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「魔法使いと記憶のない騎士」
第四十話
他愛ない会話
―夜に客人の部屋で―

夕食を終え、部屋で借りてきた本を読んでいたエレオノーラのもとに騒々しさが二つ訪れたのはもうそろそろ真夜中の静けさがやってくるはずの頃のことであった。
「「エレオノーラ!」」
その二つとは、この家の双子の姉妹であるアウレーリアとコルネーリアであった。
「よかった!まだ起きてたわ!それにこっちの部屋にいたし!」
「アウレーリア、ノックを忘れたわ。エレオノーラが驚いてるわ」
ノックもなく部屋に入ってきた二人は遅ればせながらその事実に気づき、開けてあるドアをコンコンと叩いた。エレオノーラは苦笑しながら本を閉じると、どうぞ、と言った。
双子は笑いながら部屋の中へと進んだ。見れば二人は寝巻き姿で、それぞれ毛布と枕を抱えている。
「ねぇ、ここで寝てもいいかしら?」
コルネーリアの質問に、エレオノーラはうーんと唸った。
「ベッドが一つしかないわ」
「並んで寝るのよ!小さいころしたみたいに」
アウレーリアの言葉にエレオノーラは悪戯っぽく言った。
「二人とも寝相は大丈夫かしら?蹴飛ばされるのはイヤよ」
「寝相も貴族のたしなみよ」
コルネーリアがやんわりと言う。エレオノーラはしばらく迷ったようにしてから、いいわよと言った。
すると双子は嬉しそうに微笑んで、それからベッドに飛び乗った。エレオノーラは椅子から立ち上がって、ベッドの上で遊ぶ二人を見下ろした。顔にはなんともいえない笑みを浮かべている。
「それで、どうしたの?」
「何か用がなきゃ、来ちゃいけなかった?」
アウレーリアが首を傾げて言う。エレオノーラはふーっと息を吐いた。
「いいえ」
その顔は、ひどく優しい。双子は安心したように笑顔を返した。
アウレーリアが自分の隣のベッドの空いた場所を叩いて、エレオノーラに座るように促した。そこはコルネーリアの隣でもあり、エレオノーラは年下の乙女たちに脇を固められることになった。
「カフェはどうだった?良かった?」
覗き込みながら聞いてくるコルネーリアにエレオノーラは頷く。
「お茶もケーキも美味しかったわ。
そうそう、マーカスと一緒だったのよ。アエミリアさんにも会ったわ。素敵な人ね、マーカスにはもったいないんじゃない?」
「そう?でも兄さんを本人が気づかないうちに上手く掌の上で転がしてるみたいだし、お似合いだと私は思うわ」
アウレーリアはそう言った。コルネーリアは否定しない。エレオノーラは眉を開いて見せた。
「そんなことよ、り、も!」
ぐっとアウレーリアが身を寄せてきて強い口調で言った。
「なに?」
「エンキさんとはどうだった?」
エレオノーラはその質問の意味を図りかねて、思わずコルネーリアの方に視線を移した。だがコルネーリアは好奇心に輝いた目を見せただけで、助けてくれそうにない。
エレオノーラは顎を引いた。
「特に何も。ただ、グローブを買ってあげたかったんだけど、いらないって」
「いらない?」
「ええ」
すると、双子はエレオノーラ越しに顔を見合わせた。
「乙女の申し出を断るなんて、無粋な人ね!」
アウレーリアが言い放つと、隣の部屋からタイミングよくくしゃみが聞こえてきた。
三人は顔を見合わせて、笑う。
「でもいらないって言われたら仕方ないね」
コルネーリアが取り成すように言うと、エレオノーラは頷いた。
「まったくね」
「ね、ね」
アウレーリアは今度はちょっと前に体を倒すと、エレオノーラを覗き込んだ。
「二人はどのくらい仲がいいの?」
「え?」
「エンキさんとあなたよ!」
エレオノーラはその質問がいわゆる「婉曲な表現」を使ったものであることに気づいたがわざと気づかないふりをして、言葉通りの質問だけに答えた。
「普通よ」
「普通って?」
「普通は、ふつう」
するとアウレーリアは年甲斐もなく頬を膨らませた。
「それじゃわからないわ」
「なにがかしら?」
エレオノーラは足を組むと、今度は右手を大きく開いて爪を眺めた。
コルネーリアはくすくす笑う。
「エレオノーラ、アウレーリアはあなた方が男女の仲か、ということを聞きたいの」
エレオノーラはその質問に開いていた手を閉じると、今度は左手を重ねて膝の上に置いた。
「コルネーリア、あなた意外と直球で来るのね」
「直球じゃないとごまかしちゃうでしょ?」
エレオノーラは大きく息を吐いた。
「そんな仲じゃないわ」
その言葉に、アウレーリアがぴょんっとベッドのうえで跳ねた。
「そんな仲じゃないですって!だってずっと一緒に旅してたんでしょう?」
「本当よ」
「じゃ、それ普通じゃないわ!さっきの答え方は間違いよ!」
「普通じゃない?」
エレオノーラは首をかしげる。するとコルネーリアがすかさず補足する。
「アウレーリアは、男と女が一人ずついてそれが一組になっていたらかならず愛とか恋が生まれる、という理論の支持者なの。アウレーリアの言う“普通”はそれよ」
「ああ……」
エレオノーラは重ねていた手を片方持ち上げて額を押さえた。
「ここにお邪魔したときから皆何か勘違いしているようだけど、本当に何もないのよ」
「でもそれって、今まではでしょう?これからは?」
「これ……から」
エレオノーラは言われてはじめてその可能性に思い至ったようだった。額にあった手を今度は顎に添える。
その様子を、双子は好奇心に満ちた目で見守る。
「……これからのことは、わからないわ」
その言葉を聞くと、コルネーリアはため息をついて肩を落とし、アウレーリアは「つまんなーい」と言ってごろんと寝転がってしまった。
エレオノーラはそんな二人に苦笑する。
「彼は、記憶がないから。
いつかなにか思い出すかもしれない。そうしたら、その先のことはわからないわ」
だからいまは考えないようにしてるの、と言う言葉をエレオノーラは胸の中で付け加えた。



