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「魔法使いと記憶のない騎士」
第二十二話
プフェーアト・シュタート
―馬と暮らす街―

「もうお金がないわ」
「やっぱりか。」
樹海を出て西に進み、一週間と三日目。
大陸では馬の産地として名高い地方の中心の街、プフェーアト・シュタートのとある食堂でエレオノーラとエンキは頭を抱えていた。
宿は取った。食事もした。
だが財布がもう空に近いのである。
「ここじゃ歌っても稼げないし。」
大陸中に名が知られているプフェアート・シュタートはローランド皇国でも五本の指に入る大きな街だ。
もちろんそんな大きな街だから、吟遊詩人も演奏家も常時いる。そんなところで旅人の小遣い稼ぎの歌など必要であるはずがない。
田舎の村とは違い、この街では娯楽はそこいら辺でごろごろと売られているのだ。
ため息をつくエレオノーラに、エンキは気を取り直すように別の話題を振った。
「そういえば、街の周りに馬がたくさんいたな。柵に囲まれて。あれなんだ?」
「多分牧場ね」
「ボクジョウっていうのか。」
エンキは当たり前のことを訊き、そして当たり前のことを知って眉をあげて見せた。
エレオノーラはその事に一瞬首を傾げそうになり、そして思い出した。
――東ノ国は馬と共にある国だったけれど、遊牧だったわね。
馬に柵という概念はないのだ、ということに気づいてエレオノーラは一人納得した。
ふと見れば、目の前のエンキは腕を組んでなにやら考えている。それから何か考えがついたらしく、こう言った。
「……ボクジョウのどれかに行ったら、仕事があるかもしれない。行ってみるよ」
「そうしてもらえるとありがたいわ。私も何か探してくることにするわ。
……何かあるといいんだけど」
二人は盛大にため息をついてから、質素な食事を片付けにかかった。



プフェアート・シュタートは、競馬場と市場を中心に放射状に円く発展してきた都市で、図書館も劇場もあれば首都から皇族が来たときのための建物もある街だ。
名産は、馬。駿馬から質の良い馬具、味の良い馬肉まで馬に関するものならここで何でも揃う。
街の外には草原が広がり、その草原にはいくつもの牧場が点在している。牧場の持ち主はほとんどが街中に住んでいるが、彼らは街中でも馬に乗って――その一方で馬車の数は少ない――移動することが多い。だから街の道路には歩道がある。歩道の上を人が歩き、道路は馬が闊歩するのだ。店の前には馬を繋ぐスペースもとってある。馬主の家の玄関脇には藁を敷いて清潔に保ってある小さな"馬のための家"があった。
もちろん、馬が街中を闊歩しても邪魔にならないほど大きな街であるのは事実なのだが、それ以上に馬が身近な街なのだ。
そして不思議なことに、街は馬が悠然と闊歩しているのに清潔そのものだった。
その事にエンキは気づいて、周りを見回しながら歩いていた。
ふと見れば、何か籠のような物を背負った人と時折すれ違う。その人たちは皆同じような灰色の服を着ていた。彼らの後を目で追うと、その先に馬の"落し物"があった。
灰色の人は素早くそこに歩み寄ると、籠から"はさみ"を取り出してそれの上に紙を落とし、さっと紙ごとそれを拾い上げた。拾い上げた後は籠に放り込む。そして作業が完了すると、灰色の人はさっさと歩いていってしまった。
「街で雇っている掃除をする人のようね」
「そんな仕事もあるのか」
エレオノーラの言葉に、エンキはぼそりと言った。そしてエンキはちらりとエレオノーラを見やった。エレオノーラは紫の瞳でエンキの顔をじっと見つめた後、そっと言った。
「アレも立派なお仕事だけど、マズは牧場に行ってみてくれる?」
エンキは苦笑した。
どの道どちらも"キレイな仕事"ではないが、気持ちの問題なのだろう。



二人の取った宿に食堂はなかった。部屋に食事を頼むこともできたが、薄い財布でそのような贅沢はできるはずがない。だから安い食堂を探すために街に出て、そして今帰るところだった。
街は夕暮れの赤に沈みかけていた。
人は楽しそうに談笑しあいながら歩道の上で家路を急ぎ、馬も少し足を速めて去っていく。
通りの店はほとんどが閉める準備をしていた。例外は酒場だけ。酒場は逆に開店準備をしている。
そんな街中を、エレオノーラは見回しながら歩いている。いつもの彼女に似合わないその行動は、財布がよほど薄くなっていることの表れだった。エンキが好奇心で街を見回していたのとは違う。
彼女は仕事を探していたのだ。
仕事を与えてくれる張り紙、人手の足りなそうな店――そのどちらでもいいから目の端に何かを引っ掛けたかったのだ。
だが結局、宿に帰り着くまでにそんな店は見つからなかった。



