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「魔法使いと記憶のない騎士」
第四十七話
決闘
―西の剣術、東の剣―

鋭く光を反射するレイピアの切っ先を突きつけられて、エンキは思わず半歩後ずさった。
そして両手を肩の高さに上げて言う。
「――四の五の言わずにとおっしゃいますがあえて言わせていただきたく――」
「ならん。さぁ剣を選びなさい」
取り付く島もなくクラウディースは言い、顎をしゃくって剣が飾り付けてある壁を示した。エンキは仕方なく、首を回し、体を回し、そして壁に歩み寄った。
それを見てクラウディースは一端剣をおさめ、腕を組んで若者の背中に鋭い視線を送った。
エンキはその視線のちくちくとした痛みを感じながら、壁に飾っている剣を品定めする。
たしかにどの剣にも錆はない。それどころか、クラウディースのレイピアと同じくらい光を反射し鋭さを保持している。
――参ったなぁ。
エンキは内心冷や汗をかきながら、その光を見比べていた。
目の前のさまざまな剣は、エンキが見たことがないものの方が多かった。
あの端にある、全く同じものが二本交差させて飾ってある、妙にくねくねした剣は一体どうやって使うのか?首を切るのにはあの曲線は便利だろうが、如何せん長い。そして重そうだ。
そして、次に彼の目に入ったのはレイピアだった。切っ先の鋭い細身の剣。斬りつける能力は低そうだ、というか斬るための剣ではない。卿は一体この剣でどんな戦法を使ってくるのか。公平を期すために、自分も同じ形の剣を使ったほうがいいのだろうか。
……などと考えつつ、エンキはまるで美術品をためすがめつする美術商のようにじっくりと剣を見た。クラウディースは辛抱強く、じっと彼を待っている。
そしてエンキは結論する。
――使い慣れないものを使っても、失礼だな。
どうもクラウディースは本気のようだ。では、使い慣れない剣を使うのは失礼に当たるだろう。だからエンキはこれまで見たこともない剣たちは選択肢から除外した。もちろん、レイピアもだ。
エンキが選んだのは、薄くよくたわむ幅広の刀身を持つ片手用の剣だった。柄の先、丸い剣首の先には長い房飾りが施してある。一目で見てリュオンやローランドの騎士が好む硬質で歪まない真っ直ぐな剣とは違うとわかる、東方の剣だった。
「ほう、それにしたか。その剣は強く打ち合うとぐにゃりと歪んでしまうんでな、一、二度しかわたしは使ったことがない」
剣を壁から取り外して振り返るとクラウディースは面白そうに笑った。
エンキは空いた手の中指で薄い刀身をはじいた。すると刀身はたわむ金属独特の音色を奏でてゆらりと切っ先を揺らした。
それを見て、クラウディースは修練場の中央に移動する。エンキは察して彼に続いた。
修練場の中央に立って、二人は向かい合った。
「さて、この“試合”のルールを決めねばならん。
基本的にどちらかが『参った』と言うまで剣を打ち合うのだが、それ以外に何か要望はあるかね」
「あの、この手の試合をしたことがないのでお聞きしたいのですが……怪我とかは、どうするんでしょう?」
「どちらかが怪我をして床に血が垂れても、参ったと言わなければ続く。
まぁもちろん死んでしまったり重傷で続行不可能なら立会人が止めに入って判定を下すが」
「……たちあいにん?」
エンキが不思議そうな口調で言うと、クラウディースはすっと手で横を示した。するとひこにこれまで屋敷に戻らず控えていた執事がやってくる。
「この“試合”を見守り、見届け、時に判定を下し、結果を記憶する人物のことだ。
本当なら君にもわたしにも面識がない第三者を選ぶのが理想なのだが、なかなか上手くいかなくてね。問題があれば、誰か探しにいかせよう」
つまるところ、立会人はどちらの息もかかっていない人物でなければならないのだ。だが、執事は明らかにクラウディース寄りの人間と言えよう。ロマンス・グレーの髪は綺麗にきちんと撫で付けられ、一見穏やかそうなかたちの目は底に鋭いものを秘めているようだった。
「彼が公明正大な人物だということは、わたしが保証する。
……といっても当事者の一方であるわたしが保証しても、仕方ないのだがね」
エンキは口元だけで笑った。
「――問題ないと思います。いくらなんでも卿は俺を殺さないでしょうし」
「そうかな?――いやいや、君がわたしをついうっかり、とやってしまうかもしれんがね」
