| 湖を回り、森に入る直前まではマーカスとエンキの操る二頭を先頭に彼らは群れを成していた。だがいざ森に入ると、技量の差がはっきりとしてしまった。まず横乗りをしていたコルネーリアが遅れだした。エレオノーラは思わず速度を落とし、彼女の直前を行く。「だいじょうぶ?」
 「やっぱり、あんまり踏ん張れないから難しいわねぇ、障害物も多いし」
 コルネーリアは前を行くエレオノーラに苦笑した。
 「わたしは、森を散策することにするわ。どうやったって追いつけないし、疲れるし」
 「……そう?大丈夫?」
 「うん。いざとなったら方位磁針もあるし、父さまも探してくれるでしょうし。
 それよりノーラ、急いだら?置いていかれちゃうわよ」
 「……いいの?」
 「ええ。どうぞ」
 コルネーリアは屈託のない笑顔で言った。エレオノーラは後ろ髪を引かれつつも、フィーアの腹を蹴って速度を上げた。その間にコルネーリアは速度を落とし、右に折れて競争からはずれた。
 フィーアは上手に木々を避けながら進んでいく。エレオノーラはとりあえず前を見たが、ルキウスとアウレーリアの馬の尻が見えるだけだった。
 ――エンキとマーカス、もうだいぶ先まで行ってしまったのかしら。
 そして、思う。
 ――エンキ、意外と勝負事に熱心になるほうだったのね。それとも、馬がらみだからかしら?
 その時ひょい、とフィーアがかるくジャンプをして石を避けた。エレオノーラはバランスを崩しそうになって思わず声を上げた。
 すると、その声に気づいたのか先行する二頭の騎手が速度を落としながら振り返った。そして兄妹で顔を見合わせる。
 「エレオノーラ!だいじょーぶ?!」
 アウレーリアはそれ以上速度を落とさず、大声で聞いてきた。
 「う、うん!びっくりしただけ!」
 「そう、よかった!じゃ、あとは兄さんに“まかせる”わ!」
 アウレーリアはそこで馬の腹に蹴りを入れて、再び速度を上げて遠ざかっていった。その間にルキウスのほうは速度を落とし、エレオノーラのフィーアのよこに馬を並べていた。
 「大丈夫か?」
 「うん、びっくりしただけ」
 「そうか。それならいいけど、あんまりでかい声出すなよ、馬も驚く」
 ルキウスに言われてエレオノーラははっとした。
 「そうね、忘れてたわ」
 そして、二人で併走する。エレオノーラはしばらくして眉を寄せた。
 「……、ルキウス、急がなくていいの?」
 「……ああ、どうせ一番は兄貴だよ。……それとアウレーリアに花持たせてやろうかと思ってさ」
 「失礼ね、エンキとサライも速いのよ」
 「……。」
 不意にルキウスが複雑な表情をして、馬の歩をさらにゆるめた。エレオノーラも思わずフィーアの歩を緩めてしまう。
 「……どうしたの、ルキウス。そういえば朝からなんだか変よ?あんまりしゃべらないし……」
 「……、エレオノーラ、いいところがあるんだ。一緒に行かないか?」
 「え?」
 突然の申し出にエレオノーラは戸惑った。首をかしげると、ルキウスは言葉を継ぐ。
 「どうせ、一位は兄貴かあんたの連れなんだろ?だったら別に急がなくてもいいじゃないか。寄り道、しようぜ?」
 
 
 
 サライは軽快に飛ばしていく。木々を避けつつ先を見て進む黒い馬にエンキは身を任せている。一方のマーカスは姿勢を低くし、声をあげ馬を鼓舞しているが馬はサライほど荒っぽくないせいか木々を避けるのに手間取っていた。しだいに差が開いていく。
 エンキは方位磁針を確認し、方向を定める。
 ――速度を落としたものか、それとも。
 大人気なくサライを走らせたものか。
 エンキは一瞬考えた。マーカスを振り返れば、彼は真剣な顔で馬を操っている。だがエンキはその顔に、何日か前にマーカスがした剣術の話を思い出した。
 ――剣も馬も、あの人にとっては生き死にに関わらないことだ。
 馬の操り方も型にはまったもので、必死なようでもどこか優雅さを残している。“優雅さ”とは“人間の都合”を意味する。それでは馬は全力を出さないし、器用に走ったりもしないとエンキは思った。馬と人間は上手く折り合わねばならない。
 結局エンキは無意識に大人気なくサライを走らせた。サライもサライで負けず嫌いなのか、決してマーカスとその馬を寄せ付けなかった。
 