部屋に戻り、風呂場へと消えたエレオノーラを見て、エンキはふと思った。
――俺は力仕事ができるとして、エレオノーラは何をする気なんだろう。
ふと思えば、エレオノーラの得意なことをエンキは知らなかった。魔術もあまり高等なものはできないようだし、剣の腕も普通だ。この二つがたとえ優れていたとしても、この大きな街ではお呼びではないだろう。
だがエレオノーラが店の給仕をしている姿はちょっと想像できない。
エンキはしばらく腕を組んで考えたが、自分が考えても仕方のないことだと気づいたので考えるのをやめて風呂が空くのを待つことにした。



エンキが風呂から上がると、エレオノーラはすでに床についていた。だが眠ってはいない。
目を瞑っているだけだ。
エンキはその事に気づいたが何も言わずに自分のベッドへともぐりこんだ。同じように目を瞑ったが、気配を探る。エレオノーラは何やら考えているようだった。声を掛けようかとも思ったが、結局彼は眠ることにした。



エンキが眠ったことにエレオノーラは気づいた。だが物音を立てれば彼はすぐさま目を覚ますだろう。それは彼の癖であり習性だった。だが眠りが浅いわけではないのか、彼が旅の途中寝不足になったことはない。
――武人の性、なのかしらね。
エレオノーラはそう思った。それから彼はどんな仕事を探すのだろうと思った。牧場に行く、ということは力仕事をするつもりなのだろう。
――そういえば。
ふとエレオノーラは日中のエンキを思い出した。
貴族を乗せた馬とすれ違ったときだ。エンキは遠くから来るそれを見ると立ち止まり、そしてすれ違うとゆっくりと振り返った。そんなことが五回ほど。
一度、ボソリと彼が
「いい馬だ」
というのも聞こえた。
――馬と共にある国、か。
記憶を失っても染み付いたモノの考え方は、やはり武人の性とおなじく消えないものらしい。



翌日、街がにぎわい始めた頃にエンキは得物を背負わず一旦街を出た。
仕事を探しに行くのに、馬鹿でかい得物を持っているのは不都合だからだ。幸い、街の周りには人の手が多く入っているため野獣も魔物も滅多に出ない。
そしてまず見晴らしのいいところから点在する牧場の場所を確認しようと思い、エンキは丘に登った。
風がエンキの髪を撫でていく。丘の上にあがりきると、エンキはまず伸びをした。今日は空気の澄んだいい日だ。
ざぁっと、一際強い風が吹いていく。
エンキはつられるようにその風が吹いていった方に目を転じた。
大きな柵で囲われた草原に、馬が五頭ほど放牧されている。
「……柵で囲う……か」
ぼそりとエンキは言う。
そしてまず、その目に入った牧場を目指すことにした。



「すまんが、間に合ってる」
「申し訳ないが」
「まず牧場主を通して」
三件ほど回って、昼がすぎた。結果は惨敗である。
三件だけ、というと少ないように思えるかもしれないが、それぞれの牧場がかなり離れていてそれぞれに徒歩で向かったなら、それだけしか回れないのは無理もないことだった。
「ふう」
エンキは丘ほどではないが少々小高くなっている野に腰を下ろした。風は相変わらず気まぐれに吹いている。エンキはそこでエレオノーラが持たせてくれた包みを広げた。
包まれていたのは三つのロールパンだ。
今朝エンキが出かける前にエレオノーラがパン屋に走り、買って来てくれたものだ。
ロールパンには切れ目が入って、それぞれにハムやジャムが挟んである。これはエレオノーラが手ずから挟んでくれたものだ。まだほかほかと湯気をあげるパンにさっと切れ目をいれ丁寧に具を入れてくれた。ハムなど財布が心許ないというのにこっそり奮発してくれたようだ。パンの切れ目にレタスと共にこれでもかというほど挟んである。
ありがたい、と思う。
――世話になってばかりだ。
ハムのサンドを頬張ってエンキは改めて思った。
――何か本当に礼をしないと。
それからふと、
「あれ、そういえば穴の開いたマント、ギィグランダに弁償してもらってたか?」
ということに思い至った。
結局あのどさくさにまぎれて、誰もが穴の開いたマントのことなど忘れていた。
仕事が見つかったら、マントを一着贈ろう。三つ目のロールパンを頬張りながらエンキはそう心に決めていた。



