると、入り口のところでルビー色の種宝を持つ少女が手持ち無沙汰にしていた。
 マナアクアだ。
 「あら、マナアクア。どうしたの?」
 エルファマナーラは少女の視線に屈んで聞く。すると少女は楽しそうに答えた。
 「ギィがね、ご飯食べていきなさいって」
 「まぁ、今日の夕食は楽しくなりそうね!」
 エルファマナーラは笑ってマナアクアの髪を撫でた。少女は照れたように頬を赤くした後、ふとエルファマナーラの手の包帯に気づく。
 「あのね」
 「うん?」
 「バルもいるのよ」
 「あらま」
 エルファマナーラが目を見開いて見せると、少女は「ちょっとまっててね」と言って家の中に入って行った。
 「バル?噛んだ子のこと?」
 「そうよ。どうなってるのかしらあのいじけ虫」
 くすくすとエルファマナーラは笑う。その顔には怒りも恨みもない。
 母の顔に近い、とエレオノーラは思う。それから、ふとエレオノーラは口を開いた。
 「エル、そういえばさっきの『なんでもない』って……」
 言いかけた言葉は、家の中から漏れてきた少女の元気な声にかき消される。
 「バーーーール!だめなの!エルに謝るんだから!お兄さんから離れなさい!」
 「「?」」
 玄関前にいる二人は、会話も忘れて首をかしげた。
 そこへひょこっと現れたのはエンキだった。見れば彼は困った顔をしている。女性陣がさらに首を傾げると、エンキは黙って自分の腰の辺りを指差した。
 そこには鳶色の髪をした少年ががっちりとしがみついていた。そしてその少年の服を引っ張って引き剥がそうとするマナアクア。
 はっきり言って滑稽な光景だった。
 しばらくソレを呆然と眺めていたエレオノーラだったが、ぷっと吹き出したエルファマナーラの声に我に返った。
 「マナアクア、バルレインの服が伸びるわよ」
 エルファマナーラが目元を拭いながら言うと、ルビーの種宝を持つ少女はぱっと少年の服を離した。それにつられるように、エンキの服に顔を埋めていた少年がこちらを向く。
 もちろんその少年はサファイヤの種宝をもつバルレインだ。
 少年と、屈んでいたエルファマナーラの目が合う。
 少年は途端にこわばった顔になり、エンキにさらに強くしがみついた。
 エンキはそれを見下ろし、その頭にポンと手を置く。エルファマナーラは苦笑していた。
 「バルレイン?」
 「……」
 バルレインの尖った耳がしょげた犬のように垂れる。エルファマナーラは微笑むと腕を広げた。
 「おいで」
 エルファマナーラが言ったのはただそれだけだった。それを聞いて、バルレインはじっとエルファマナーラを見た後、エンキを見上げた。エンキは彼の頭の上においていた手をどけ、そっとその手で背中を押しやる。バルレインはエンキから離れ、そっと踏み出した。
 そしてエルファマナーラに抱きとめられる。
 エルファマナーラはこつんと自分の種宝とバルレインの種宝を重ねた。
 それは宝妖の最大の親愛の情を表す仕草だった。
 エルファマナーラの腕の中で、バルレインはぽつりと言った。
 「……ごめんなさい……」
 「いいのよ」
 エルファマナーラはそれだけ言った。
 エレオノーラはそれを見て微笑み、それからエンキに視線を移した。
 見ると、エンキが視線を合わせてくる。その顔は苦笑していた。それから彼は、傍らの少女にもその顔を見せる。少女は嬉しそうだった。
 家の奥からギィグランダの声が聞こえてきて、エルファマナーラはバルレインを離して立ち上がった。
 「さ、中に入りましょう」
 そうエルファマナーラは皆を促した。エンキは体をずらして入り口のスペースを開けた。子どもたちがまず家に入り、エルファマナーラが続く。そして
 「エレオノーラ?」
 エンキは、複雑な表情で子どもたちとエルファマナーラを見ているエレオノーラに気づいた。
 「……うん」
 エレオノーラはひとつ頷くと、エンキの前を通り過ぎて家へと入った。
 「……」
 そんなエレオノーラを見ながら、エンキは後ろ手に扉を閉めた。
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