| 「まず、エレオノーラ。真言がどんなものか、簡単なことはわかるかい?」応接用のテーブルを挟んで向かい合い、この家の主と客人二人は対峙する。
 「……ええと。
 “真言とは世界の真理を表す言葉である。
 それを操るものは真言主と呼ばれ、彼らは賢者のごとく振舞う”と……」
 エレオノーラは“邪王の知識”を検索しそう言った。クラウディースはゆっくりと頷く。
 「まぁ一般的な見方はそうだろう。
 詳しく説明すると少し違うが」
 「?」
 エンキとエレオノーラは顔を見合わせる。
 「真言とは“真理ナル言葉”。それは間違いない。
 ではその真理とは何かね。わかるかい?」
 「正しいこととか、間違いがないこと、だと思います」
 「それも真理の一面だ。だが一面に過ぎない。
 “世界の真理”と君は言ったね。ではその“世界”とはなんだろう」
 エレオノーラは黙りこくってしまった。クラウディースは優しく笑って、今度はエンキを見た。
 「……、俺たちが住んでるところ、でしょうか」
 しばし考えてエンキは答えた。クラウディースはまた頷く。
 「そう、そうだ。まさしく私たちが住んでいるところ。
 世界とはつまりこの家の敷地から、国、大陸、惑星、そして宇宙をすべて示す」
 「うちゅ……?」
 二人は顔を見合わせた。クラウディースは笑う。
 「胡散臭いかい?そう思ってもいいさ。
 つまるところ“世界”とは“この世すべて”のことだと真言は言う」
 「そのほうがわかりやすいです」
 エレオノーラは思わず言った。
 「さて、“世界”が“この世のすべて”なら、残りの“真理”とは何だろう。
 正しいこと、間違いがないことはその一面だと私は言ったね。
 一面に過ぎない、と言った。
 ……正しいこと、間違いがないことの他の面を真理というものは含んでいる。
 ……ここはなんとも説明しがたいんだが、私は真理というものは背骨だと思っている。」
 「……背骨?」
 「そう、“宇宙の背骨”だな。それを言葉で表すのを“真言”と言う。
 わたしはそれをそういう風にとらえているよ」
 「背骨って何の背骨ですか?」
 エンキは尋ねた。するとクラウディースは丁寧に答える。
 「背骨と言うのは、骨のある動物にとってなくてはならないものだな。背骨がだめになると体が動かなくなったりしてしまう……悲しいことだが。
 いわば体の軸だ。脳と並ぶ重要なものの一つだろう。――もちろんそれ以外が大事ではないと言うわけではないぞ。
 真言では、宇宙にもその背骨があると考える。この世のすべてを貫く、時代が変わろうが場所が変わろうが変わらない背骨がある、と。その背骨は大地母神や天空父神をも貫いている、とも真言は考える。その背骨が真理であり、それを説明するのが真言だ」
 「はあ」
 「……まぁなんとなくわかってくれればそれでいい。
 繰り返すようですまないけれど、真言とはこの世のすべてを貫く背骨のようなものである真理を説明する言葉、なのだ。」
 エンキとエレオノーラは身構えて、一つ質問をぶつけた。
 「……真言を具体的に言うと?」
 「そうだな、例えば『人を殺してはならない』」
 だが彼らの予想に反して、クラウディースの口から出たのはどこかで聞いたことがあるフレーズだった。
 二人は思いっきり脱力した。
 「あ、当たり前のことじゃないですか……」
 クラウディースはからからと笑った後、不意に真剣な顔をした。
 「では、それは簡単なことかね」
 「……」
 「わが国の為政者に、ルシアス一世と言う人物がいる。彼は名君だ。ローランド史上最高の名君だと言われる。実際彼の治世で荒れ果てていたわが国は持ち直し、さらに豊かになった。あらゆる意味で。
 では彼は、名君であると言うのだから、欠点が一つもなく、また一度も人を殺さなかったのかね」
 「……いいえ」
 エレオノーラは首を振った。
 「そうだな。まず、彼と帝位を争った簒奪者とも言われる彼の叔父が、彼が殺した人物で有名な人物だ。
 それから、内乱時に死んだ無数の、無名の兵士たち。ルシアス一世は自ら指揮を取っていたからね。
 そして、治世時に処刑した罪人。真理は、罪人でさえ殺してはならないとしているという。そして罪人の中には、止む終えず罪を犯してしまったものもたくさん居る……。だが我々は時に、彼らを殺さなければならない。なぜか?