 
 しばらくして不意に森独特の暗さが後ろへと去り、昼の明るさがエンキの目をさした。反射的に顔を背けそうになったが、エンキは目をすぼめただけで耐えた。そして彼は光の向こうに小高い丘を見た。木という障害物が目の前から消えたサライは悠々と走った。
 そしてあっという間に大して広くない丘の頂上へ登ると、くるりとその場で背後を振り返った。するとそこには諦めた足取りで走ってくるマーカスの馬がいた。
 そして、ゆるゆると丘を登りエンキのサライの前でマーカスは馬を止めた。
 「やれやれ、完敗です。少し遊んでいらしたでしょう、エンキさん」
 肩で息をしながら、クラウディース家の長男は勝者にそう言った。エンキはそれに肩をすくめただけで答えた。
 マーカスはそれに苦笑し、彼から目を離すと森へと首をめぐらせた。
 「さて、次は誰でしょうね。大方ルキウスだとは思いますが」
 マーカスのその言葉を最後にはじめに到着した男二人はしばらく黙って風に頬を撫でられることとなった。そしてその“しばらく”がすぎると、森の中からひとつの影がとっことっこと出てきた。二人は自然と目を凝らす。
 「――アウレーリアか、珍しいな口以外ではルキウスはアウレーリアに負けたことがないのに」
 さすがは長兄と言うべきか、マーカスは人影が弟妹のうちの双子の片割れで、しかもおてんばなほうだと気づいた。――まあ、双子といえども騎乗姿がだいぶ違うのである程度近くまでくれば誰にでも気づかれただろうが……。
 そして二人は、アウレーリアが馬上でなぜか額を押さえていることに気づいた。
 「マーカス兄さん!」
 「どうかしたのか、おでこ」
 マーカスが近くまで馬を寄せた妹に声をかけると、アウレーリアは憤慨しているような声で兄に訴えた。
 「木の枝がわたしにぶつかってきたのよ!ひどいと思わない?!」
 エンキはその物言いに一瞬首をかしげた。なんだが普通の表現とは違う表現を彼女が使ったように思ったのだ。ふとマーカスを見れば、彼は眉間に右手の人差し指を当て瞼を下ろしていた。
 「――お前の言い方だと木が避けなかったから悪い、と言ったように思えるんだが、木は植物だから動けないんだぞ?」
 「でも生える場所くらい考慮できると思うわ!」
 「できるか」
 アウレーリアの理不尽な言葉にマーカスはため息をつきつつ言葉を返した。それでも兄は妹の額の具合を見てやる。アウレーリアの額にはよほどの勢いでぶつかったのかそれとも枝が頑丈だったのか、赤い一文字の痕がついていた。
 エンキは二人のやり取りから先ほど感じたアウレーリアの言葉への違和感を納得しながら、仲のいい兄妹だなと微笑ましいものも感じていた。
 それからまたしばらくして、森から馬の影が再び抜け出てきた。とっこ、とっことのんびりと歩くその馬にゆったりと身を任せているのはコルネーリアだった。
 彼女は丘の上にある三つの姿を見止めると、口の脇に手を添えて大声を出した。
 「ルキウス兄さんとエレオノーラは?」
 それに同じように手を区と元に添えてアウレーリアが大声で答えた。
 「まだよ!あなたが四番!」
 すると、コルネーリアの馬がわずかに速度を上げた。そして先着の三人のところへつくと彼女はなんともいえない表情でこう言った。
 「ビリじゃないのは、初めてだわ」
 「ルキウスとエレオノーラを途中で見たか?」
 末の妹の言葉に長兄が眉を寄せて聞くと、コルネーリアは首を横に振って髪を揺らした。
 その言葉にマーカスはますます眉を寄せた。
 「妙だな。どこかでドジでもやらかしたか」
 ルキウスは普段妹たちに下に見られていても勝負事で手を抜いたことがないらしい。一番ののんびり屋のコルネーリアに負けることなどありえないのだ。
 だが長兄の心配をよそに双子の令嬢たちは顔を見合わせるとくすくす笑い始めた。
 アウレーリアはどこか楽しそうで、コルネーリアはやれやれといった感じの笑いだった。
 「……?なんだ?」
 双子の笑いにマーカスと若干蚊帳の外に出されていたエンキが不審そうな顔をした。
 すると、アウレーリアが二人を見比べて口を開いた。
 「昨日、わたし達でルキウス兄さんを焚きつけたのよ」
 「焚きつけた……?」
 マーカスが妹の口から出た言葉を不思議そうに繰り返す。そしてしばらく彼は顎をつまんでいたが、ふと何かに気づいたらしく次の瞬間には眉を開いてニヤリと笑った。
 それから、わざとらしく長兄は肩をすくめた。
 「おせっかいな妹たちだ」
 「なんなんです?」
 やはり若干蚊帳の中に入っていなかったエンキがクラウディース家の三人を見回して訪ねた。エレオノーラのことだから、なにかあっても大抵のことはできるだろうから心配ではないがもしもということがある。彼はその“もしも”が気にかかり、そのために眉間に皺をつくっていた。“焚きつける”と言う言葉も双子の口から出たとはいえ、穏やかではない。
 するとその彼の顔を見たコルネーリアが申し訳なさそうな顔をしてこう弁解した。
 「いえ、エンキさん。何も危険なことはないんです。
 ただ、ちょっとの間エレオノーラを兄さんに貸してあげてやって欲しいんです」
 末の令嬢の言葉にエンキはますます首をかしげた。
 