夕刻東の空にあった一つ星はもはや光の海原に埋もれ、まわり、どれであったか見当をつけることは出来なくなっていた。
エンキは小さなランプだけをつけて、部屋のベランダへと通じる大きな窓からからその空を眺めていた。
そこへ小さなノックの音がする。
エレオノーラの部屋に繋がるドアからだ。エンキはドアに近寄ると、そっと開けた。
暗闇の中の紫の瞳と視線が絡む。
「ちょっといいかしら」
答える代わりに、エンキは彼女が通りやすくなるまでドアを開いた。
すると彼女はエンキの部屋に滑り込んできた。
そっとドアを閉めながらエンキはきく。
「さっきまで随分にぎやかだったな」
「ごめんなさい、寝れなかったでしょう?」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
エンキはベランダへ続く窓に近寄った。
「なんとなく外を見てるのもいいかと」
エレオノーラは後ろで手を組んで、その隣に並ぶ。
「庭が綺麗だから、それが映えるわね。何もない暗い庭と、黒くて青い星空」
「黒くて青い?」
「夜空は真っ黒じゃないのよ?」
言われて、エンキは空を眺めた。
「……言われればそんな気もする」
エレオノーラは口元で笑った。
「で、どうしたんだ?」
「なんとなく静かな所に来たくてね。皆で一緒に寝ようと言われて頷いたものの……」
エレオノーラは肩をすくめた。
「……寝相か?」
「ううん。寝言」
「ああ……」
それから黙って二人は外を眺めた。
しばらくして、エレオノーラが何かに気づいたようにエンキを振り仰ぐ。
「そうだ、エンキ」
「うん?」
「手、出して」
エンキは首をかしげながらも、掌を上に向けて手を差し出した。するとエレオノーラはその手に触れる。
「?」
「たててみて」
言われて、エンキはまた素直に手を立てて掌をエレオノーラに向けた。エレオノーラはそこに自分の手をあてる。空いた手のほうの指を重ねた指の間に差し込み根元を合わせたり、手首の位置を合わせようしている。
「……なにしてるんだ?」
すると、エレオノーラは手をエンキと合わせたままでにっこりと笑って言った。
「気にしなくていいのよ」
「……」
それはムリだ、と言いかけてエンキは黙った。にこにこしているエレオノーラはどこか楽しそうだ。わざわざ水をさす必要もあるまい。
しばらくして、エレオノーラはエンキの手を見聞するのに満足したのか、すっと手を離した。エンキは黙って腕を下ろす。
再び二人は黙って庭と空を眺めた。
「……それじゃあ、戻るわ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
最後にそれだけ言葉を交わすと、エレオノーラは静かに自分の部屋へと戻っていった。
エンキはしばし一人で庭を眺めた後、エレオノーラに触れられた手を持ち上げた。
眺めてみるが、どうにもごつごつした手があるだけだった。エンキはため息をひとつつくと、ランプの灯りを消した。

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