 そうしないと国は治まらないからだ」
 「国を治めるためなら、人殺しは止む終えないと、真理は……」
 「そうは考えない。真理はすべてが生きるべきだと考える。
 ……そのために真理を表す言葉を操る真言主がいる。」
 クラウディースは立ち上がり、書斎机の脇を通って椅子の向こうにある窓から外を見た。
 「止む終えない罪を犯さなければならない世の中を変えていく。
 罪びとがなぜそれが罪であり、またなぜそれがいけない事であるのかを理解できるようにする。
 それが真理を知り真言を操るものに課せられた一つの使命だな。」
 客人二人は顔を見合わせた。
 「……わかるような、わからないような」
 するとクラウディースは振り返って肩をすくめた。
 「……そうだな、わかりやすく言うと……
 世の中を“背骨にそって真っ直ぐ立ち、胸を張って生きていけるような”世界にするための役割を負っているのが真言だ。それを実行するものを真言主という。
 と言ったところか」
 「背骨に沿ってまっすぐ……なんだか生き難そう」
 エレオノーラがぽつりと言うと、クラウディースはまた笑った。
 「すくなくともわたしは万引きが横行するような世の中よりはいいと思うがねぇ」
 しばらく黙っていたエンキが、ふと気づいて質問した。
 「……では真理を知る卿にとって、人殺しをしたルシアス一世は悪人であり名君ではないのですか」
 「ルシアス一世が、人殺しを嬉々として行っていたという話は聞いたことがないよ」
 クラウディースは笑顔を収めて、真摯な顔でそう答えた。
 
 
 
 「……あれ、でも真言が真理を説明する言葉と言う意味なら、具体的な力はどんなものですか?私、『操る』と言われるからてっきり魔法のような力を持ったものかと思っていました。
 それに、伝え聞く話でも様々な現象を起こさせる、と……」
 エレオノーラは顎に軽く作った拳を当ててクラウディースに訊いた。クラウディースは振り返ってまたにっこりと笑う。それから客人の向かい側にまた戻ってきた。
 「エレオノーラ、火はおこせるかな」
 するとエレオノーラは手で器のような形を作り、そこへふーっと息を吹き入れた。すると明かりが灯り、また熱が発生して炎が立ち上がった。炎は遊ぶようにエレオノーラの手を離れるとくるくると回りながら上昇していく。そして天井に触れる直前、ぼっと音を立てて四散した。
 「うん、これが魔法の力だね。
 わたしには詳しいことは全くわからないが、“魔法とは目に見える力”だな。物理的に発生して事物に影響を与える。そうだね」
 エンキは首を傾げたが、エレオノーラははいと言った。
 「力とはどんなものかね、エレオノーラ。
 物理的に働き目に見えるものだけかね」
 エレオノーラは少し顎を引いた。困っているようだった。
 「例えば権力。これは目に見えないし明確な形もないが、たしかに力として作用して認識されているものではないかね。
 わたしは法律を扱う仕事をしている。法律は確かに文字になっているものもあるし、慣習として受け入れられ文字になっていないものもある。その文字や慣習を言い表す言葉自体には力はない。それらは紙の上にのたうつ記号と口から出る音の羅列に過ぎない。けれど、ある一定の意味を持てば同時に力を成す不思議な道具ではないかな。
 真言も同じだ」
 「うーん」
 エレオノーラは困ったように首をかしげた。
 「なんとなく理解をしてくれればそれでいい。わたしは理解者を得られればそれで十分だ。
 ……そうだな、どうしても具体的な力が見たいというならできないこともない……」
 クラウディースはちらりとそこで視線を動かした。見やった相手はエンキである。
 「エンキ君、実験台になってみるかね」
 「は?」
 エンキは思わず身を引いた。どうも嫌な予感がする。
 「真言はそもそも、あまり力はない。だが背骨、つまり真理に背くことには大いに力を発揮する。
 なに死にやしないさ。少し疲れるだけだ。私の目を見たまえ」
 エンキの返答を待たず、真言主はそう命じた。エンキの目は命じられるままに真言主の瞳を見つめる。途端に、ひた、とエンキの中で何かがとらえられた。動けなくなる。