昼食後、さらに一件の牧場を回り、ふられた。
だがエンキはめげなかった。
――まだたしか、向こうにあったな。
そう思って歩き出す。
そして、もう1つの牧場の柵の近くに歩きついたときだった。
「きゃああぁぁぁ!!!!」
「?」
ふと柵の向こうから、歳若い女の悲鳴が聞こえてきた。何事かと思って柵の中を見やると、一頭の青毛の馬が少女を背中に乗せたまま暴れまわっている。
少女はローランド皇国独特の騎乗用の機能性を重視したジャケットと体にぴったりとしたパンツを身に付けている。その上質そうな衣装の生地からすると、彼女は良家のお嬢さんだと思われた。だがその彼女の今の格好たるや無様なものだ。
死に物狂いでに馬にしがみついている。
手綱のほかにたてがみを握り締め、振り落とされないように必死なのだ。そしてその周りにふと目をやれば数人の男たちが右往左往している。
――何をぼさっと……。
エンキはそう思ったが、青毛の馬の暴れ方は尋常ではなく、下手に近寄れば蹴り飛ばされてしまうほどだった。馬の蹴りは強い。それによって人は時に死に至るのだ。男たちはそれを恐れて少女を助けることができない。
「助けて!!!」
少女が悲鳴の中で言葉を絞り出すと、青毛の馬は突然方向を変えてエンキの方に突進してきた。
「!」
エンキは思わず飛び退った。すると、青毛の馬はひらりと柵を飛び越えた。そしてエンキの周りで暴れまわりながら、円を描く。
エンキがあっけに取られてそれを眺めているうちに、ついに少女のしがみつく力が限界に達した。青毛の馬が後ろ足を振り上げた拍子に、少女はポーンと空中に投げ出されたのだ。
エンキは慌てて走り出した。少女が地面に墜落する直前、なんとか彼女の下に滑り込むことができた。
少女の重さと落下の衝撃がエンキの胸を一瞬潰した。息がつまり、詰まった息は出口を求めて暴れだす。エンキは咳として息を吐き出した。
ごほごほと咳き込みながらも、少女の無事を確認する。少女に怪我はないようだ。
「だい……じょぶ、か、?」
少女はしばらくの間呆けていたが、涙声で
「だいじょうぶですっ……!」
と言った。エンキはそれに頷いて、少女を地面に座らせてやる。それから息を整えて、青毛の馬に目をやった。馬は相変わらず暴れている。
見れば、馬は法則性もなくめちゃくちゃに暴れているのではなかった。
しきりに後足を蹴り上げ何かを嫌がっている。
――取ッテ、取ッテ、取ッテ!!
エンキには馬がそう言っているように思えた。そして素早い身のこなしで馬に近寄った。姿勢を低くし、視界の下に入る。
馬は気づかない。
エンキはそのままの姿勢で手綱をさっと掴んだ。馬は驚いて今度は前足を振り上げる。
彼はそれを見て素早く体をずらし、今度は馬の視界の横に行きぐぃっと手綱を引っ張った。そして
「おちつけ」
と命じた。
すると、馬はトントンッと前の両足で二回地面を蹴り上げると、暴れるのをやめた。けれど、相変わらず後足は交互に振り上げている。
それを見て、エンキは馬の背に視線を回した。
見れば、鞍の位置が普通の位置より後ろにずれていた。馬はそれに居心地の悪さを感じ、暴れていたのだ。
エンキは「どうどう」と声を掛けながら馬の横に回り、鞍を外してやった。それから手綱も手放してやる。すると馬は、鞍の重みが取れたことに気づき、後足で二、三度草を蹴ってから嬉しそうにエンキの周りをぐるぐると軽快に走りだした。
その足取りは嬉しそうだった。
「そうか、よかったな」
エンキは苦笑で答える。馬はそんな彼の表情を見ると、申し訳なさそうに耳を後ろにむけ、近寄ってきた。
その時だった。
「捕まえてて!逃げてしまうわ!!」
と、それまで呆然と成り行きを見守っていた少女の声が響いた。すると馬はびっくりして、牧場とは反対方向に全力で走っていってしまった。
「サライ!!!」
少女は悲痛な声を出した。エンキは馬をしばらく見送った後、背後を振り返った。
「人に慣れてない馬だな」
「え」
「慣れてたら、大声を出しても逃げん」
そう少女に声を掛けると、彼女はもじもじとしたあと、
「はい、サライは元々野生馬だったんです。いつまでも人を乗せなくて……今日はじめて隙を見て鞍をつけて飛び乗ってみたんですが……」
と言った。エンキはそれに真面目な顔で言った。
「だがあの馬、人嫌いじゃないぞ」
「え?」
少女がエンキの発言の真意を聞こうとしたとき、牧場から馬に乗った男たちが出てきて騒々しく逃げた馬のあとを追って行った。

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