 
 
 「こっちだ」ルキウスに連れられて、エレオノーラは丘への道――といっても明確なものがあったわけではないが――を外れた。
 「どこへ行くの?大丈夫なの?」
 ざっくざっくと迷いなく進むルキウスの背中にエレオノーラはいささか不安そうな声を投げかけた。返答はない。
 思わずエレオノーラは手綱を引いてフィーアの足を止めた。フィーアは二、三度耳を前後に動かすとどうする?と問うようにエレオノーラを振り返った。エレオノーラは微笑んでフィーアの首を叩いてやる。
 「ついていくしかないわね」
 言葉と共にフィーアの腹を優しく蹴ると、馬は忠実に前を行くルキウスと彼の馬を追った。
 しばらく、二騎は無言で歩を進めた。そのうちに木がまばらとなり、森の暗さがしずとずと後ろへ下がっていく。
 木々が彼女たちの前から減っていくのと同じ頃に、耳を洗うような清楚で美しい水の流れる音が彼女たちの感覚の届く範囲の中に入ってきた。
 さあさあと流れる水の音はしだいに近づいてくる。
 ――いいえ、私達が近づいてるんだわ。
 ふと見れば、少し先でルキウスが馬をとめて彼女を待っていた。
 エレオノーラは少しだけフィーアを急がせた。そして、フィーアが彼の馬の隣に並ぶ。するとルキウスはまっすぐに正面を指差した。
 そこは、暗い森が途切れた明るい世界。
 さあさあという水音の源流。
 ルキウスとエレオノーラの眼前には澄んだ水が流れ行く川があった。
 川岸は石と苔が美しい情景を作り出し、水底の細かな砂の上では川魚が悠々と身をくねらせながら泳いでいた。時折水面を流れていく木の葉は、まるで妖精が戯れているかのように気まぐれにくるりと回る。
 エレオノーラは思わずフィーアの背から降りた。そして手綱をもって川へと近づく。
 「綺麗なところね」
 つま先の少し先に流れが来るところまで来ると、エレオノーラは屈んで川を覗き込んだ。
 すると小さな川魚の群れが彼女の影に驚いたのか、ぱっと散り散りなってどこかへと消えていった。
 エレオノーラの隣にやってきたフィーアも川を覗き込むように首を下げた。だがフィーアはそれだけで終わらせず、鼻先を川へとつけてごくごくと水を飲み始めた。エレオノーラはそれを見て、そうっと川へと両手を差し入れた。
 ひんやりと冷たいが、どこか柔らかな水だった。
 その水を彼女はゆっくり掬い上げて口元に運んだ。
 「……おいし」
 感触で感じたように、口当たりの柔らかな美味しい水だった。どこか甘い気もしてエレオノーラはもう一度水を掬い上げる。
 「あの湖に流れ込んでいる水なんだ」
 いつの間にか隣に来ていたルキウスが、エレオノーラの――フィーアとは逆側の――隣にしゃがみながら言った。
 「そうなの?」
 「山の雪解け水や湧き水が、集まってこの川になって、湖まで下るんだと。
 ……父さんの受け売りだけどな」
 「へえ……」
 言われて、エレオノーラは上流に目を移し、そして遠くにある山を見上げた。
 ルキウスはそんなエレオノーラの横顔をじっと見つめていた。しばらくして、エレオノーラはその視線に気づき彼を振り返る。
 「なに?」
 「いや、そのちょっと……とりあえず、立たないか」
 ルキウスはまず自分がすっくと立ち上がり、エレオノーラに手を差し出した。エレオノーラはその手を掴み、立つのを手助けしてもらう。
 だが立ち上がったあとも、ルキウスはエレオノーラの手を離さない。
 「……、どうしたの?」
 エレオノーラが不審に思ってそう問うと、ルキウスは一度天を仰いで大きく息を吐いた。
 そして、また大きく息を吸う。
 それから顔をエレオノーラに真っ直ぐ向けると、真面目な顔をして彼はこう言った。
 「エレオノーラ、俺と結婚しないか」
 