 「……『我らはこの世に生きるもの、この世界の末端たる者』」
 ぎりり、と縛り付けられるような感覚がして、エンキは抵抗しようとした。だができない。
 「エンキ君、そんなに頑張るな。楽にしたまえ。
 これからわたしは君に幾つか質問する。それにすべて『いいえ』で答えたまえ」
 「……はい」
 エンキが辛うじてそう答えると、クラウディースは笑った。
 「『いいえ』だぞ。
 ……でははじめよう」
 クラウディースは居住まいを正すと、エンキに質問を始めた。
 「君は女性かね」
 「いいえ」
 「君は背が低いかね」
 「いいえ」
 「君は肌がローランド人より白いかね」
 「いいえ」
 「……あの、何、やってるんです?」
 エレオノーラは意味がわからず訊いた。もちろんエンキにもわからない。
 クラウディースはエンキから目を離さずにいった。
 「まぁそう焦るな。今からわかる。」
 クラウディースは楽しそうにそういうと、質問を再開した。
 「君は以前家に来たことがあるかね」
 「いいえ」
 「エンキ君、いま体調等に変化はあるかね」
 言われて、エンキは考えてみた。若干の違和感はあるものの、具合が悪いわけではない。
 「いいえ」
 「そうか、それはよかった。では最後の質問にしよう」
 クラウディースは真剣な顔になった。
 「君はエレオノーラが好きかね」
 「い……」
 言われたとおりにいいえ、と言おうとした。だが言葉が喉に張り付く。エンキはいまだクラウディースの瞳に捕まったままだった。
 何の変哲もない、壮年の男の瞳であるはずだった。
 だがその質問にいいえと答えようとした途端、それは変わった。
 クラウディースの瞳は世にも恐ろしいものとなった。
 瞳の奥にありえぬ色の炎が燃え立った。
 また彼の背後にいつの間にか顔のない毛むくじゃらの巨大な魔物が現れて、ぱっくりと口を開けてエンキを見下ろしていた。目がないのに、それははっきりと彼を見下ろしている。
 ソレはエンキが嘘をつくのを待っているのだ。
 好物の嘘を待っているのだ。
 いいえ、と一言いえばいい。
 だがいいえ、と言えば死んでしまう。
 エンキはそう思った。
 クラウディースの瞳に威圧的な力がこもり、さあどうするとエンキを攻め立て始めた。
 脂汗が額に浮き、喉が渇く。目をそらしたい、そらせない。
 
 
 
 そのエンキ様子にエレオノーラは驚いていた。クラウディースは何もしていない。身動きもしていなければ表情一つ変えていない。だが彼に見つめられているエンキの様子がどんどんおかしくなっていっているのだ。彼女にはもちろん奇妙な魔物は見えていないし、やさしいおじさまの目はいつもどおりだ。「エンキ?」
 エンキは答えない。だがきちんと座っていた姿勢がどんどんと崩れ、ついにソファに片肘を突くようになってしまった。だがそれでもクラウディースから目が離せない。
 ――目を離したら喰われる。
 エレオノーラはあわてて自分の膝にエンキの頭を乗せてやり、楽にしてやろうとした。
 エンキはぜいぜいと息をして、手を動かしてエレオノーラに助けを求めた。
 だが顔を動かすことはかなわない。エレオノーラはそれに気づいた。
 「きょ、卿……」
 エレオノーラが戸惑って、クラウディースに訴えた。
 するとクラウディースはすっと目を閉じた。
 「『わたしは宇宙の末端』」
 そう言ってから再び目を開ける。するとエンキは解放された。大きく息を吐き、咳き込む。
 今度は全身に冷や汗が噴出した。
 「エンキ……」
 エンキはやっと目をそらし、目を閉じ、再びクラウディースを見た。
 そこに奇妙な魔物はもちろん居なかった。真言主の瞳にも妙な色はない。
 それもそのはずだ。クラウディースの瞳の色は変わりようがないし、誰も出入りしていないこの部屋に魔物が入りようもない。
 エンキはそれでもあたりを見回す。
 「いやはや君は正直ものだな。ここまで反応が激しい人は初めてだ」
 クラウディースはものめずらしそうに言った。
 「い、いまの、は」
 「今の?」
 「何が見えたかね」
 「へんなものが、口を開けて俺を待ってた。」
 「ふむ、そう見えたか」
 「なに?何かあったのですか?