エンキは口元に笑みを浮かべたまま、それはないだろうという意味を込めてゆるゆると首を振った。
「お二方、よろしいでしょうか」
会話が切れたのを見て取り、執事が一歩進み出て二人に言った。クラウディースは軽く頷く。
「――では、取り仕切りをさせていただきます。
まずはお二人の間は、わたしが始めと言うまで三歩以上お空けください。
そして剣は、構えと言うまで脇に下ろすか鞘にお納めください。構えと申しましたら、一端切っ先をカチンと合わせていただきます」
執事の説明を聞いて、エンキは細かいなぁと思った。クラウディースの方は、慣れているのか視線を落とし手袋の具合を確かめている。
執事の説明が途切れて、エンキは口を開いた。
「卿は以前にもこんな?」
「ああ。昔は試合にも出たし、とある女性を巡って決闘もしたこともある。
どちらももう随分前のことだが。君を脅すために言っておくと、わたしはあの頃この国で二番目の剣術使いだったのさ」
にやりと笑ったクラウディースに、エンキは眉を上げる。
「二番目、ですか」
「もちろん、学問では右に出る者はいなかった。左にもね」
雰囲気が一瞬だけ和らいだ。エンキはでは剣術で一番は誰だったのですか、と聞いてみたかったがやめておいた。雑談をするのは後でもいいだろう。
執事が手を挙げた。
「では、よろしいですか?
誓いを立てていただきます。わたしに続いて復唱してください」
エンキには馴染みのない行為だったが、つまるところ卑怯なことはしないということを片手を上げて誓わされた。宣誓が終わると、さらに執事が言葉を続ける。
「では、“試合”を開始いたします。
対戦はランドマール伯爵タイベリウス=ギュスターヴ・クラウディース閣下。そして」
そこまですらすらと言葉を続けていた執事が不意に口をつぐんだ。
「どうした」
「いえ、エンキさんのお名前が」
どうも“試合”の前には対戦者同士の正式な名前を告げなければならないらしい。さてどうしようかとエンキが考え始めるよりも早く、クラウディースが言った。
「『エレオノーラの“連れ”のエンキ』殿、だ」
執事は頷いて、また口を開く。
「――エレオノーラ様のお連れのエンキ殿。
立会人は――」
執事は立会人として名前を名乗り上げ、すっと誓いの手を降ろした。
「試合終了はわたしによる判定かどちらかが『参った』というかもしくは死によって訪れます。では、剣を――構え」
剣を取り上げる前に、クラウディースはすっと西方の騎士の礼をした。エンキも深く頭を下げて礼を返す。そしてクラウディースは鞘走りの音をさせ、エンキは剣を持ち上げた。
そして一度切っ先を合わせる。澄んだ金属のぶつかる音が修練場に響いて消えていった。
「――始め」
動いたのはクラウディースだった。いきなり踏み込み、剣を突き出す。エンキは思わず半身を引いて幅広の剣でそれを受け、流す。流れた先でクラウディースのレイピアは弧を描くようにまた戻り、エンキに向かって繰り出される。
踏み込む、攻める、攻める。
踏み込まれる、攻められる、受ける、流して、また攻められる。
エンキは半歩、また半歩と後ずさった。幸い、しなる幅広の刀身をもつ剣は力強い伯爵の剣をうけても振動をエンキの腕に伝えることなく柔軟に攻撃を受け流してくれる。
――強い。
エンキは思った。とても大きな四人の子どもがいる、五十代の男とは思えぬ技巧と力だった。まったく遠慮がなく、かといって手抜きをするでもない。
レイピアはエンキの体を貫こうと迫ってくる。真っ直ぐに突き出される切っ先にやがてエンキは気づいた。
――やはり、斬りつけるための剣じゃなかったか。突き刺すための剣だ。そのための技だ。
攻めを中心とする技。繰り出される剣。踏み込まれる足は一定で、軸足は常に後ろに控えさまざまな衝撃に耐える。体の軸が一切ぶれない。クラウディースは常にエンキを真正面にとらえている。
剣を受けて流しながらエンキは観察する。
――突きが中心の技。だから攻めが中心にもなる。
また流れては戻ってきたレイピアの切っ先をエンキは剣の腹で受け、また剣のしなりを利用してはじき返す。はじき返された先でクラウディースはたくみに手首を使って剣を軌道に戻し、乗せる。
エンキはぐっと軸足に力を込めた。
――守っていては思う壺だ。
次の一手をエンキは流さず受け止め、押し返した。さっとクラウディースの剣が逃げる。