 
 
 ルキウスは、幼い頃からエレオノーラが好きだった。だが彼は天邪鬼な――もしくは損な――性格で、気持ちとは裏腹にいつもエレオノーラをとろいだのなんだのと言ってけなしていたという。
 エレオノーラと連絡が取れなかった十年間、クラウディース家の中でもっとも彼女の身を案じていたのはやはりルキウスだった。
 そしてこの間、やっと再会したというのに相変わらずなので、昨日妹二人で炊きつけてみた。
 ――という説明を、エンキはクラウディース家の残りの三人に聞かされていた。
 マーカスは“焚きつけ”については知らなかったので、最後の説明についてはアウレーリアからなされたのだが。
 「……そうなのか」
 「そうなの!」
 エンキは馬上で、かりかりと頬を引っかいた。
 兄を焚きつけた、というのだから双子の妹は兄を応援しているはずなのだが、双子のうち活発なアウレーリアが何かよこしまなものが混じったキラキラと輝く瞳をエンキに向けてきているのだ。
 「エンキさん、兄さんのことどう思います?!」
 「いや、なんとなくそうかな〜とは思ってはいたが。なんとくなくだけど」
 「……そーじゃなくって!」
 エンキがなんともいえない表情と声で答えると、アウレーリアは拳を作って振り上げた。
 「『俺の女に手を出すなっ』とか何とか!ないんですかそういう感情!!」
 「お、『俺の女』……」
 アウレーリアの迫力にエンキは思わずサライを二、三歩下がらせた。
 「いやエレオノーラは恩人だし……」
 「それについてはわたしずっと不満なんですけど、なんでお二人ってずっと一緒に旅してて何事もないんですか?!
 婉曲に言うとエンキさん根性ナシですか?!」
 「こんっ……?!」
 エンキは思わず絶句した。直球で「お前は男じゃないだろう」と言われるよりはましかもしれないが、十分に自尊心を傷つけられる言葉だった。
 世間ではよく“据え膳食わぬは男の恥”とか言うが、すべての男がそういう考えに支配されているわけではない。英雄色を好むとは言うが、色を好む男がすべて英雄なわけではないし英雄にだって色を好まない者もいておかしくないだろう。
 衝撃に口がきけなくなったエンキを見て、さすがにマーカスが苦言を呈した。
 「アウレーリア、お前、ルキウスとエンキさんがもめるところを見たいのかい?」
 「それはそれで面白いじゃない」
 胸をそらしてそう言った長女に、純粋に兄を思ってたきつけたと思われる次女はがっくりと肩を落とし長兄は額を押さえた。
 その間に、エンキは若干ながら回復したらしい。盛大にため息をついて、アウレーリアに言った。
 「――あなたが何を望まれているか、俺にはわからないが。
 あなたの物言いは不躾だ」
 突然聞いたこともないような低い声を放ったエンキにさすがのアウレーリアも硬直する。
 「面白いか否かで行動するのもいいでしょう。興味本位で他人の関係を嗅ぎまわるのも楽しいでしょう。
 ただ俺にはあなたの言葉はお兄さんの気持ちを馬鹿にしているように聞こえる。
 ――他人に自分を誤解されたくないならそういう言動はやめたほうがいいでしょう。
 ちなみに俺はそういう人間は嫌いです」
 最後までその言葉を低い声で言い切ると、エンキは一拍置いてからサライの踵を返させた。
 そして森の出口へと向かう。
 それまで、アウレーリアは固まったままだった。
 「――あのねアウレーリア」
 そんな双子の姉に、コルネーリアが声をかける。
 「父さまが今回のこと知っても、同じようなことを言ったと思うわ」
 「お前、ちょっと軽薄なところあるからな……」
 二人の兄妹は、アウレーリアを特に庇わなかった。だがアウレーリアはその二人の言葉に逆上したりしなかった。
 「……わたしは親切のつもりだったんだけどなぁ」
 「それにしては面白がりすぎだろ、さっきの物言いは」
 長兄の苦言に、アウレーリアはため息をついた。
 「じゃあ以後気をつけて改めるようにする。
 ……ノーラの“旦那さま”に嫌われたらたまらないもの」
 それから三人は、森の出口に佇む黒い馬と騎士を見た。
 三人はてっきりエンキがエレオノーラを探しに行くものと思って彼を見ていたが、エンキは森の出口でサライを止めたままいつまでも動かなかった。
 「……なんだか、待てといわれた犬のような背中だな」
 ぼそ、と聞こえたマーカスの言葉に双子は内心で同意した。
 エンキの背中はどこか寂しげでどこか不安そうだった。それが大きな体と不釣合いで、ある種のおかしさを感じさせたが誰も笑わなかった。
 