 エンキ、大丈夫?」
 エレオノーラはワケがわからず、二人に問うた。クラウディースは一つ頷くと、エレオノーラに向き直った。
 「真言は真理に背くものを許さない。そのようなものには絶大な力を発揮するんだ。
 エンキ君は嘘をつこうとした。真理は嘘を許さない。
 どうやら彼は真言を操る私を媒体として、真理を見たようだ。
 君の見た『へんなもの』は真理の一面だ」
 「はあ……?」
 エレオノーラはやはり意味がわからない。エンキはぜいぜいと息をしている。
 エレオノーラはエンキの額を撫でた。じっとりと掌が濡れる。
 「……この反応が真言の力ですか」
 「負の反応だな。もちろんいい反応になってすばらしい結果をもたらすこともある」
 「……そちらを見せていただけたらよかったんですけど。
 ……初めと最後に言っていた言葉が真言を引き出す呪文ですか?」
 「そうなるな。具体的に真言の作用を引き出したいときはそうしないと意味がない。
 普段の言葉にも真言の力を持たせていたら、とても生きていけないからね。周りの人がだが」
 エレオノーラは自分の膝の上で喘ぐエンキを見下ろした。
 「……お水とタオルをいただけますか?」
 「用意させよう」
 クラウディースは呼び鈴を取り上げた。呼ばれた使用人は数分後、水とタオルを持って戻ってきた。エレオノーラはタオルを受け取り、額を拭いてやった。それから彼にコップを渡そうとしたがエンキは震えて受け取れない。
 エレオノーラはコップをテーブルに置くと、ぽんぽんとあやす様に彼の体を叩いた。
 「少々やりすぎたか」
 「……いえ、落ち着いてきました……」
 エンキは何とか声を絞り出す。それから起き上がろうとしたがうまくいかない。
 またしてもエレオノーラの膝に頭を預ける結果となってしまった。
 そこへコンコンとノックの音が響いた。クラウディースはどうぞ、と答える。
 「親父、ここの今度の収穫期の日雇いの給料だけど……」
 入ってきたのは次男のルキウスだった。計算をしていたのか、紙束を手に持ち顔には眼鏡をかけている。
 それから、彼は書斎の応接セットに目をやった。父を探したのである。もちろん父は見つかった。だが同時にルキウスはその向かいにエンキとエレオノーラも発見した。
 「……」
 「「……」」
 「はっ?!なっ……!!へっ?!」
 バサバサと言う音を立てて紙の束がルキウスの手の中から滑り落ちた。エンキは立ち上がって拾おうと思ったが、できなかった。エンキの頭が膝の上にのっているのでエレオノーラも動けない。
 ルキウスは落ちた紙を無視して、エンキを指差した。その指先は怒りに震えている。
 「あ、あんた何やってるんだ!」
 「……、具合が悪いので、横に……」
 「横?!横になるなら部屋に戻ったらどうだ!」
 「……、たしかにそうなんですが、何分うごけなく……」
 エンキは何故怒られているかなんだかよくわからなかったが、自分の状態は正直に言った。
 すると、ルキウスはエレオノーラを一度睨みそれから父親に行き着いた。
 「親父もなんなんだ!若い二人がはしたないと思わないのかっ?!眼前で!!」
 「……『若い二人』とは年寄り臭い表現を使うな、次男よ。
 あとはしたないとはなんだ?」
 クラウディースは呆れたように――そしてどこか楽しそうに――そう言った。
 「ひざっ……!膝枕だ!」
 ルキウスはびしっと客人二人の状態を指差した。エンキはどうも怒られているおもな原因が自分にありそうだったので起き上がろうとした。が、やはりうまくいかない。
 「エンキは具合が悪くなったの。仕方ないでしょう?」
 エレオノーラが言うと、クラウディースも言う。
 「ちょっと彼には実験台になってもらったのでね。
 それに膝枕だが、それくらいなら私もヴィプサーニアにしてもらっているだろう?」
 「……」
 エンキはあえて黙っていた。
 するとルキウスは腕を下ろした。が、全身はなぜか震えている。
 「親父は……親父と母さんはいいんだよ夫婦なんだから……」
 「夫婦じゃないとダメなのか?