その隙に、エンキはクラウディースの間合いへと踏み込もうとした。だが、クラウディースはたくみに足を動かして距離をとりそれを許さない。
金属のぶつかる高い音。
金属の擦れる嫌な音。
それだけが修練場に響き、行きつ戻りつの攻防が続く。クラウディース家の執事は不動の姿勢でそれを見ている。
長い攻防の末、動いたのはエンキだった。
突然に右から打ち付けた剣を引き戻すと、そのままぐるりと回りクラウディースに背中を向けた。
西の剣術で敵に背中を見せることはありえない。その事態に一瞬理解が遅れたクラウディースの横で重い空気が動いた。――先ほどとは逆の左。
クラウディースは間一髪剣を立ててそれを防いだ。ガキンという音がして両者の剣が止まる。衝撃が二本の剣の切っ先を震わせていた。
「回転をつけてわたしの首を斬り飛ばす予定だったかな」
「……」
エンキはなぜか答えない。見れば、いつもの好青年らしい表情は顔から一切消えていた。
剣を打ち合ううちに本気になったのだろうか。クラウディースはそれも面白いと思った。
その時、ぐっとクラウディースは剣を押し返された。不意の力にクラウディースは姿勢を崩しかけながら押されるまま後ずさり、合わせた剣を離す。
軸足を踏ん張り、剣を掲げ姿勢を戻す。エンキも応えるように剣を正眼に構えている。
試合は、はじめに戻った。
今度踏み込んできたのはエンキだった。打ち付けてくる剣を剣で受け、クラウディースは足を踏ん張り、わずか若者が息をついた隙に剣の突きを出す。また一進一退の攻防が続く――
だが、それも今度は長くは続かない。
クラウディースは肩で息をし始めた自分に気づき内心で苦笑する。体は正直にお前はもう歳だ、と訴えてくる。
――そろそろ勝負にでんと、持たんな。
今までより大きく足を踏み出し、前傾し、銀の剣を突き出す。一瞬後にまた踏み込み、突き出す。クラウディースは怒涛の攻撃を選んだ。その攻めに一瞬エンキがたたらを踏んでよろめいた。クラウディースはその隙を決して逃さなかった。
エンキの幅広の剣に弾き飛ばすほどの力でレイピアを当て、腕ごと外に流させる。それとほぼ同時に深く彼の懐に入り込む。エンキが反射的に身を引こうとする半瞬前にクラウディースは剣を繰り出して切っ先を彼の喉仏のあたりに突きつけた。
ピタリ、と二人の男の動きが止まる。
修練場で動くのは、三人分の呼吸で震える空気だけだ。立会人の執事は静かに「参った」の言葉を待っていた。
緊張。沈黙。修練場の外から、わずか鳥の声が聞こえてくる。
しばしの後――たまらず声を出したのはクラウディースだった。
「――参った、と言いたまえ」
その言葉にエンキは半眼で自分の喉のわずか先にある切っ先を見下ろした。そしてあるかないかの笑みを口元に浮かべた――時だった。
クラウディースがその笑みを見とめたどうかはわからない。だが次の瞬間にクラウディースは重い衝撃を剣から感じ、突き飛ばされたように後退した。
先ほど自分がしたのと同じように突きつけた剣ごと腕を強い力で流されたとクラウディースが気づいたときには、エンキは刃を返していた。
とっさに剣を立ててそれを防ごうとしてクラウディースは自分の剣(レイピア)の重さが変わったことに気づく。
――馬鹿な。
ヒュッと空気が耳の近くで音を立てて、ピタリと止まった。
エンキは無言で視線をクラウディースの顔に当てる。その目には一切表情はなく、黒い瞳には驚愕の表情を浮かべる五十絡みの男が映っているだけであった。
エンキの剣は腕ごと流された位置から一瞬でクラウディースの剣を跳ね除け、そして彼の首にあとわずかというところに移動していた。そこはクラウディースの首にあと紙切れ一枚、という位置だった。
だがそれ以上にクラウディースが驚いたのは、彼の美しいレイピアが半ばからなくなっていたことである。先ほどのエンキの一撃で叩き折られたのだ。
手入れはぬかっていない。まして、先ほどの打ち合いに耐えられないほどの脆弱な一品でもない。
クラウディースは大きく息を吸い、再びエンキの目を見た。



途端、タイベリウス=ギュスターヴ・クラウディースは猛禽の鋭い爪に心臓を掴まれた、と思った。



――エンキの目は、そんないろをしていた。

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