 
 
 「――は?」川岸。雲に目があれば三騎の馬がいる丘からそう遠くない川岸に、一組の男女と二頭の馬がいるのが見えただろう。それはまごうことなくエレオノーラとルキウスだった。
 助走のないいきなりの大跳躍のような直球すぎる告白に、エレオノーラは事態が理解できなくなっていた。
 「オレはお前が好きだ。だから結婚してくれ」
 ルキウスは真面目な顔で彼女の手を握り締めてそう言う。
 ――ちょっと。
 「ちょっとまって。間が何か抜けてない?おかしくない?」
 「なんでだ」
 「いやおかしいでしょう。いきなり結婚って……。
 まずお付き合いして、そしてお互いの相性とかそういうものを確かめてから結婚じゃないの?それとも、ローランドの貴族は結婚ありきなの?」
 「たしかに、普通の恋愛結婚はそうさ。だけどオレとお前は小さいころから知り合いだろ」
 「そ、そうだけど。だけどべったりするくらいの知り合いじゃなかったし、なんか違うと思うわ。
 あと、とりあえず手を離して頂戴」
 言われて、やっとルキウスはエレオノーラの手を解放した。エレオノーラは思わず一歩後ずさる。フィーアとルキウスの馬は、そんな主たちを不思議そうに眺めている。
 真剣な顔で見つめてくるルキウスに、エレオノーラは瞳の色を強くしてはっきりと言った。
 「その申し出、お断りするわ」
 はっきりと、申し訳ないとも言わない返答にルキウスはぐっと詰まった。
 「……、……、なんでだ?なんかまずかったか?」
 「ええ一般的にみて今の告白の仕方はすごくまずいと思うわ。別な人に同じことしちゃだめよ。理由はアウレーリアあたりに聞いて。上手く解説できないから」
 「オレと結婚すれば!」
 エレオノーラの言葉の語尾と重なるようにルキウスは叫んだ。
 「もう逃げ回らなくていいんだぞ!邪王の一族、エレオノーラはローランド貴族ランドマール伯爵の子息の妻になった!そうすれば摂政だってあんたを追ったりしないだろ?!」
 エレオノーラはルキウスのその言葉に目を見開いた。
 心配からの言葉だったのだろうか。
 ……けれど。
 「事はそんなに簡単じゃないのよ、ルキウス。
 これは何日か前に小母様にも言ったことだけれど、ランドマール伯爵家の名前は大陸の隅々まで知られているけど、リュオンに対して大きな力を持つわけじゃないの。
 私の存在はリュオンとローランドの外交問題に発展するかもしれない。
 ましてそんなことにランドマール伯爵が関わっているとすれば、皇帝は卿から爵位を取り上げて、ひどいときは命までとって、リュオンに差し出すかもしれないのよ」
 「皇帝陛下と親父は友人だ。そんなことにはならない!」
 「皇帝は優れた方だと聞いてるわ。そんな人が、情に流されて民を苦しめると思うの?
 女一人、土塊一つで、いくらでも戦争はできるの、ルキウス」
 「それなら、あんたはもうローランドにいるじゃないか!」
 「旅の身であれば、いつでも出て行けるのよ。摂政に見つかって、出て来い、出て行けと言われれば出て行くわ」
 ルキウスはそれで理解しないような馬鹿ではなかった。だが、頭が理解しても彼は感情を御せなかった。
 「あんたはいつまで逃げ回るんだ?それでいいのか?そんな人生でいいのか?」
 「はじまったものはいつかは終わるの。ただその時期が私にはわからないだけ。
 誰だってそうでしょう?」
 悲壮な顔で見つめてくるルキウスをエレオノーラは真っ直ぐ見つめ返した。
 「いつかは帰るわ。ラボレムス山の私の家に」
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