 お前だって昔母さんによく……」
 「ちがーう!!!」
 ルキウスの怒号が書斎に響き渡った。
 「だいたいエレオノーラ、お前もだぞ!
 いくら具合が悪いからって、赤の他人の男に膝枕していいと思ってんのか!!!」
 「エンキは他人じゃないわ」
 ルキウスの物言いにちょっとむっとしながらエレオノーラは言った。すると、ルキウスは口を数回パクパクと動かした。
 「……」
 エンキはそこでなんとなく彼の言いたいこと――というか言葉の真意――に気づいたがまた黙っていた。ただくい、と頭をエレオノーラの膝の上で後ろに引いて彼を見た。
 自然、エンキとルキウスの目線がぶつかる。
 見る見るうちに、ルキウスの顔が更なる怒りで真っ赤になった。
 「くそったれ!!!!」
 彼はそう言い捨てるとドアを乱暴に開け、出て行った。
 すると彼の父は立ち上がり、入り口に散らばっている書類を集め始めた。それからその一枚に目を通す。
 「バラバラになってしまったぞ。どれがどれだかわからん。収穫期の日雇いがなんだって?」
 そのようにつぶやいてから、クラウディースは“若い二人”を振り返った。
 エレオノーラは戸惑った顔をしている。
 「卿、私ルキウスになにか……」
 「君が若いように、彼も若いんだよお嬢さん。次男坊にはそろそろ落ち着いて欲しいと思うがね。
 ところでエンキ君、君は好んで息子の地雷を踏んでくれたのかね?」
 エンキは答えず、相変わらずエレオノーラの膝の上でも気だるげに動いて体の向きを変えた。
 
 
 
 エレオノーラに支えられて部屋に戻り、エンキはベッドに寝転がった。その彼の上にエレオノーラは毛布をかけると、ベッドに腰をかけた。「そんなに怖かったの?真言の力」
 「怖かったというか、気持ち悪かったというか。なんともいえない」
 「気分はどう?」
 「だいぶ良くなったよ」
 エレオノーラはそう、と言ってなんとなくエンキに座ったまま背を向けた。
 エンキは寝た格好のまま体を動かしてエレオノーラの方を向いた。
 「なぁ、あの、ルキウスさんだったか」
 「うん?」
 「仲、いいのか」
 「どうかしら。たしかに同い年だけど……」
 エレオノーラは肩をすくめた。
 エンキはベッドに肘をついて少し体を起こした。エレオノーラは体を捻って彼のほうを向いた。
 「昔からね、よく怒る子だったの。理由はいつもわからなかったわ。
 ただ声が大きいだけかもしれないけど。エンキ、気を悪くしないでね。
 根はいい子だから」
 エンキは苦笑して軽く首を振った。
 「違うよ、さっきの怒りにはちゃんと理由があった。
 うん……あの人はエレオノーラが好きなんじゃないか」
 「は?」
 「いや、理不尽といえば理不尽か?ともかく……」
 エレオノーラはきょとんとしてエンキの顔を穴が開くほど見つめていた。
 そして言った。
 「まさか。
 だってあの子、昔から私のこと、どんくさいとか、とろいとか、にぶいとか……ともかく私のこと馬鹿にしてたのよ。
 そんなことないわ」
 どんくさい、とろい、の所でエレオノーラは指を幾つか折って数えて確認していた。
 エンキはますます苦笑する。
 「なるほど、一種の典型的なヤツか……」
 「え?」
 「いやなんでもない」
 エンキは大げさに肩をすくめてみせた。エレオノーラは不審そうに眉をひそめて「そう?」と言った。
 それからエレオノーラは再びエンキに背を向けて、足をぶらぶらさせ始めた。エンキはため息をついてまた寝転ぶと、頭の下に腕を差し入れてからふーっと天井に向けて息を吐いた。
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